第7話 どういう判断基準?
7 どういう判断基準?
「というか――本当にあの芝勝亦って男子は大丈夫なの?」
勝亦が帰った後、伊織は己が抱いた懸念の一つを言語化する。
伊織の心配は、やはり単純な物だ。
「ええ。
実は、勝亦君には人格的に問題があって、彼と付き合うと亜常君は不幸になる。
そういう可能性も、あるじゃない?」
表向きは感じがいいが、勝亦には裏の顔もあるかもしれない。
いや。
悪人は大抵、善人の皮を被っている物なのだ。
結婚した途端、本性を露にする男も、この世には多いと聞く。
伊織の心配は、正にそこにあった。
だが、蛇処エルマは、飽くまでマイペースだ。
「いえ。
それは、無いでしょう。
何故なら彼は、私に恋心を抱いていないから」
「……は、い?」
「彼の想いが一途でないなら、彼は私を見た瞬間、私に惹かれていた筈です。
相談を口実に変え、私を口説きにかかった筈。
もしそれだけ彼が不純なら、私も彼の依頼を断っていました。
でも、実際は違います。
この私を前にしても、勝亦さんの恋心は揺らぐ事はなかった。
つまりそれだけ勝亦さんは、亜常さんにぞっこんという事。
それほど真剣なら彼の恋心を叶えても、何ら問題はない筈です」
「………」
自分に惹かれなかったから、勝亦の想いは本物。
それだけの気持ちがあるなら勝亦は誠実。
エルマの論理は、飽くまで自身を基準にした物だ。
己に絶対的な自信なければ、こんな発想にはとても至れない。
伊織としては、ここまで自己評価が高い人間等、見た事がなかった。
「……つまり全ては、蛇処君の主観に基づかれている訳か。
きみに人を見る目がなければ、そこまでという事だね?
けど、言っちゃあ何だけど、私ってきみの事をまるで信用していないよ?」
言わなくてもいい事を、伊織はつい言ってしまう。
暴言と言えば、暴言なのだろう。
何せ蛇処エルマは、自分の雇用主になるかもしれない存在なのだから。
平社員が社長に喧嘩を売ればどうなるか、結果は分かり切っている。
だが、エルマは伊織の見解を、評価した。
「それは、当然でしょう。
伊織さんは、私が美しい事しかまだ知りませんからね。
私が美しいこと以外何も知らないのだから、私を信用しないのは当然です。
寧ろ美しいが故に、信頼されないというケースも大いにあり得る。
美しさは時に、人を警戒させる事もありますからね。
伊織さんの警戒心は、極自然な物です」
「………」
本当に、無駄に自己評価が高い。
自分はこれから、こんな人格破綻者とつき合っていかなければならない?
深川伊織としては、顔をしかめるばかりだ。
「兎に角、私はもう一方の主役に会ってきます。
伊織さんはその間、店番でもしていて」
「――はっ?
私、お茶なんて淹れた事ないよっ?
店番なんて、無理無理!」
「そうですか。
なら、午後は閉店ですね。
……チっ。
思った以上に、使えませんね」
「――舌打ちっ?
聖女が笑顔で――舌打ちっ?
というか、その使えないって言うのは、間違いなく私の事だよねっ?」
伊織がツッコむと、エルマは改めて微笑んだ。
「いえ。
私に舌打ちをさせたのだから、伊織さんは己を誇るべきです。
心が広い私にそこまでさせたのだから、伊織さんは本当に使えないやつですからね」
「………」
今、確信した。
こいつは皮肉屋で、口が悪くて、性格さえも悪い。
聖女にあるまじきこの少女は、ただただ最悪なだけだ。
よって伊織の懸念は、より強くなる。
「いや。
一寸待て。
きみは当然の様に話を進め様としているが、私にはもう一つ疑問がある。
そもそも蛇処君は――この件をクリアできる自信がある?
暴力団を説得する事もせず、力に訴えたきみが――他人の恋を成就出来ると言うの?
一応言っておくけど、暴力を行使して叶う恋愛なんてないぞ。
それ位、私でも分かる。
なら当然、蛇処君も分かっているよね?」
蛇処エルマの答えは、決まっていた。
「では――そういう事で」
伊織を無視して店を後にしようとするエルマを、伊織は当然引き留める。
「――一寸待てい!
私を無視するのは、いい加減やめろ!
本当に、嫌な予感しかしないんだよ!
大体、蛇処君には恋愛経験とかあるのっ?
そういう実体験があるからこそ、きみはこの副業に臨んでいるんだよね――っ?」
ここでも、エルマの答えは決まっている。
「――いえ。
ありませんよ。
他人に恋心を抱かれる事はあっても、私自身が恋に溺れる事はないのです。
何故なら私は恋より強い感情である――愛の奴隷だから」
「………」
ヤバイ。
普通にそう言い切るこの少女は、やはりヤバ過ぎる。
この時、深川伊織は蛇処エルマの本質を、こう理解した。
恐らくエルマを規制する物は、愛しかない。
エルマは愛以外眼中になく、それ以外の物は半ば無視している。
だが愛は概念に過ぎない。
人格がない愛では、エルマを窘める事など出来ない。
つまり蛇処エルマとは、最悪の自由人なのだ。
愛を謳っているが、それはエルマの解釈次第で、倫理観さえ綻びが生じる。
愛を掲げながら悪を成す事さえ、あり得るのだ。
現に蛇処エルマは暴力を行使して、暴力団を一掃したではないか。
恐らく法さえも、エルマを規制出来ない。
最悪とはそういう事で、蛇処エルマは余りにフリーダム過ぎた。
(……本当に、苦手な物位あれば、まだ可愛げがあるのに)
伊織としては、内心そう感じるほかない。
露骨に溜息をついた後、伊織は店で留守番する事を決めた。
「分かった。
なら私は、蛇処君のお手並みを拝見するまでよ。
余り大人数で行っても亜常君を警戒させるだけだろうから、私はここで待っている」
「はい。
そうしてください。
その分伊織さんの評価は下がりますが、私は別に困りませんので」
「………」
本当に、性悪が悪いな、この自称聖女は。
心底からそう思いつつ――深川伊織は蛇処エルマを見送った。
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