火種が弾けて、世界は回り始める。
@kuon5711
第1話
ゆっくり流れるその時間は、間違いなく平等で。
早くも、遅くもない。いつでも、同じペースでその時を刻む。
でも、確かに。
その時は、時が止まったようで。でも、息をつく間もなく流れさってしまった。
「……、」
「香帆、タピオカ口から見えてるよ」
「えっ!?」
タピオカが口から見えてるのはやばいよ。気をつけなよ、と目の前に座る友人に真顔で言われてさすがにキツいものがあるとすぐさま口を閉じ反省した。
うん、どう考えてもやばい。グロい。
「まぁた『しーちゃん』?」
「………」
「そんなさぁ、名前しか…むしろ愛称しかわかんない人見つかんないって」
「………だって、またねって言ってた」
「そんなの、合コンの話でしょ。そんなのに行ってる人の言葉なんて信用しちゃだめだよ!」
「祐希、それは偏見じゃない?」
目の前の友人は、近所の2つ下の幼馴染で、背伸びして私の大学に来ている。けれど幼さや考え方は少しだけ偏っていて、他人への壁が厚い。
そんな子に心許されるのはとても嬉しいけど、あんまり自分以外の人といるのを見ないのも不安の種だった。
「祐希こそどうなの?友達。できた?」
高校と大学が併設するそこに編入してきた幼なじみは、よく大学に会いに来てくれる。今も、講義の休みの私に、祐希はサボりだと顔を見せに来ていた。
「え?別に、香帆がいればいいし、困ってない」
「そうじゃなくてさ、もっと話せる人出来たら楽しいじゃん」
「……それこそ偏見だよ、」
「………、」
幼さが残る、なのに、時々すごく大人びる。でも、それはどこか臆病な姿にも見えて。必死な背伸びなのか、そういう環境にそうならざるを得なかったのか
言葉を選びすぎて、何も言えなくなってしまう。
「…『しーちゃん』なんてさ、どこにでもいるじゃん」
「……そういうこと言わないで」
「しずく、しずか、しおり、しー……鹿?」
「バカにしてるでしょ!」
「えー。考えてるのに!」
『しーちゃん、行くよ』
『ああ、うん。じゃあまたね』
先週の週末。それは、人数合わせで行った合コンだった。慣れない環境に、お酒を進めてしまって、ボヤけた意識の中で、低い男の人の声がやけに近いなって思った。誰かに体を支えられているけど、あまりにしっかりしていて嫌な気持ちになって。でも、お酒の回った体は思い通りにならなかった。
気づけば、見知った顔は消えて、合コンにいた男の人に連れられていることに気づく。幸いにも、まだ店の中だった。
「……あの、大丈夫なんで、」
「ん?あ、大丈夫?」
「はい、すみません。あの、他の人は」
「向こうで飲んでるよ。鈴村さん辛そうだったから休ませようと思ってさ、」
「あの、いいです。戻ります」
「ええ?でも顔色悪いし、休もうよ、すぐそこだし、大丈夫だって」
「離して、戻りますっ」
握りしめられた腕が、痛いくらいになって不快感が恐怖になる。怖くて、心臓がどかどかと動いてお酒も周りにも拍車をかける。力の入らない体をぐいっと強く引かれて、連れ込まれる瞬間、
『なにしてんですか』
「!?」
『その人嫌がってんでしょ。勘違いされますよ』
芯の強い口調と声に視線を上げると、少しきつい顔の綺麗な人がいた。代わるように支えてくれる手がすごく優しくてびっくりした。
「な、んだ、お前!」
「…ちょっと栞奈、けーさつ」
「はーい」
後ろから返答が来て、もう一人の存在に気づく。
「は!?なんでだよ!」
「やましいことしてなきゃ別にいいでしょ」
綺麗なその人の口調に苛立った男の人が掴み掛かかる。腕を掴まれたその人は、至近距離で睨み合って一息吸い込んだ。
「すいませーーん!助けてくださーーい!」
「っ!??」
その瞬間にカメラの音がして、『かんな』と呼ばれたその人が、現場を収めていた。
「殴る?脅す?いいよ、人も来るしね」
「っくそ!」
「……、」
乱暴に離されて、突き飛ばされたようにも見えた。けど、その人は。なんでもないように私に背を向けている。男の人はこのまま出ていくつもりだったのか、席に戻ることなく出て行った。そのことに、ぞっとした。
「しーちゃんやめなよー、綺麗な顔に傷付けるようなことしないでー。」
「はいはい、」
「顔好みなんだって言ってんじゃん!」
「うるさいな、栞奈には彼女いるんだからそういうのやめなよ」
「………あの、」
何でもない様に話し続ける二人に、頑張って声を出す。お二人は同時に私を見た。視線が上から来て、その身長を感じた。
「「ん?」」
「あの、ありがとうございます…」
「気をつけなよ、危ないじゃん」
「、はい、」
「……何も無くてよかったね」
「え?」
安堵したような優しい声が聞こえて、思わず胸が締め付けられる。泳いでいた視線を上げれば、視線がぶつかって、この時しっかり顔を、姿を、自分の視界に写し込んだ。スレンダーな体型。でも決して華奢ではない。きついと思ったその顔は、とても柔らかかった。
「…………、」
