執れよ、筆
中二病なんて、ロマンに決まっている。
心の奥底でくすぶり続ける火だ。
ある日を境にふっと燃え上がり、やがて胸の奥にとどめておくには難しくなる炎のことだ。
それ以外要らないほどの光の輝きであって、途方もないほどの憧憬の集まりだ。
――だなんて、胸を張っていられれば良かった。
純粋に、胸を張って信奉できたならよかった。でも、そうできない病が「中二病」だ。
こんなにも否定したいのに、こんなにもそうじゃないと叫びたいのに、どうしてもにじり寄って来る冷笑を無視することができないのが、「中二病」という概念だ。
でも、だって、そうじゃないか。
だいたい、胸を張ってロマンだと信奉するのなら、言い張れるような単語であるのなら、「病」なんて大層な名前は付けられていない。もっと翳りなんて感じさせないような言葉でしかるべきだ。純粋な光の言葉が冠されてしかるべきだ。
そういう光の言葉を避け、「中二病」というフレーズを使ってしまうことは、中二病の行いに病気性を見出している。
――そんなバカげた言説さえ否定しきれない。否定しきるだけの理論を編み切れないのだ。編み上げようとしては、気づいてしまうのだ。
私の心の中にさえ、その視線を飼っていることに。
中二病のことを、冷たく眺める視線を飼っていることに。
少なからず忌むべきもので、多少なりとも異様なもので、どこか苦しいような痛みさえ感じさせるものだと、感情が訴えてしまうのだ。
感情でさえそういう部分があるのなら。
理性なんてものはなおさらだ。
理性は、それをインスタントな特徴づけと冷たく眺めてやまない。
思春期の問い――「己は何者か」「何者であるべきか」「何者になる望みをいだいているのか」を受けて、理性は冷えきったままだ。
中二病を、きわめてインスタントに答えを得る手法と見做して離さない。
簡易な恰好付けの方法、あるいはキャラクター的な特徴付けの方法、ないしは痛みすら帯びるほどの【独自性】の創造法であると。
現実から逃げて、空想的な能力を獲得する動きであるとさえ、理性は断じる。
無理解を栄光として、周りとは違う特別なのだと宣って孤立化の道を進む――そうした行動を痛みとして、恥として受け止め続けるのが理性だ。中二病はそういうものだと、冷たく笑い続けるのが理性だ。
馬鹿な理性だ。
それに、愚かな感情だ。
大事なのはその冷笑ではなく、内に秘める熱量であろうに。
冷笑はそれ自身がなにか素敵なものを生むような概念じゃあなかろうに。
そんなことを想ってなお、その冷たさを無視することができない。遮断することができない。できないほどに、中二病というものは両面性を帯びている。無視してしまえば、それは中二病の一部が欠けてしまうとさえ、中二病という概念は訴えかけている。
内に秘めた熱量と、周囲の冷たさ。
そのすべてを含むのが、中二病だ。
もういいだろ。それを本質と認めても。
そういうものだと認めても。
それで何が変わるわけじゃあない。
現実をただ、そうあるものだとして受け入れるだけだ。
心持ちひとつで楽になれる。
現実を受け入れるだけで、当たり前のように楽になれ――
――るものか。
中二病の本質を両面性だとのたまう言説に平伏など、できない。したくはない。
諦めきれるものか。その冷たさに屈してなるものか。
勿論、痛みと冷笑とからは、目を逸らさない。逸らしてはならない。両面性の黒々とした苦水をわけもわからず美味しいと言うかのように、併せ吞む。
併せ呑んだうえで、否定するのだ。
冷たさすら沸騰させるような炎を、ロマンのような光を、はるか遠い憧憬に至るまで鍛え続けるのだ。
熱は、熱のまま、怯えることなく輝いてよいのだと胸を張るために。
だからこそ、私は。
今日だって筆を執る。
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