津田夕貴の恋の行方や、いかに!

泡波奏多

第1話

(よし……よし! 今日、今日こそは、北条くんに声をかけるんだ!)


 津田夕貴つだゆうきは至って普通の男子大学生、そして内気なゲイである。

 歯科医の父と歯科衛生士の母の間に生まれ、一年前の春から父が通っていた有名私立歯科大学に入学し、日々歯科に関する専門知識を学んでいる。ちなみに成績は今のところ、そこそこ良い。

 

 そんな彼が一目惚れしたのが、そう。

 津田の視線の先で、ぼーっと宙を眺めている北条里仁ほうじょうりひとである。

 

 津田自身、別にコミュ障というわけではない。むしろ初対面の相手だったら、自分から話を切り出してある程度まで仲良くなることくらい、お手のものと言っていいほどだ(自称)。

 しかし彼には一つ問題点があった。

 

 それは、超絶惚れっぽい性格かつ超絶奥手だということ!

 

 読者の皆さんも経験あるだろう、好きな子ができちゃった時に感じる、微妙に作ってしまった壁のような距離感。

 だいたい半数の人はこれを乗り越えて付き合うルートに乗るのだが、残りの半数は壁の向こう側で日々視線を飛ばす寂しい日々を送っているのだ。

 

 津田も例に漏れず、後者の一員である。

 小学校、中学校、高校。

 大体どんな環境でもクラスメイトに片思いをしてきたが、結局一つとして実ることはなかった。

 だって壁が越えられない奥手野郎だから。


 そんなわけで、大学生になって初めて恋をした相手である北条には、一年と二ヶ月経っても声すら掛けられていないという悲惨な状況に陥っているのである。

 

(今日こそは、今日こそは……!)


 そんなこんなで、とうとう陰から覗いてばかりの暮らしに嫌気がさした津田は、北条に話しかけるための綿密なシミュレーションを脳内で高速演算しつつ、ゆっくり立ち上がった。

 わさわさと同学年の大学生がひしめく講義室の中、視線は常に北条をロックオンしている。

 想定問答は、それこそ国会議員くらい完璧に用意してある(脳内に)。


『やァ、こんにちは北条クン。今日は午後から雨らしいけど、傘はあるかい?』

『君は津田クン! そうなのか。実は傘ないんだ……』

『なんと! じゃあ帰り道は僕が一緒に入れてあげよう』

『本当かい!? 優しいなァ、津田クン! これからよろしくね!』


 キャッキャ、アハハ、ウフフ……


 ……などというのが、津田の脳内で繰り広げられている想定会話である。

 お気付きだろうが、これは昭和のラブコメでも無ければ平成の学園ドラマでもない。

 ガッツリ令和の歯科大学が舞台である。

 

 当然こんなにすんなり会話が進むわけないのに、恋愛脳津田はそれに気付けない。

 そうだ。

 日本の未来は暗い。


(よし、落ち着け、落ち着け……ちょっと話しかけるだけだ……)


 ところで、津田の在籍している歯科大学では、一学年が百五十人前後である。

 歯学部は医学部と同じく六年制であるので、休学や留年といった特別イベント(不謹慎)が起こらない限りは基本的に同じメンツと顔を合わせる日々が延々と続く訳である。

 無論、百五十人というのは少ない。

 この中で勝手にグループが出来ていき、小さな派閥のようなものが乱立し始める。

 そんな状況でも大体の学生はお互いの顔と名前ぐらいは分かるのだ。


 津田は時計をチラリと見る。

 今はちょうどお昼休みの後半、一二時半である。

 この第二学年がメインで使用する第二講義室は、お昼時に外食へ向かう学生が多いせいで少し閑散としている。

 午後からは歯科解剖学の実習講義が入るので、あと五分くらいしたら別の教室に移動しなくてはならない。この移動も、大体みんなグループのメンバーで連んで行う。さながらトイレに向かう小学生女子のように。


 北条は津田と全然関わりのない、連番(学生番号が連続している学生という意味)の男たちで組んだ大きめのグループにいるため、今を逃したらまた先延ばしになってしまう。

 それよりも早く話しかけなければ、と焦る津田。


(平然と……そう、何も怖いことないんだ。相手はあの北条くんだ、きっと俺にも笑顔で接してくれるはず......!)


 津田の脳内で、明るく元気で優しい(設定の)北条がニコッと微笑んでいる。

 その妄想から活力を得るという、完全自給自足状態のエネルギー循環人間津田はぎこちない動きで、一歩、また一歩と北条の近くへと忍び寄る。


 相変わらずぽけ〜っと宙を眺めている北条は、何を考えているか分からない表情でじっと座っている。


(可愛い! なんか小動物が満腹になって何もすることがなくなった時みたい! やっぱり北条くんしか勝たん! 好き!)


 距離にして約二メートル。

 一般的なパーソナルスペースギリギリの距離に背後から忍び寄った津田の喉が鳴る。

 ごきゅり。

 普段は気にも留めないような自然音が、やけに際立って聞こえるには一種のカクテルパーティ効果だろうか。いやシンプルに緊張だろうな。


「......ほ、ほうじょ「里仁! 移動すっぞ!」


 津田が勇気を振り絞って出した恋する人の名前は、あっさりと別の誰かに遮られて雲散霧消してしまった。

 思いもよらぬ展開に、固まる津田。

 そんな津田の横を、狭い通路なのにスルッと通り抜けたのは北条と同じグループに入っている男子学生____宮下である。

 水泳部らしくがっしりとした肩幅のソイツは、津田が触れたことすらない北条の肩をガシッと掴んでガサツに揺さぶった。


「わわっ、わぁ......はいはぁい、今行くよ」

 

 少し間延びした、気怠げな柔らかい声が北条の小さな口から漏れる。

 彼は、自分の茶色い癖っ毛の前髪を指でいじりながら、宮下に促されるようにして立ち上がった。そのまま解剖学の教科書とタブレット端末を手に取り、宮下の腕に寄り添うようにして津田の真横を通り過ぎる。

 

 この間、ビビリ野郎津田は何をしていたか。

 

(クッッッッソ宮下の野郎め、北条くんと一緒に移動とか! 見せつけやがって!)


 心の中ではハンカチをビリビリに噛み裂きながら、現実ではあらぬ方向を眺めた姿勢のまま固まっていたのである。北条と宮下が真横を通り過ぎた後、数十秒同じ姿勢で固まっていた津田は、二人の姿が講義室から消えた後に大きく息を吐いた。


「……また今日もダメ、か」


 やっと勇気を出して行動する段階まで来たものの、未だ本懐は成し遂げられていない。

 ぶっちゃけ大学生の人間関係構築なんて、共通の話題を用意すればお茶の子サイサイみたいなもんであるが、そこに恋心が絡むと一気にややこしくなるのだ。

 その辛さを身を以て思い知る津田。


(はぁ〜あ……まぁ、仕方なし。そろそろ俺も実習室行かないとな)

 

 首を振って、後悔の念を振り払う。

 ......普段よりかなり仏頂面なのはご愛嬌。

 

 愛用している少し前の世代のタブレット端末と、“シェーデル”という人間の頭蓋骨を模した模型を手に取り、解剖学の実習室へと向かう津田。

 廊下を歩いている最中、彼はふと思い出した。


(そういや北条くん、シェーデル持ってなかった気がするなぁ)


 まあ、周りの誰かから借りるだろう。

 そんな風に心の中で納得させた津田は、少し小走りで解剖学実習室へと足を急いだ。

 

 件の北条とのファーストコンタクトが、彼が思うよりも遥かに早くやってくることを知らずに。

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