第2話


・鈴村香帆


「香帆、まだ探してるの?居酒屋回るのなんて止めなよ」



最終講義が終わり、私を待っていた祐希と顔を合わせる。少しのおしゃべりの後、あくびが漏れ出ると、祐希の少し呆れた声が送られた。予想していたこと…というよりいつものこと。



「だって、それ以外方法なくない?」


「たまたまそこに行っただけで、行きつけなのかも近いのかも分からないじゃん。また変なのに絡まれるかもよ?」


「………」


「そしたらまた『しーちゃん』来てくれるかもーとか思ったでしょ」


「バレた!」


「あ、ぶ、な、い、から!!」


「……はぁい」


「はぁ…」



祐希には返事したけど、やっぱり諦められない。待っていたら絶対会えない。受け身でまた会えるなんて、お城にとらわれたお姫様じゃないんだから分かってる。祐希はこの後、塾の予定というから駅で別れた。『家に帰ってよね』と念押しされて、笑顔を返しておく。だって今日は『しーちゃん』に会えた時と同じ週末だし、行きたい。毎日とは行かないけれど、以前に比べたらだいぶ多く居酒屋の並ぶ街を歩いている。友人が付き合ってくれる時もあるけれど、それで酔って探せなくなったら本末転倒だし、基本はぶらぶらと歩き回ってそれらしき人を探している。

日が経つにつれて、こんな顔だったくらいにしか思えなくなって気が焦る。見つけても分からないんじゃないか、すれ違って、そのまま関わることがないんじゃないか。好き。会いたい。その気持ちだけが先走ってることも空回りしとる事も分かってる。祐希が止める理由も分かる。でも…。

…はあ。やっぱり、難しいのかな。一時の夢だったと思うしかないんだろうか。



「もう、会えないのかなぁ」



『お姉さんひとりー?』


「!!」


『こんな夜道にひとりじゃ危ないよー』


『誰に会えないのー?おれら探してあげるよ!』


「いえ、大丈夫です。待ってるだけなんで」


『じゃあ一緒に待つよ。変な奴から守ってあげる』



まずい、絡まれてる。離れようと思って足を進めるけど、目の前に立たれて行く先を阻まれてしまう。怖い人には見えないけど、見知らぬ人に話しかけられてるだけで不安も恐怖も溢れ出て、怖い。



『待ってよー。人待ってんでしょ?来るまで付き合うって』


「………あの、本当大丈夫なんで」


『危ないって。おれら変なことしないよ、むしろ俺らの時間つぶしに付き合ってよ』



わちゃわちゃと騒ぐ男の人の声が、止まらない。それが未知すぎてどうすればいいのか分からなくて、しーちゃんが来てくれたらと現を抜かしてしまう。そんなのあるわけない、と苦しくなって泣きそうになる。



「ソレ、私の連れなんだけど」


『え?』


「!?」



声と同時に、後ろから腕を掴まれて体が強ばる。顔をあげた先、目の前の現実に夢かと思った。



『あ、お友達?きれいなお姉さんだね、どう、俺らと……』


「行かない」


『…あ、はい』



綺麗な人の、怖い声。流石の男の人たちもびっくりして固まった。ぴたっと動かなくなった男の人たちを置き去りにして、突如現れた『しーちゃん』は私の腕を引いて歩き出す。男の人たちは、呆気に取られたのか引いたのか、そのまま立ち尽くしていた。

少し強引だったけど、この胸の高鳴りはさっきとは違う。『どうして』よりも、やっと会えたことに歓喜していた。

ある程度離れてから歩くペースが緩くなって、降ってきた『しーちゃん』の声は低くて、怒られる、と思った。



「何してたの。危ないでしょ。気をつけなって言ったじゃん」


「………ごめんなさい」


「……ほんと、危ないから。ひとりで飲むならもっと落ち着いたとこに…」


「ちっ、違うんです!」



別に一人で飲みたかったわけじゃない。ひとりで歩きたかったわけでもない。そんな風に誤解されたくない。私の声に、目の前のその人は動きを止めて。私に耳を傾けてくれてるって分かった。それすら、心が苦しくなる。



「あなたを、探してて……。また会えるんじゃないかって、あれから…ずっと」


「………」



私の言葉に、しーちゃんは黙ってしまって。相手に口に出して自覚する。これは…重い、重すぎる。友人にもよく、『あんたの愛は重い!』と言われていた。これは引かれた。でも、ここまで来たら、逃がしたくない。



「…あの、なんで…私のこと二回も助けてくれたんですか、?」



偶然かもしれない。でも、居合わせたのが偶然でも、助けてくれるその行為はこの人の意思のはず。都合のいい答えが欲しくて、こんな質問をする。



「…ねえ、私の事探してくれてたんでしょ?」


「え?」


「お礼に、奢ってあげる。静かなところ行こ」



質問に答えられなかったことよりも『静かなとこ』に反応してしまうのは、仕方がない。ど、どうしよう。そんな心の準備してない。しーちゃん、紳士やと思ってたのにもしかして女遊びしてる人なんだろうか…。


