血染めのライラック
ウエノアオイ/十字路の猫
プロローグ
白い壁と、ステンドグラスから差し込む色とりどりの光。いつもは優しいオルガンの音も、今日はどこか悲しげに響いている。僕は、教会の長い木の椅子に座って、祭壇の奥にある白い棺を見つめていた。
あの中に、マリアのお母さんが、眠っている。
ほんの数日前まで、優しく笑いかけてくれていたマリアのお母さんが、もうこの世にいないなんて、どうしても信じられなかった。
マリアは最前列にうつむいて座っている。マリアのお父さんは、マリアが5歳の時に交通事故で死んでしまった。今から6年前のことだ。それから、マリアのお母さんはお父さんがいない中、愛情をもってマリアのことを育てていたはずだ。僕とマリアは家が近くて、幼稚園も同じで、その時から仲良しだ。友達の少ないマリアと、僕はいつも一緒にいた。小学校に上がってからも、僕はよくマリアの家に遊びに行っている。僕が遊びに行くと、マリアのお母さんはいつでも喜んで迎え入れてくれていた。時々、クッキーを焼いてくれていたっけ。
でも、半年前に心臓の病気が見つかって、マリアのお母さんはあっという間にいなくなってしまった。もう、マリアの両親は2人ともこの世にいないんだ。
マリアの隣には、マリアの兄であるヨウスケ兄ちゃんも座っている。ヨウスケ兄ちゃんの背中も、いつもよりずっと小さく見える。
僕はヨウスケ兄ちゃんとも、小さい頃からずっと一緒に遊んでいた。近所の公園で秘密基地を作ったり、自転車で少し遠くまで冒険に行ったり。マリアが一緒の時も多かったけど、時々、二人でキャッチボールをして遊んだりもした。兄ちゃんはいつも優しくて、僕のどんなわがままにも付き合ってくれた。僕が小学校に入ってからは、ヨウスケ兄ちゃんは中学に入って少し忙しくなったけど、それでも時々時間を見つけて遊んでくれた。
ヨウスケ兄ちゃんが大学に入ったのは今年の春だった。希望していた大学に合格した時の、兄ちゃんの嬉しそうな顔を今でも覚えている。これから一人暮らしを始めるんだって、少し寂しそうだけど、でも新しい生活にワクワクしている様子だった。
まさか、こんなことになるなんて。
僕は二人から目を離し、窓の外に見える、すっかりさみしくなった木々を見つめた。12月。年の暮れに、こんなことが起こるなんて、春に想像できただろうか。
マリアの家族は、XXX教という宗教を信仰している。小さい頃から、マリアやヨウスケ兄ちゃんから、その教えについて色々な話を聞いた。XXX教では、人が死んで棺に入る瞬間が、その人にとって一番美しい姿だと教えられているらしい。苦しみから解放され、安らかな眠りにつく、その姿こそが最も尊いのだと。
XXX教にはほかにも、色々な教えがあった。家族を大切にしなさい、困っている人には親切にしてあげなさい、毎日、神さまに祈りなさい、ほかにも、いろいろあるそうだ。それを守らないと、死んだ時に天国へ行くことができないのだと。天国では、生前の行いが清らかだった者だけが、美しい姿のまま、先に逝った家族全員と再会することができるのだそうだ。僕の家族はXXX教とはかかわりがないけど、マリアやヨウスケ兄ちゃんとよく遊ぶ僕は、それなりにXXX教にも詳しい。
マリアのお母さんは、XXX教の教えを深く信じていた。いつも穏やかで、誰に対しても優しく、教会の活動にも熱心に参加していた。だからきっと、今、天国で先に亡くなったマリアのお父さんと再会して、幸せに過ごしているに違いない。
でも、マリアとヨウスケ兄ちゃんのことを考えると、胸が締め付けられるような気持ちになる。お父さんが亡くなってから、お母さんは二人にとって、たった一人の大切な家族だった。そのお母さんまでいなくなって、これから二人はどうなってしまうんだろう。まだ幼いマリアのこと、大学に入ったばかりでこれからという時のヨウスケ兄ちゃんのことを思うと、いてもたってもいられなかった。
葬儀が終わって、参列者が一人、また一人と教会から出て行く中、僕はマリアのそばにそっと近づいた。マリアは、祭壇の方をじっと見つめて、小さな肩を震わせていた。
「マリア…」
僕が声をかけると、マリアはゆっくりと顔を上げた。その瞳は赤く腫れていて、今にもまた涙が溢れそうだった。
「…マサキ」
マリアの震える声が、僕の名前を呼んだ。僕は何も言えずに、ただマリアのそばに座り込んだ。
しばらくの沈黙の後、マリアはぽつりぽつりと話し始めた。
「お母さん、きっと幸せだったんだ」
僕は、マリアの言葉の意味がすぐに理解できなかった。
「だって…だって、一番キレイな姿で、私たちに見送ってもらえたんだもん」
マリアは、そう言うと、少しだけ微笑んだ。その笑顔は、無理をしているように見えて、僕の心を締め付けた。
「お母さん、いつも言ってた。『死ぬ時は、一番美しい姿でいたい』って。XXX教の教え通りに、苦しまずに、安らかに眠るように逝けたんだから…きっと、天国で、お父さんと会えているよね」
マリアの言葉は、幼いながらも、XXX教の教えを深く信じていることを物語っていた。死んだお母さんが美しい姿で天国へ行ったのだと信じることで、マリアは悲しみを乗り越えようとしているのかもしれない。
「棺の中のお母さん、とても綺麗だったね」
僕はマリアの目を見つめて言った。マリアはまた少し微笑んで、頷いた。
「私も…私も、いつか死ぬ時は、お母さんみたいに、一番美しい姿でいたい。」
マリアは、そう言って、祭壇の奥の白い棺をじっと見つめた。その小さな瞳には、強い決意のような光が宿っているように見えた。
「それで、天国でお母さんやお父さんに会うんだ。」
小さくも、はっきりした声でそう言った。純粋な気持ちが、僕の胸に深く突き刺さった。
マリアのことを、僕は、これからもずっと守り続けたいと思った。あのお母さんの分まで、ヨウスケ兄ちゃんと一緒に、マリアを支えていきたい。まだ小学五年生の僕には、具体的に何ができるかわからないけれど、それでも、マリアのそばにいて、マリアの笑顔を、ずっと守りたい。
教会の外に出ると、優しい春の光が僕たちを包み込んだ。マリアの瞳には、まだ深い悲しみの影が残っていた。僕は、マリアの小さな手をそっと握った。マリアは、少し驚いたように僕を見上げたけれど、すぐに、小さく微笑んで、僕の手を握り返してくれた。その温もりが、僕の心に、かすかな希望の光を灯してくれた気がした。
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