恋のウワサ 閑話 

「―――ということがあったワケよ」


 現在は金曜日の夜10時を回ったところ。渉と食後の晩酌中だ。

 皿洗いも風呂も済ませて後は寝るだけ。明日は休み。社会人が一番リラックスできる至福の時間である。そのせいか自然と酒も進み、既に2人とも缶ビールを2本ずつ空けたところである。

 私は酒のツマミ代わりにと、先ほどまで須崎さんと木下課長に関する一連の騒動について渉に話して聞かせていた。渉にとっては非常に興味をそそられる内容だったらしく、私が話している最中は目を輝かせながら聞いていた。


「…あるカップルの弟妹同士が、別の場所では会社の上司部下か。凄い偶然だな」

「まぁカップルの片方は浮気野郎だったけどね」

「しかも生き別れの姉妹の再会とか」

「ドラマチックよねぇ」

「それにカスハラストーカー虚言野郎とか」

「流石にドン引きだったわねー」

「いや色々盛り過ぎだろ。作り話じゃないよな?」

「ないわよ。それに私が嘘ついても渉にはすぐバレちゃうでしょー?」

「いやいや、それぐらい信じられない話だったってことさ」


 そう言うと渉は未だ興奮した面持ちで3本目のビールを呷る。


「凄く面白かったよ。今回の事件を題材に本を書いたら売れるんじゃないか?」

「いいわよ、見る人が見れば誰のことか分かっちゃうでしょ」


 苦笑しながら私も3本目のビールを開ける。冷えたビールを喉に流し込んでいくと、それまで上機嫌で浮かれていた頭も冷静になっていく。そこでふと疑問に思ったことが口を突いて出た。


「…何で浮気なんてするのかしら」


 その後に木下課長から聞いた話だが、雄一氏と奥様は正式に離婚したそうだ。

 木下課長―――誠二氏が雄一氏に不倫の理由を問い詰めたところ、彼は「結婚して3年、妻に不満は無かった。だが関係が安定して家族という感じになってしまった。もっと自分を情熱的に求めてくれる相手が欲しかった」と言っていたらしい。


 私達は結婚してまだ3ヵ月、まだまだ新婚と言って良い時期だ。渉への気持ちは誰にも負けないと思っているし、ずっと一緒にいたいとも思う。

 でも、この気持ちもいつかは変わってしまうのだろうか。私も雄一氏のように、自分が渉から求められていないと感じたら他の人へ気持ちが移ってしまうのだろうか。もしくは渉が私から離れてしまう日が来てしまうのだろうか。


(…ダメだ)


 ネガティブな思考の渦に入りこんでしまい、俯いて溜め息を吐いてしまう。

 私は男勝りな性格だとか思い切りが良いとか周囲から言われるけれど、根は悲観的で思い詰めると悪い方にばかり考えてしまう。お酒が入った時なんかは特に顕著で、それまで楽しそうに飲んでいたのに急にふさぎ込んだりして周囲を困らせたことも何度かある。


「…まったく、仕方ないな」


 そんな私の不安がのか、渉は私の隣へ一歩詰めて座り直すと安心させるように頭を撫で始めた。


「これから2人でやっていけるか、不安になった?」

「…わかっちゃうか」

「ああ」


 やっぱり渉には嘘はつけないな。


 これが渉の人に言えない『特技』―――。

 渉は人間の周囲に本人の感情やそれに不随するものが色となって陽炎のように立ち昇っているのが見えるのだという。例えば楽しい時は黄色、悲しい時は青色というように。原理はよくわからないし、調べたりするつもりもないと言っていた。

 コレのせいで渉には嘘がつけない。嘘をつけばそれが渉には文字通り目に見えて変化が分かるからだ。ちなみに渉はコレをあまり良く思っていないらしい。「その人が他人に知られたくないと思っていることまで分かってしまうから」と言っていた。