「大丈夫?」
「あ、、はい、」
綺麗で、可愛い。でも、その仕草や口調は紳士的な気もした。
「……」
「…………」
視線が外せないままの私に、その人は微笑んでくれて、でも、それ以上なにがあるわけでもなく、その時間は終わってしまう。
「しーちゃん、行くよ。」
「ああ、うん。じゃあまたね」
「……………」
私は言葉を発せなくて。それこそ口が開いていたかもしれない。棒立ちしていると、遅れてやってきた店員に呼ばれた同僚が、大慌てで抱きついてきた。色々言われた気もするけれど、頭の中は『しーちゃん』でいっぱいで。まともな返事も出来なかった。
「…しーちゃん、」
「はぁ。香帆、それさぁヤバいやつじゃないの?」
「え?タピオカ出とる?」
「違う!その『しーちゃん』て人だよ!」
祐希は心配してくれているのか、知らない人への警戒心か、どうしても『しーちゃん』をいい方に解釈してくれない。むしろ反対してくる。
「だって男の人に掴まれても平気だったんでしょ」
「かっこいいよね」
「そういうのに慣れてるってことはヤンキーとかだったりするわけじゃん!」
「うーん。そんな感じはしなかったけど」
ヤンキー……。でも、『しーちゃん』は優しかった。守ってくれたし、別にヤンキーだからってヤバい人にはならんと思うけど。…いやその見境なさが良くないのかも。よく恋は盲目というし。私は今、危険センサーが壊れているのかもしれない。とはいえ、祐希のセンサーは敏感すぎると思うけど。
―真野祐希
香菜には友達なんていないって言ったけど、それはまるっきり本当ではなくて。でもその人を友達という括りにしていいのか分からないとも思う。
「よ、真野。黄昏てるねえ」
「……うるさい」
「相変わらず可愛くない」
香帆が講義に行っちゃったからその間は、サークルの一部屋に入り込む。何をするわけでもないけれど、人のいない静まり返った空間はとても心地が良い。
香帆に内緒で入り込んだ先で、サークルのメンバーだと自称する『萩野』に会った。いい距離感で話してくれるから、個人情報は伏せたままでも居座っても何も言ってこない。
「萩野さん、この間チャラい人と絡んだ?」
「んえ?チャラいやつ?……えー……?」
「………、」
友達がいる、話す人がいる、それが大切なことは分かる。でも。それが、楽しいに直結するかは、頷けない。
「ああ!」
嫌な、予感しかしない。世界は、嫌な予感は当たる癖に、いい事は当たらない。そんなもんだ、と思う。
「チャラいかどうかは知らないけど、この間呑みに行った先で、女の子連れ込もうとした男がいたね」
「………」
「…それがどうかした?」
「それ、どうしたの」
「真野が気にすんの珍しくない?」
「………」
「誰かいる―?」
自分と萩野さん。それと、もうひとつの声が混ざる。聞き慣れた、声。ここで何度か会話したこともある。主に萩野さんと話しているのが耳に入るだけだけど。でも別に、友達じゃない。
「なにー、」
「やっぱりここに居た。スマホくらい持ち歩いてよ」
「ごめんごめん」
呆れ声とともに現れたのは、背が高くて、芯の強そうな目。自分とは少し違う、女性にしては低い声。
「あ、この間チャラいやつに絡んでたの、真野が知りたいって。いつの間に話広がったんだろうね。さすがに騒ぎにしちゃったかな」
「……早めに店出たと思ったけどな」
「………」
友人じゃない。友人の、親友。話すことはあったけど、萩野という存在がなきゃ、きっと関わることもなかった。どこにでもいる、『しーちゃん』の愛称を持つ人。
「別に、大したことしてないよ。真野ちゃんも、飲みに行くときは気を付けてね。そういうの狙うやつってどこかにいるから」
教えてくれないのかよ。子供を相手にするように微笑まれていらつく。でもそれを表すのも、なお子供の気がして言葉が出ていかなかった。確証が持てないままに、嫉妬だけが渦巻いた。
「………、」
会話したことのある、程度の知り合い。互いの名前も肩書きも知ってるけど、プライベートなことはほとんど知らない。
高校生と大学生。成人と未成年。学生と社会人。
交友関係だって違う。たまたま一人重なってる人間がいただけ。互いの世界は、擦れる程度の関わり。でもその人と『友達』だったとして、これからの出来事が楽しくなるかって言ったら、それは違う。
「でも真野ちゃんが気にするなんて珍しいね」
「……知り合い、だったんで」
私の言葉に、その人はやっと微笑みを消す。まさか、そのチャラい人が知り合いなんて勘違い、しないですよね?
「………」
言葉が出なくなるのは、今度は『しーちゃん』の方。
「渡しませんよ、」
「…………。」
友達なんて、親しいものじゃない。
知り合いなんて、遠いものじゃない。
「え?なに、なんか面白そうだね」
そんな、呑気な『萩野栞奈』の声は、何かの火種が弾けた合図だった。
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