その二 桃香の行方を追って

 真千子まちこ幸子ゆきこの手を引いて、市場の隅にある空き地に急いだ。


 その後を老夫婦が追う。


 「爺さん、あんたは腰が悪いんだから家で待ってな」


 「孫の暴走を止めるのも、じいじの役目じゃろが!」


 やいのやいのと喧しく喧嘩をしながら、空き地に到着する。


 「あれ?」

 真千子が目を丸くさせる。


 そこには、誰も居なかった。

 ただ、ここに少年たちが来た証拠であるのぼりの付いた竿が地面に転がっていた。


 「子供たちはどこに――」


 その時、ガサゴソ……と空き地を囲う柵を潜って、小さな男の子が姿を現した。

 

 「あの子……悪童わるがきたちのひとり!確か、かけるって名前よ!」


 指をさされ、翔はぎょっとして動きを止めた。


 「おや、この辺じゃ見ない顔だね」


 「解放地区に移ってきた子じゃないかの?」


 解放戦線によって奪還された地区に居住可能な最小限のライフラインが設置されると、そこに移り住む人々が現れた。


 セクターのゲートを通ってきたため身体検査は終えているはずであるが、人流を管理するにはあまりに人手が足りず、『見覚えのない顔』がたまに紛れ込んでいる。


 大抵は両親のいない、孤児である。


 「ねえ、ちょっと」


 幸子がかけるに近づく。


 声をかけられた翔は、ハッと驚いて恥ずかしそうに下を向いた。


 「私は幸子ゆきこっていうの。あんたとそのお友達がここで会った小さな女の子の、お母さん」


 翔は了解したように顔を上げる。


 「何があったか、話してくれる?」


 再び顔を下げた。

 とても悲しそうな目をしている。


 「……黙ってばかりじゃ先に進まないよ」


 幸子は、翔の小さな肩に触れた。

 翔の体がぴくりと震える。


 (この子は、何か嫌なことがあったのね……大人を信用できないのかも)


 しかし、翔はうつむいたまま、空き地の外に向かって腕を伸ばした。

 その指先はある方向を示していた。


 「市場に向かった……そうだろう?」


 みつ子がそう尋ねる。


 そして翔の手を取って、

 「噛みついた女の子はね、桃香って言うんだ。あたしの大事な宝物さ。探すの手伝ってくれるね?」


 「もも……か、うん、分か……た」


 翔はコクリと頷いた。




 * * *




 「ああ、桃ちゃんなら知っているよ。この大通りを通って行った」


 市場の顔見知りである食品売りは桃香を目撃したことをあっさりと認めた。


 「通って行った……独りで?」


 「いや、白衣のようなものを着た大人たちと一緒だったな、あと二人の少年」


 翔がピクリと反応する。


みつ子は翔の小さな頭をポンポンと撫でながら、

 「その白衣ってのは何者だい?」


 「さあ、最近はよく分からんのが多いから。でも保健所っぽい雰囲気だったね」


 「保健所送り……」

 (噛みつき行為に対して厳しい対応を取るのは間違いない。

 桃香も少年たちも感染していないか、 検査のために軟禁されちまったかね……)


 「行き先は……知らないかい?」


 「さぁ、そこまではな。皆でピクニックなら、裏通りの――」


 「ちょいと、ずいぶんと暢気のんきな言い草だね。心配ないってのかい?」


 「桃香ちゃんは元気そうにしてたからね。白衣の一人と手を繋いで『パパッ!パパッ!』ってさ」


 幸子が思わず目を丸くさせる。

 「パパって……桃香は誰と会ったの!?」


 「幸子、落ち着きな」

 

 (和彦さんは、あの時百貨店で私たちをかばって……)

 みつ子は二か月前のことを思い出し、苦虫を嚙み潰したように眉目を寄せる。


 「……大丈夫?みつ子さん」


 「ああ、世話んなったね。今度、沢山買ってくよ」


 「あっ!みつ子さん!そういえばこの前、白衣の人と会長さんが話しているのを見たよ」


 「会長、虎ちゃんか……」

 洋司は困ったようにつぶやく。


 


 * * *




 「おう!洋司!おめぇさんずいぶんとご無沙汰じゃあないのかい!」


 虎三郎とらさぶろうは市場を総括する組合室の畳の上に胡座をかいて花札に興じていたが、洋司を見るなり膝を叩いて立ち上がった。


 「虎ちゃん、相変わらず博打か。少しは家族を大切にしたらどうだ?」


 「バッカだね。生きてるうちが華なのよ死んだらそれまでアンデッド!ってな、身を持って伝えてんのよ俺ぁよ。や、これはみっちゃん!久しいねぇ。後ろの別嬪べっぴんさんはユキちゃんかい!?大きくなったなぁ……」


 一気にまくし立てるように喋り、勝手に目元を潤ませた。そして真千子と翔を見て、

 「お孫さんたちも元気そうで何よりだねぇ!桃香ちゃんにター坊か!……ん、ター坊ってのは誰のことだい?」


 「こっちが聞きたいよ虎ちゃん。今はお前さんの話に付き合ってる暇はないんだ」


 洋司は、桃香を連れて行った白衣の様相を手短に伝える。


 「そりゃ、らざろうさんとこの連中よ。解放戦線にコネありってぇ話でね、ウイルス検査キットを沢山持ってるから皆の不安を解消してぇんだと」


 「検査キット……」


 「俺もあいつらにちょいと協力したけどよ、どうかしたのかい?」


 「桃香を連れていかれた」


 「なんだって!?じゃあ、そこの嬢ちゃんは?」


 真千子はササッと幸子に隠れた。

 虎三郎の渋い顔が苦手らしい。




 * * *




 虎三郎の話では、長岡らざ郎はセクター内に検査所を設けていた。


 体調が悪くなり、「ひょっとしたら罹患したかも」と不安に陥った人々を安心させるために開業したらしい。


 検査所まで案内した虎三郎が景気よく戸を叩く。

 が、全く返事がなかった。


 「らざさん!いねぇか?……おっと戸が開いてら」


 引き戸はしかし、僅かな隙間を作ってからガタピシと開かなくなってしまった。


 「困っちまったね、猫にでもならなけりゃ通れないよ」


 「引き戸ごと外したら?」と幸子。


 「ユキちゃん、俺の顔も立ててくんなきゃ困るよ……」


 と、無駄話の大人たちの合間を潜って、翔がなんなく戸の隙間に入って行った。

 そして、戸はガタガタ……と音を立ててガラガラ……と開いた。


 「おう、やるじゃないのター坊!」


 虎三郎が頭を撫でようとすると、翔は吃驚して検査所の奥へと引っ込んでいった。

 車下の猫みたいな目をして翔は睨みつける。


 「そんなにビビんじゃないよ。何も取って食おうってわけ……」


 薄暗い検査所の隅、翔の背後のカーテンがふわりと揺れた。


 一瞬、キラリと何かが光った。


 二つの、何かを狙うような……眼!?


 「ター坊!あぶねぇっ!!!」


 虎三郎は駆け込んで、翔をかばうように腕を伸ばした。


 そして、

 「うわっ!ちきしょう!!!」

 

 「虎ちゃん!」


 翔を護った虎三郎の腕を、アンデッドが噛み付いたのである。

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