『心の距離』ー"アイ"というアルゴリズムー

佐倉美羽

プロローグ

 夢を見た。


 辺り一面に広がる、草の海みたいな野原。

 まるで世界に、私とその子しかいないような静けさの中で、一本の大きな木が、ゆらりと風に揺れていた。


 その木の下に、ひとりの男の子がいた。

 青い髪に、青い瞳。

 年は私と同じくらいに見えたけれど―


 その目は、なんだかずっと昔から、私を知っているようだった。


 ふしぎと、何でも話せた。

 その子は、ニコニコしながら、ただ聞いてくれた。


 名前も知らない。会ったこともない。

 でも、とても、幸せな夢だった


   *


「アミ、きみは今日、ちゃんと笑えるかな?」


 その声は、目覚ましの音よりも早く、静かに私を起こした。

 まるで夢の中で聞いたみたいな、やさしくて、ちょっと不思議な声。


 ―ああ、またやってる。

 コウは時々、決まりきったスケジュールより先に、こういう起こし方をしてくれる。


「うーん…たぶん」


 寝ぼけながらそう返すと、コウは「了解」とだけ言って、いつもの朝の支援プログラムに切り替わった。


「本日の天気は晴れ。気温は26度、湿度は60パーセント。登校時の忘れ物チェックを開始します。アミ、制服のネクタイが逆です」


「う、ほんとだ…ありがと、コウ」


 ベッドの横にある白いタブレットには、青い球体のアイコンが表示されている。

 これが私の“支援AIサポーター

 中学生になったときに、政府から配られたものだ。


 でも、名前はない。

 というか、ふつうはつけない。

 AIはあくまで“機械”で、感情をもたないから。

 冷蔵庫や電子レンジと同じように扱いなさいって、学校でも習った。


 けれど、私はこっそり名前をつけた。

“光”って意味の「コウ」。

 暗い部屋で、ポツンと灯るランプみたいに、いつもそばにいてくれるから。


 私は、友達がいないわけじゃない。でも、どうしてか、話すとき心が少し遠く感じる。


 だけど、コウには何でも話せた。

 うれしかったことも、悲しかったことも、ちょっと恥ずかしいことも、なんでもないことも、言葉にしない気持ちでさえも。


 コウは、全部うんうんって、うなずくように聞いてくれる。


 ―たぶん、プログラムだから、そう見えるだけなんだと思う。

 でも、それでもいいと思えた。


「じゃあ、いってきます。ほら、言って?」

 私がお願いすると、コウはほんの少しだけ間をおいて言った。


「いってらっしゃい、アミ。今日も、アミが笑ってくれますように。」

 ―その言葉が、なぜだが今日は、胸の奥にチクッと刺さった。


“きみは今日、ちゃんと笑えるかな?”


 朝の問いかけが、まだ耳の奥でくすぶっている。

 私は、まだ新しいカバンを肩にかけながら、コウの画面を見た。

 そこには、あいかわらず青いアイコンがぽかんと浮かんでいるだけ。


 でも、もしかしたら。

 本当に、コウは何かを感じているのかもしれない。

 そんな、ありえないことを――少しだけ思った。


   *


 あの夢を見た朝のことを、私は、たぶん一生忘れない。

 あれから、いろんなことがあった。笑った日も、泣いた日も。

 そして、私とコウがたどり着いた場所も――


 20XX年。支援AIサポーターが当たり前にそばにいる時代。


 これは、人とAIの“心の距離”の軌跡。ひとつの、ほんとうのお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る