第二章 第一話「北から来た修羅、南の街を歩く」

札幌、旭連合本部——。

重々しい空気が漂う本部奥の会議室。そこには、会長・梶原昌信の姿があった。背筋を伸ばし座るその姿には、年齢による衰えなど微塵も感じさせない。静かに、しかし確実に力のある眼差しで、夜風を見据える。


「……で、お前の目から見て、宋 傑明はどうだった?」

低く落ち着いた声が響いた。


「一人で突っ込むには…化け物でした。龍吾の兄貴が囮になってくれたから、俺は生き延びた。だけど、あの人の行方は未だ分からずじまいです。」


一瞬だけ、梶原の眉がぴくりと動いた。

だが、言葉は慎重に、重ねられた。


「……そうか。あの堂島が、な。死んだとは思いたくないが……生死不明。だが、それも覚悟の上だ。夜風、次の任務を命ずる。福岡へ行け。」


梶原の声に、室内の空気がさらに引き締まった。


「福岡、ですか……?」


「旭連合・博多支部に動きがあった。どうやら黒龍会と手を組んでる“カポ・デル・ソル”って名のイタリア系マフィアが、九州一帯に触手を伸ばし始めた。奴らの動き、探ってこい。」


「了解です。」


「それと……お前の動向は、俺が直で追う。好き勝手にはさせんぞ。……夜風、お前は札幌で多くを失った。だが、これ以上失うな。八木沼の件もある。次は無いと思え。」


その言葉に、夜風はわずかに目を伏せた。

八木沼の死。目の前で、あっけなく散った兄弟分。何もできなかった自分。夜風の奥底に眠っていた怒りと悔しさが、静かに胸を締めつける。


「……はい。」


梶原は立ち上がり、最後にひと言だけ言い残した。


「三日後、福岡入りしろ。博多支部にはすでに話は通してある。……行ってこい、夜風。」


その晩。

夜風はいつもの場所――「みさ乃」にいた。

白木のカウンター、暖色の照明、奥から響く出汁の香り。すべてが、戦場とは無縁の世界のように思えた。


「……福岡、行くんだね。」


そう言ったのは、美咲。女将としてみさ乃を切り盛りする彼女の声には、心配と、それ以上に理解がにじんでいた。


「行ってくる。……黒龍会を潰すには、あの“カポ”って奴らの動きも見ておかないといけない。旭連合が、札幌だけの組じゃないってことを……俺も改めて知ったよ。」


夜風はそう言いながら、湯飲みに口をつけた。

渋いお茶の香りが、少しだけ心を落ち着けてくれる。


「……龍吾さんのことは?」


「分からない。でも、俺は信じてるよ。あの人は、簡単に死ぬような男じゃない。」


美咲は微かに微笑んだ。

けれど、その目は少しだけ赤くなっていた。


「……お願い。どうか、無事で帰ってきて。……あなたがいなくなったら、私……」


その言葉に、夜風は静かにうなずき、返す言葉を飲み込んだ。

そして、店を出た。


向かったのは、小さな墓地。

鷹山護――かつての兄弟分の墓の前だった。


「……護。俺は今から、福岡に行く。黒龍会の次は、カポって連中だ。こんなにも戦いが終わらないなんて……思ってもみなかったよ。」


夜風は、タバコを一本取り出し、護の墓前に置いた。


「でもな。お前の仇は、絶対に取る。龍吾の兄貴も……必ず連れ戻す。何があっても、俺はこの道を引き返さねえ。」


そして、その夜は静かに更けていった。


三日後。

博多駅。人混みと観光客にまぎれて、夜風は福岡に降り立った。

空気が札幌とはまるで違う。温暖で湿度が高く、どこか騒がしい。

空港から渡された地図を頼りに、旭連合・博多支部のビルへと向かう。


黒いスーツの男たちが出入りするそのビルは、派手さはないが威圧感があった。

中へ入ると、すでに連絡を受けていたらしい幹部の一人が姿を現す。


「おう、あんたが“北の修羅”か。夜風さん、だな?」


現れたのは、旭連合博多支部の若頭・志摩隆之(しま・たかゆき)。

年は夜風より少し上。浅黒い肌に銀のチェーン、鋭い目つき。いかにも九州育ちの“現場叩き上げ”といった風貌だった。


「志摩です。梶原会長から話は聞いてます。カポの連中の動き、最近になって妙に活発でね……俺らも気を張ってるところっす。」


「組織の規模は?」


「はっきりとは分かっちゃいませんが、数十人規模の小隊を博多に置いてる模様です。ただし、上には直接会ったこともない怪物が控えてるらしくてね……“ジェンナーロ”って名の幹部がいるって噂です。」


夜風は目を細めた。


「札幌での黒龍会の手口と似てるな……水面下でジリジリ攻めてくる。」


「そうっす。向こうは麻薬、人身売買、違法賭博、全部網羅してます。しかも、警察にもかなり金をばらまいてるって話で……博多の連中、みんなピリピリしてますわ。」


志摩は煙草に火をつけながら、天井を仰いだ。


「正直、あんたが来てくれたって聞いたとき、みんなホッとしたんです。“北の修羅”が博多に来るってんで……」


「修羅って呼ぶなよ。あれは札幌での名前だ。」


「へっ、そりゃ悪い。でもな、あんたには“空気”がある。血の匂いを背負った男の空気がよ。」


夜風はその言葉に何も返さず、ただ窓の外に目を向けた。


札幌から遠く離れた南の街。

ここにも、また別の地獄が待っているのだろう。


だが、引く気はない。

俺の戦いは、まだ終わってない。


——夜風は、また歩き始めた。

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修羅の華 くさかみみ @daihuku723

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