3-4 不思議な保険医と、時間の流れ
教室のざわめきから逃げるように、ユイは保健室前の廊下に立っていた。
頭が痛いわけでも、怪我をしたわけでもない。
ただ――少しだけ、呼吸を整えたかった。
(昨日からずっと、力が入らない)
体調が悪いというより、“どこかに引っ張られている”ような倦怠感。
鏡に映った輪郭のズレ、ペンダントの熱。
言葉にできない違和感が、静かに身体に残っていた。
「……入りづらいなあ」
保健室のカーテンは閉まっていて、中の気配はわからない。
それでも、ノックしようとしたそのとき――
「立ち止まってるのは、“体”かい? それとも“心”の方?」
背後から、柔らかく低い声がした。
振り向くと、白衣を羽織った背の高い男性が立っていた。
40代後半くらい。片手にマグカップ、もう片方にはタブレット。
スクリーンには止めたままのホラー映画の一場面。
ゆるく結んだ髪と、目元の優しいしわが印象的だった。
「……え?」
「ん、ごめんごめん。昼休みにゾンビの叫び声流れてたら苦情来ちゃうから、ここで静かに観てた」
にこっと笑ったその人――斎賀ユウマは、保健室のドアを開けながら言う。
「入っていいよ。出席簿にも書かないから安心して」
ユイは戸惑いながらも、その声に誘われるように保健室に入った。
中は静かで涼しく、ミントとコーヒーの香りがほどよく混ざっている。
ブラインド越しに差し込む光が、どこか落ち着いた空気をつくっていた。
「椅子、座っていいよ。ちょっと顔色見させて?」
先生はユイの顔を軽く覗き込み、目の動きや血色を静かに観察する。
「うん、貧血じゃなさそう。脈も落ち着いてる。……でも、“中の流れ”がちょっと滞ってる感じかな」
「……中の、流れ?」
「代謝とか、気の巡りとか。まあ、オカルトと医学の境目ってことで聞き流してもらって。」
冗談めかして言いながらも、視線にはどこか真剣さがあった。
「……なんか、調子悪くて」
「無理に言葉にしなくていいよ。そういうときって、“言えた”時点でもう整理が始まってるからさ」
先生は紙コップの麦茶を差し出しながら、ふっと目を細める。
「答えを探すのもいいけど、まずは“今”を確かめてみるのが近道かな。
君、そういう時間の中にいる感じ、するから」
その“言葉の選び方”に、ユイは一瞬だけ息を呑んだ。
なぜか、何も言い返せなかった。
「辛かったら、授業終わるまでここで横になってていいよ。僕、午後は基本ここにいるから」
「……はい」
「なんかあったら、すぐ呼んで。近くにいるから」
その声が、思った以上に優しくて、ユイは無言で小さく頷いた。
ベッドに腰を下ろし、ゆっくりと身体を横たえる。
冷房の風がゆるやかに流れて、まぶたがほんの少し重くなる。
そのとき、
ユイの指先が無意識に制服の胸元に触れた。
ペンダントは静かに揺れながら、体温とは別の温もりを、じんわりと伝えていた。
(……あったかい)
意味のわからない安堵が、胸の奥に広がっていく。
⸻
不思議と落ち着く空間。
けれど、その静けさは――未来への警鐘でもあったのかもしれない。
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