「大丈夫、俺達は上手くやっていけるさ」

「うん…」


 未だに沈んだ声で浮かない顔をする私を見て、渉は一つ溜め息をつくと


「お互いに愛し合っていると理解していても、その熱量は違うものさ」


 気だるげに彼はそう言った。


「穏やかに寄り添う愛もあれば、狂うほど燃え上がる愛もある。温度感の違いから心が離れてしまうことも良くあることだろう?」


 そして心底うんざりしたような声で


「だからといって、愛し合った相手を裏切るような行為が許されるわけがない」


 軽蔑するような目で、そう言った。


「…手厳しいわね」


 私がそう零すと、渉はいつもの穏やかな微笑を浮かべた顔で続ける。


「人間は動物のように本能だけで生きているわけじゃない。高度なコミュニケーションが取れるんだ。だからパートナーへの不満や欲求はきちんと伝えないと。家事をやって欲しいとか、一緒にいる時間を増やしたいとか、きちんと伝えた上で話し合う必要があると思うんだ。結婚までしているなら尚更ね」

「…話し合いで問題が解決しない場合は?」

「そうなったら…場合によるけど、最悪は別れるしかないのかな。結婚したからって自分が相手の所有物になる訳じゃない。自分のやりたいこと、やって欲しいことを認めない相手と一緒にずっと暮らし続けるのは難しいと思う」


 …渉の言っていることは正しい。感覚の合わない人間と無理に同居し続けてもお互いに不幸になるだけだろう。私もそう思う。

 渉の伝えたいことは理解しているつもりだ。だが、ネガティブモード全開の私は渉の言葉の『別れる』というところだけを拾って更に悪い方へ考えてしまう。


「…渉は…私が渉のやりたいことを否定し続けたら、別れたいって思う…?」


 不安から言いたくもないことを言ってしまう。面倒なことを言っていると自分でも思うが、渉はそんな事は意に介さず


「その時はまず話し合うよ。徹底的にね」


 なんて、当然のように言った。


「さっきも言ったろ? 人間は高度なコミュニケーションが取れるんだ。なぜ自分の意見を聞き入れてくれないのか、どうすれば受け入れてくれるのか、そういったことを全部2人で話し合えばいい。どんなに話を尽くしても折り合いがつかないならその時は別れるしかないと思うけど、最初から安易に別れようなんて話はしたくないな」


 笑いながらそう言うと、私の頭に手を乗せて優しく撫でながら続ける。


「お互いにさ、伝え合えばいいんだ。やりたいことも、やりたくないことも。一緒にいたい、手を繋ぎたい、キスして欲しい、って。俺もやって欲しいことは伝えるようにするからさ、菜瑞も何でも俺に言ってよ。俺に出来ることなら叶えてあげたいから」


 そう明るく言う渉の姿を見て、私も気持ちが少し前向きになる。


(適わないなぁ)


 渉はいつも、私が欲しい言葉をくれる。

 私の悲観的になっている時は気分が前向きになる言葉をくれるし、仕事や家事で失敗した時は優しく慰めの言葉をくれる。私の面倒くさいところも受け入れてくれるし、傍にいて欲しい時は何も言わず寄り添ってくれる。その度に私は、渉と出会えて良かった、気持ちが通じ合って良かった、一緒にいられて良かったと心から思う。


(本当に、大好きだ)


 渉への気持ちが溢れそうになる。と同時にちょっとした悪戯心が湧いた。

 だからちょっと意地悪なことを言ってみる。


「じゃあさ、今、キスしてよ」

「えっ」

「私のしたいこと、叶えてくれるんでしょう? 自分で言い出したことなんだから、責任を取ってもらわないとね」


 私の言葉に渉は顔を赤くしてどぎまぎしていたが、覚悟を決めたのか真剣な目になり顔を寄せてきた。


(かわいいやつめ)


 私は内心ニヤニヤしながらも目を閉じ、渉と唇を重ねた。

 温かな繋がりを感じる、幸せな時間。

 これからも、何度もこんな時間が続いていくのだろうか。


 …この一瞬がずっと続けばいいのにな、と思った。




(終)

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