4-2 崩れて行く日常
放課後の教室は、文化祭準備でざわついていた。
紙袋の中身を確認する声、ガムテープを引きちぎる音、笑い声。
夏の終わりとは思えないほど、教室の中は熱気に包まれている。
ユイは、教室の端で看板に色を塗るリョウを見つけて、そっと近づいた。
「……ねぇ、さっき描いてた看板。オシャレだった。色使い上手だよね」
リョウは筆を止め、少しだけ目を上げる。
「あ……どうも」
それだけを言うと、すぐに視線を看板に戻し、次の作業に取りかかってしまった。
ユイは、一瞬、言葉を失った。
(前の世界だったら――)
「頑張ったかいがありました。そう言ってもらえて…嬉しい」
あの丁寧で、少し照れくさそうな笑顔が返ってきていたはずだった。
でも今は、その“やり取り”がまるごと抜け落ちてしまったみたいに、淡白だった。
声は届いても、気持ちは届かない。
そんな小さな“断絶”が、確かにそこにあった。
「ユイ〜、そっち終わったらこれ手伝ってくれー!」
ケイタが明るく声をかけてくる。
重そうなボードをひとりで持ち上げながら、笑顔でこっちを見ていた。
「今行く! こっちも終わったから」
「助かる〜。いやさ、最近ずっとユイに助けられてる気がするわ。頼れるわー」
そう言いながら、ケイタはユイの頭をわしゃっと大きな手で撫でた。
「ちょ、なにそれ……」
「いやいや、感謝のしるし? ってことで」
笑っているその顔には、いつもの冗談っぽさがある。
でも――その手つきや距離の近さには、どこか“特別”な気配が混じっていた。
(こんなふうに触れてきたこと、前は……なかったのに)
気づけば、近くにいる時間が増えていた。
作業の流れも、何となく一緒になることが多い。
それが偶然なのか、それとも――
ユイの胸の奥に、小さなざわめきが広がった。
作業の合間、ふと振り返ったそのときだった。
また――視線を感じた。
顔を上げると、教室の隅でエミリがこちらをじっと睨むように見ていた。
表情は読めない。けれど、その視線の鋭さに、ユイの背筋がひやりと冷えた。
次の瞬間、エミリはすっと目を逸らし、何事もなかったかのように別の作業へ向かっていった。
(……エミリ、怒ってる?)
心当たりがないわけじゃない。
でも、ここまで明確な“拒絶の視線”を向けられるのは、はじめてだった。
放課後、ユイが準備を終えて廊下に出ようとしたとき。
掲示板の前に、エミリがひとり立っていた。
「ユイ、ちょっといい?」
声色は静かだった。でも、感情が抑え込まれているのが伝わってくる。
「……うん」
ふたり、人気のない階段の踊り場へ。
エミリは、しばらく何も言わなかった。
けれど、ぎゅっと握りしめた拳が、わずかに震えていた。
「ユイさ、私の気持ち……ほんとにわかってないの?」
「え……?」
「コズミックランド、楽しかったよ。あんたが来てくれてよかったって思ってる。
でも……最近ずっと、ケイタとばっかりじゃん」
ユイは言葉を失った。
「私ね、ケイタのこと――」
その言葉の続きを、エミリは言わなかった。
ただ、唇をかみしめて、小さく息を吐いた。
「……ごめん、もういいや。
ユイが悪いとか、言いたいわけじゃないの。ただ、なんか……もう、つかれた」
そしてそのまま、背を向けて階段を下りていった。
ユイは追いかけることも、謝ることもできなかった。
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