――そういうのに慣れてるってことは――

一瞬、祐希が思い出されて頭を振った。





「………おしゃれなとこですねぇ、」



しーちゃんに連れられて来たのは、おしゃれで静かな、いわゆるBARと言うやつだった。隠れ家のような小さな入り口から入るお店。スタッフさんとは顔見知りのようで、しーちゃんは慣れたふうに手で『ふたり』と示すと案内されるわけでもなくカウンターに席を決めていた。なんとなく心がしょんぼりしてる気がしたけど、気のせい気のせい。しーちゃんに端を勧められて座る。静かな店だけど、お客さんが居ないわけじゃないから気をつかってくれたんだと分かる。そんな小さいことにもときめいてしまうくらい、心は馬鹿になっているんだ。



「賑やかなとこも嫌いじゃないんけどね。私もここは紹介できたんだけど、こういうとこ知ってて良かったって思うよ」


「そうなんですか?」


「うん。こういう時にね、大人ぶれるでしょ?」



少し子供みたいに微笑んで、気取らないあどけなさ。年上なんだろうな。私なんかより、たくさんのこと知ってそう。



「色んなこと知ってそうって思った?」


「……はい」


「ふふ。わかりやすいね」



大人の小さな話し声と、丁寧な食器の音、静かでゆったりとした、店の雰囲気。夢みたいな時間。お酒だけじゃなくて、この雰囲気に酔ってしまいそう。

また会いたくて下心に名前を聞いてみたけど、微笑んで『しーちゃんでいいよ』としか答えてもらえなかった。私は名前を聞かれて、素直に答えていた。だって、教えてくれないなら知ってもらうしかない。でもしーちゃんは、近づきすぎず離れず。近くにいるようで掴めない、そんな、人だった。

そんな夢みたいな時間は、お酒とともに微睡みに溶けていってしまった。



―――・・・

―――――――



「香帆。…香帆?」


「……んー?」


「ごめん、あんまり強くなかったのかな」


「そんなんじゃないです……私弱くないし、ぜんぜん」


「今日はもう帰ろ。香帆、家どこ?」


「……やだ。まだしーちゃんといる」


「それは嬉しいけど、今日は帰らないと、」


「やだぁ」


「………うーん…」



ふわふわした意識の中。でも、自分ではちゃんと喋れているし、明日の予定もないからまだここにいたい。駄々こねるようにカウンターに突っ伏して、足をバタバタと動かす。

だって、もう会えないかもしれないんでしょ?会う気なんてもうないかもしれない。この夢は、二度と見れないかもしれない。



「しぃちゃん…」


「…なぁに」



甘い声。優しい声。

私はきっと、一目ぼれをして。またこの人と会いたい。このままさよならなんてしたくない。でも、そんな私の願いは叶わなくて、まともにやり取りもできないまま、しーちゃんに体を立たされる。カラン、と音がして、店を出たんだと分かった。深夜の街は既に人気がなく、静かだった。バラバラな足音が、妙に耳についた。



「……しぃちゃん」


「……なぁに、香帆ちゃん」


「…なんで、私のこと助けてくれたの、?」


「ふふ。そればっかりだね。目の前で可愛い子が絡まれてたら助けるくらいするよ」


「…ちゃらいー。おんなたらしだ」


「そんなことないでしょ」



ほわほわしているのに、その言葉はしっかりと心臓に刺さる。痛い。あーあ、特別なのを期待してたんだな、私。



「しーちゃん、」


「なぁにー?」


「………好き、」


「-……」



なんとなく、しーちゃんの体が一瞬止まった気がした。その反応と、返事のなさに、酔ったことを理由に泣いてしまいたくなる。



「もう、大丈夫です。帰れます」


「…本当に大丈夫?せめて駅まで送るよ」


「いえ。大丈夫です」



ぐっと力を入れて、しーちゃんの体から離れる。少しふらつく体に、しーちゃんは手を伸ばしてくれたけど、その手に捕まらない様に手で制した。



「…また、会えますか」


「…きっと」


「…ずるいですね」



これ以上は、期待しちゃう。そして、掴めない希望にがっかりする。私は、別れの挨拶もしないまま背を向けた。酔いは冷めたと思ったけど、その辺が取り繕えないあたり、まだお酒の力は残っているみたいだった。



