3.教育実習生
―湊―
終礼のベルが鳴るなり、廊下から元気のいい声が飛んできた。
「湊せんせー!今日、クラブ来るよね?!」
「ミニゲームやろー!」
「おー、すぐ行くわ!待っとって」
教卓の上を急いで片付ける。
受け持ちにさせてもらっているクラスの女子生徒からも、早く来てね、と急かす声が飛んでくる。
一週間前。
「今日から教育実習でお世話になります、天城湊です」
緊張しながら体育館で挨拶をした時、壇上から見下ろした全校生徒の数の少なさに、とても驚いた事を覚えている。
東京からフェリーで約八時間。人口千人程度の小さな島だと聞いてはいたが、実際に目の当たりにしてみると、自分の小学校時代の記憶との差に戸惑うしかない。当時も壇上に立った経験があるが、体育館の奥までいっぱいに人がいたはずだ。対してここは、一学年に一クラスずつ程度の人数しかいない。
「先生、バスケ出来ますかー?」
不意に、前の方に座っていた男子生徒が話しかけてきた。
「バスケ?」
どうしていきなりバスケなのかと戸惑っていると、別の生徒達からも声が飛んできた。
「バスケ一緒にやりたい」
「先生、運動神経は良いのー?」
「クラブ見に来てほしいな」
「ええと」
反応に困り、側に控えていた若い先生の顔を見た。
俺の実習担当の手嶋先生はにっこり笑うと、答えてあげてください、と俺の背中を押した。
「えっと、バスケ、が好きなんですか?みんな」
しどろもどろに聞き返してみると、好きー、と元気な声が返ってきた。
「そっか。先生はバスケ初心者なんですけど、皆んなと一緒に楽しめたら良いなと思います。よろしくお願いします」
一生懸命そう答えたら、拍手で歓迎してもらえた。
問題はその後だった。
その日の放課後、バスケクラブの顧問をしている手嶋先生に連れられ、体育館へ向かった。
早速ボールを手渡され、ドリブルにシュート練習、そのまま勢いでミニゲームまで混ざったものの、当然ついていけない。
「先生、下手だね」
「運動音痴?」
などと、子ども達から容赦ない評価を受ける羽目になった。
落ち込む俺に手嶋先生は、大丈夫だよと優しく声を掛けてくれたのだが。
「実は、天城先生にお願いがあって」
「お願い?」
何かと思ったら、一緒にバスケクラブの顧問をやってほしいという話だった。
「実は僕、もうすぐ子どもが生まれるんだよね。いざとなったら、天城先生にお願い出来ると良いなあ、と思ってて。ほら、他の先生達は、お年を召した方ばかりだから」
そんな話を聞いて、断れるはずが無い。
「でも僕、本当にバスケ出来ないですよ。見ていらっしゃったでしょう?」
自信無くそう言うと、じゃあ練習しよう、と手嶋先生はボールを一つ貸してくれた。
「港の近くに、バスケットゴールが置いてある空き地があるんだ。そこで練習すると良いよ」
そして、日曜日。
梅雨時にしては珍しく晴れていたので、手嶋先生に教えてもらった空き地へ行ってみた。
向かってみると、公園の跡地のような区間に、背の高いバスケットゴールが一つだけ置かれているのが目に入った。
「ここか……よし」
早速、手嶋先生から借りたバスケットボールを使ってシュート練習を始めた。
一体何がいけないのか、酷いとネットに掠りもしない。一人でひたすらボールを投げていると、心が折れそうだった。でも、どうにかシュートくらい入れられる様にならなければいけない。
練習の目標として、手嶋先生からこんな提案をされていた。
教育実習が終わる前に、生徒達とレクリエーションでバスケをしましょう、と。
こうなったら頑張るしかない。本当は誰かに教えてもらいたかったが、手嶋先生は色々と忙しいし、かと言って子ども達に教わるのは、さすがに恥ずかしかった。
数をこなせば出来るようになるはず。
そう信じてシュートを打ち続けていたら、何度目かに放ったボールが、ゴールの縁に当たって弾かれた。転がった先が道路の方だったので、急いで追いかけた。
ずっと夢中で練習していたから、俺を見ている人がいた事に、全く気づいていなかった。
サンダルを引っ掛けた足元に転がって行ったボールを、細い腕が拾い上げる。
グレーのスウェット、白いタンクトップ。緩く羽織った薄手のシャツが、風にたなびく。
だんだんと視線が上にいき、とうとう彼と目が合った。
昇ったばかりの太陽に照らされて輝く、薄い金色の髪。その隙間から、真っ黒な瞳がじっと俺を見つめてきた。
あんまり見てくるので困惑しつつ、ボールを返してもらおうと手を差し出した。
そしたら、いきなり。
「下手くそ」
冷ややかな一言が飛んできた。
呆気に取られていたら、彼はボールを持ったまま空き地の中へ入って来た。
ゴール近くで手招きされて急いで駆け寄ったら、軽い動作でいきなりボールを放ってきた。受け取り損ねなかった事を褒めてほしい。結構近かったから、ボールを受け止めた手のひらがじんじんと痛かった。
淡々とシュートのアドバイスをされ、言われるがままボールを放った。ボールは綺麗な放物線を描き、嘘みたいに真っ直ぐゴールへ吸い込まれていった。
「え?!うわ、すごい!」
びっくりした。初めてシュートが決まって、すごく嬉しかった。
なのに彼は少しも表情を動かさず、用は済んだとばかりに無言で空き地を出て行こうとしたので、思わず呼び止めてしまった。
この島に来てから初めて年の近そうな人に出会えた事が嬉しくて、ただ純粋に仲良くなりたかった。
けれど、躊躇いがちに"ちあき"と名乗った彼は、硬い表情を崩さないまま、逃げるようにいなくなってしまったのだった。
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