last.星の目印
―湊―
梅雨はどこへ行ってしまったのか、不思議なくらい晴天だった。
「湊先生、本当に帰っちゃうんだね」
「寂しいー……」
見送りに来てくれたバスケクラブの子ども達が、次々に声をかけてくれる。
「また遊びに来てくれるでしょ?すぐ夏休みだもんね!」
「皆んな、待ってるからね」
「うん、ありがとう……絶対遊びに来るから」
答えながら、何度も腕時計に視線を走らせる。
もう港には連絡船が来ていた。出発の時間まで、もうほとんど時間が無い。
なのに、千晃の姿が見えない―。
「あの、湊先生……」
「ん?」
何故か少し恥ずかしそうに、水野さんが声をかけてくる。以前、川にハンカチを落として泣いていた子だ。
「あの、あのね」
「どした?」
「写真撮りたい」
「おー、撮ろっか!皆んなで……」
「違うの、二人で!」
「え?ああ、良いよ」
「本当?」
ぱっと嬉しそうに頬を赤らめた様子を見て、何となく察した。ちょっとむず痒い心地になる。
水野さんは友だちに自分のスマホを渡すと俺の隣に来た。背を合わせるように少し屈んで、カメラに向かって笑顔を作る。
撮れた写真を確認した友だちが、何か水野さんに耳打ちした。水野さんは、顔を真っ赤にして首を横に振っている。
「どーした?」
声をかけてみると、水野さんは意を決したように
「湊先生、彼女いるのっ?」
と聞いてきた。苦笑を返す。
「いないよ」
「えっ本当?」
「あっ……でもその、何ていうか」
「おーい、なに口説かれてんだよ」
―ずっと待っていた声が、不意に背後から聞こえてきた。
「あれ……ええ!千晃くん!?」
「髪の毛……!」
俺が振り返るより早く、周りにいた女の子達からどよめきの声が上がる。
何事かと思いつつ振り返ったら、予想していなかった姿がそこにあった。
「ごめん、湊。遅くなった」
「え、千晃……ええっ?」
驚きで言葉を失う。
陽に透けるような明るい金髪が、真っ黒に変わっていた。目元にかかるくらい長い前髪はすっきりと分けられ、凛々しい眉毛が覗いている。
「いつ染めたの?まさか今?」
「いや、昨日の夜。髪のセットに手間取っちゃって」
「何だよそれ……」
呆れと安堵でため息が出る。もう会えないかと思っていたのに。
「あーあ、またすぐ泣く」
千晃が笑って、俺の目尻に浮かんだ涙を拭う。
「ていうか、どうして髪……」
「ああ、戻そうと思って。もう逃げる必要ないから、現実見ないといけないだろ」
湊、と真面目な表情で名前を呼ばれる。
「俺、東京行くよ」
「え?」
「何がしたいとか、何になりたいとか、まだ全然分かんないけど。このままずっとこの島にいても、何も変われないから。先生になる為に頑張ってる湊の隣にいて恥ずかしくないように、俺も誇れる何かを見つけたいんだ」
「え、でも東京にはもう、戻りたくないって……」
「いいよ、もう。湊のためなら」
優しく髪を撫でられる。
「必ず会いに行くから。だからもう、泣くな」
「……っ、うん」
そうだ、と不意に思いついたように、千晃は自分の首に掛けていたネックレスを外した。
首元から細いチェーンが覗いているのを見た事はあったけれど、飾りがついているのは初めて見た。
「ちゃんと会えるように、目印つけておこうか」
チェーンの先で、ロジウムカラーの小さな星が揺れる。
自分の首から外したそれを、千晃は俺の首に掛けてくれた。
「あげる。東京にいた時に買ったやつ。別に、これに何の思い入れもないんだけど」
こちらの様子を見ている水野さん達へちらりと目配せしてから、千晃は声を潜めた。
「……好きな人に貰った物なら、どんな物でもトクベツなんだろ?」
いつぞや俺が言った台詞を真似して言い、笑う。
「あ、ありがと……でも俺、何も千晃にあげれる物が無いんだけど」
「いいよ別に」
耳元に顔を寄せてくる。
「……昨日、全部もらったし」
「っ!」
「そろそろ時間じゃない?」
千晃が港の方を振り返る。出航の時間だった。
「行かなきゃ」
焦りつつ、改めて千晃と目を合わせた。
「ありがとう。千晃と出会えて良かった」
「こちらこそ。気をつけて帰れよ」
「じゃあ……皆んな、ありがとうね!元気で!」
見送りに来てくれた子ども達に大きく手を振り、最後に千晃にも手を振って乗り場へ走った。
「……湊!」
追いかけてきた足音と声に驚いて振り返る。
腕を掴まれ、素早く唇を塞がれた。見ていた子ども達から悲鳴が上がる。
「……元気で」
「ばか」
堪えていた涙が流れ落ちる。
「好きだよ」
もう一度キスをして、今度こそ手が離れた。急いで連絡船に乗り込む。
動き出した船から、島の姿が見えなくなるまでいつまでも手を振り続けた。
高く昇った太陽が、飛沫を上げて揺れる水面を照らす。
青く、白く、時に眩しく。光を跳ね返して輝きながら、海は透明色のグラデーションに染まっていく。
―END―
透明色のグラデーション 叶けい @kei97
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