「香帆」


「…」


「危ないこと、しちゃだめだよ」


「…はい」



引き止まるとかじゃないんだ。ああ、やっぱり期待しちゃってた。返事だけして振り返らないで歩く。駅に近いお店だったから、数分で駅の改札に着いた。



「香帆」


「え?」



呼ばれて振り返る。そこには少し険しい顔をした祐希がいた。



「危ないって言ったじゃん」


「…ごめん。けど、祐希こそこんなとこでこんな時間に危ないじゃん」


「…そんなこと…!」



祐希がなんでいるのかとか、深夜と言えるこの時間に高校生がいることの方が危ないじゃんとかそんなことを思うのに、祐希の存在に安心したのか、涙が出た。



「…なんでいるの」


「香帆のこと待ってたんだよ。香帆がやることなんて分かってる」


「危ないよ」


「香帆に言われたくない」


「…ごめん」



そこからはこれといった記憶はなくて。祐希は特に私の泣き顔に何か言うこともなく、気づけば朝日とともに二日酔いが私を襲っていた。



「うーー…」



体は自分のベッドの上。でも、気持ちが悪い。頭が痛い。動けないほどじゃないけど、怠くてしょうがない。頭の中がごちゃごちゃする。砂嵐のように脳がぐるぐるする。

昨日は、男の人たちに絡まれて『しーちゃん』が助けてくれて。『しーちゃん』と小さなBARに行って、お酒を飲んで…それで。



「…」



会えて、話せたのに。何も、知れなかった。連絡先も、名前も。どこにいるのかも。

砂嵐みたいな感覚が落ち着いてから体を起こして、トイレに行く。気持ち悪いけれど吐き気まではなくて、リビングで水をコップ一杯飲みほした。時間を確認すると、まだ9時だった。お酒を飲んでの翌日にこの時間に起きるのは、自分にとって珍しい。二日酔いで二度寝ができなかったのかもしれない。一息ついて、ソファに座る。ベッドに戻っても良かったけれど、なんとなくそのまま体を起こしたかった。

スマホを開くと、祐希からメッセージが届いていた。



――体調大丈夫?夕方そっち行くから、欲しいものとか都合悪かったら連絡ちょうだい。



「…優しいなぁ」



そうだ。昨日は、祐希に会った。なんだか涙が止まらなかった。…ああ、そっか。お酒で取り繕えない心は、期待が誤魔化せなくて。祐希の声と姿に、何もこらえられなくなった。



「…ばかみたい、」



この恋が、じゃなくて。この恋に自分は特別なんじゃないかって期待していたことに。自分の声しか響かない空間。なのに、思わず笑ってしまう。本当、バカみたい。私が特別何てこと、あるわけないっていつも思っていたのに。本当の意味で分かっていなかったんだなって思い知らされる。

憂鬱で、体調も悪くて。私は何も考えない様に、目を閉じた。



――ピンポーン


「-……」



インターホンに意識が引き上げられて、寝ていたんだと気づく。ご飯食べていないけれど、水分は取っていたからか気分の悪さは軽減していた。

ゆっくり起き上がり、玄関を見るか悩む。数秒後、スマホにメッセージが届く。インターホンの正体は、祐希だった。



「や。寝てた?」


「うん。でも起きないと」


「体調は?」


「少し楽になった。大丈夫」


「これ。スポーツドリンク。インスタントの味噌汁も買ってみたけど、いる?」


「ふふ。ありがとう」



二日酔いバレてる。駅で会ったとき、相当酔ってたんだと笑えてしまう。けど、ほとんどは、祐希の優しさを感じて心が安らいだからだろう。

祐希は、私の一人暮らしのワンルームのアパートをしっかり把握していて。一本のスポーツドリンクを私に渡すと、冷蔵庫へと残りをしまった。そうして、奥に進んで私がさっきまで寝ていたソファに私を促すと、その後に座った。しっかり自分の分のコーヒーを持って。



「今日、どうする?」


「え?」


「夕飯。食べられそう?」


「大丈夫だよ。むしろ食べないせいで気持ち悪くなりそう」


「はは」



一日が終わってしまった感覚だけれど、こうして夕方ののんびりしたような空気に、こんななんでもない日常的な会話をして。すごく穏やかだった。寝る前の苦しさが、薄くぼやけていく感じ。

食事の話の延長線で、もしかして祐希がご飯作ってくれるのかと思ったけれど祐希から『じゃあどこ行く?』って言われてちょっと残念だった。



「なに?」


「祐希の手料理でも食べれるのかと」


「な訳ないじゃん。私のこと分かってないね」


「残念だなあ」


「いいからほら。風呂入ってきなよ」


「はーい」



昨日はそのまま寝てしまって今に至るから、頭はぼさぼさだし、あんまりきれいじゃないんだろうな。私は言われるがままシャワーへ向かった。

鏡を見て、化粧は落とさなかったし二日酔いの二度寝の寝起きだしで改めてひどい顔だと思った。こんな顔、家族や祐希ぐらいにしか見せられないな。そんなことに、少し笑った。祐希が来てくれて、心が癒されてると自覚するほど。

シャワーを浴びて、顔は少し丁寧にケアをしつつ祐希のもとに戻る。スマホを弄っていた祐希は、身だしなみを整えた私の姿を見て、笑った。



「なんだよー」


「ううん。美味しいご飯食べよ」



買ってきてもらったスポーツドリンクは、身体が乾いていたんだと分かるくらい短時間で飲み干して、祐希とともに外に出た。

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