2章

2章-1 もう一度、夏がはじまる

2章 「もう一度、夏がはじまる」


――カタン、と何かが揺れる音がした。


まぶたの奥で、微かな光が揺れる。

どこか遠くでセミの声が聞こえていた。

それが現実なのか、夢なのか、まだ判断がつかない。


ユイは、ゆっくりと目を開けた。


「……え……?」


視界に飛び込んできたのは、見覚えのない天井だった。

いや――本当は見覚えがある。

だけど、それは“過去の記憶”としてしか存在しないはずの場所。


(この天井……教室の……?)


硬い椅子の感触。開いた窓から差し込む西陽。

うっすらと汗ばんだ制服の袖。

風に揺れるカーテンの隙間から聞こえてくるのは、誰かの笑い声と蝉の合唱。


(……なんで、ここにいるの……?)


「ユイ、寝てたの? 終業式のあとでぐーすかとか、油断しすぎでしょ」


突然、声が聞こえた。

振り返ると、そこには――東條とうじょうエミリの顔。

制服姿のまま、うちわで顔を仰ぎながら、いたずらっぽく笑っている。


「え……エミリ……?」


「何その反応。寝ぼけすぎ。暑さで脳やられた?」


笑ってる。いつものテンション。

でも、見た目は高校生のまま。

まるで、時間が――


ユイは、頭に手を当てた。

さっきまでは、東京の帰り道。スーツのまま、ヒールで歩いていて――


 

「……階段から落ちてなかった?」


「……わたし、社会人だったはずじゃ……」


声が震える。

月末の報告書、未読のメール、明日の朝イチの会議。

それなのに、自分は今――教室にいる。


「会社……連絡しなきゃ。スマホ、スマホ……」


スカートのポケットに手を入れ、見つけたスマホを開いた瞬間、思わず固まった。


画面に映ったのは、高校時代に使っていた旧型のスマホ。

アプリの並びも、壁紙も、当時のまま。


(……これ、昔の……?)


連絡先を開いても、当然、会社の番号も、取引先も入っていない。


(……じゃあ、わたし、“今”じゃなくて――)


混乱のまま机に目をやると、そこには懐かしいスクールバッグが置かれていた。

高校時代に使っていた、あの紺色の布地のカバン。

何の違和感もなくそこにあり、まるで“この世界のユイ”が元々持っていたかのように馴染んでいる。


(これって……高校生のころの世界? でも、記憶は――25歳のまま)


教室の匂い。制服の肌触り。エミリの声。

全部が、懐かしくて――でも、あまりにもリアルだった。


ユイは、もう一度周囲を見回した。


これは、夢じゃない。

間違いなく、あの夏が――“はじまっている”。



窓の外では、蝉が力強く鳴いていた。

時を越えて、再び“あの日々”が、ユイの目の前に現れた。

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