第6話 善なる副業
6 善なる副業
その後、警官達がやってきたが、彼等は直ぐに引き上げた。
彼等は形式的に、エルマから事情を聴いただけだ。
警官曰く――〝これも何時もの事〟という事だから。
警官達を見送った後、伊織とエルマは喫茶店に戻る。
エルマは、ある疑問を口にした。
「そう言えば、私と結託した場合、伊織さんは何をするつもりだった?
どんな悪事を、計画していたのです?」
「え?
それはもう、スパイから暗殺まで手広くしようと思っていたよ。
何せ相手は、あの始祖の子孫だからね。
それ位は可能だと、計算していたんだ」
「明らかに、手を広げ過ぎていますね。
間違いなく、それが原因で倒産する流れです。
深川家はそれで破綻したのに、まだ懲りていない?」
エルマが呆れると、伊織は堂々と居直る。
「だから、私の借金は普通な事をしても、返しきれないの。
それこそ賭けにでなければ解決できない問題だって、言わなかった?」
「成る程。
投資という冒険で失敗したのに、その穴埋めを冒険でする伊織さんの性根は理解しました。
これこそ、正に悪循環だと思うのですが、私って間違っていますかね?」
「………」
自称聖女は、その実、只の皮肉屋だ。
この少女は結構口が悪いのではと、伊織は今更ながら気づいていた。
「じゃあ、今度は私が訊く番ね。
さっきからきみが言っている〝善なる仕事〟って何?
きみは、何をやらかそうとしているの?」
「やらかすとは、人聞きが悪いですね。
いえ。
〝善なる仕事〟ではなく〝愛ある仕事〟と言い換えても構いません」
「………」
伊織にとっては、どちらも似た様な物だ。
彼女にしてみれば、どちらも偽善的な印象しか受けない。
現にこの自称聖女は、先頃、あれほど強かに暴力を振るったではないか。
例え自衛の為とは言え、アレが聖女のする事かと伊織は今でも思っていた。
「と、噂をすれば影ですね。
漸く――依頼人がいらした様です」
「んん?」
と、唸りながら、伊織は呼び鈴が鳴ったドアに目向ける。
喫茶エルマには、確かに一人の来客があった。
それは十代の学生で――伊織には一般人にしか見えない。
いや。
彼は事実、只の一般人だ。
エルマは彼を、笑顔で出迎える。
「いらっしゃい、勝亦さん。
約束通りの時間に来店して頂き、何よりです」
確かに彼がもう少し早く喫茶エルマに来ていたら、大変な目に遭っていただろう。
彼は今日死を覚悟する事になったかも。
それは杞憂だったが、伊織にとっては笑えない話だ。
「えっと、その人は――」
「私の依頼人で、芝勝亦さんという方です。
と、こちらは深川伊織さん。
この件を手伝ってくれる、この店の従業員の様な物です」
各々の事情を知るエルマが仲介して、エルマは伊織に勝亦を紹介する。
取り敢えず、二人とも軽く会釈した。
「そうですか。
聖女様の、お手伝いをしている方ですか。
もしかして、聖女様の信者?」
「………」
伊織はやや黙然とした後、返答する。
「……いや。
違うんだけど」
そう答えてから伊織は、エルマに小声で問う。
「――って、きみって、本当に聖女扱いされているのっ?
マジでっ?」
「え?
逆に訊きますが、今まで私と接してきたのに、何でその事に気づかないの?」
「………」
答は単純だ。
伊織の常識では、暴力団に喧嘩を売る人間を、聖女とは呼ばないから。
伊織こそ逆に、何でこの少女は、自分は聖女だと疑わないのか謎だった。
「いえ。
話を進めましょう。
と、今コーヒーでも淹れますね。
勿論、有料ですが」
「………」
確かにここは喫茶店なのだから、水以外のあらゆる飲み物は有料だろう。
どうもそれは、副業の依頼人でさえ例外ではない様だ。
芝勝亦は困った様に笑いながら、エルマに勧められた席に座る。
立っているのも何だと思っていた伊織も、相席した。
その後コーヒーを持ってきたエルマがやってきて――三人は漸く本題に入ったのだ。
◇
「で、お相手は――橋場亜常さんでしたっけ?」
エルマが話を切り出すと、芝勝亦は躊躇なく頷く。
だが、何も知らない深川伊織としては、眉を顰めるだけだ。
「……は?
それはどういう事?
そもそも蛇処君は、何がしたいの?」
基本的な事を尋ねる伊織に対し、エルマは説明を始める。
「私がするべき事は、実に明快です。
私はただ依頼主の恋心を――成就させ様としているだけですから。
要するにこの場合は勝亦さんが片思いをしている亜常さんを、振り向かせるという事ですね。
それが――私の副業」
「………」
片思いをしている人間の恋を、成就させる。
それが蛇処エルマの副業だと、この少女は語った。
その意味が脳に浸透した時、深川伊織はある種の納得を得る。
「……成る程。
仮にそれが事実で、蛇処君に実績があるなら、きみが聖女と呼ばれる訳も分かる。
少なくとも、実力行使で暴力団を壊滅させるよりかは、聖女っぽい」
「ぽいではなく、私は聖女です。
縁と縁を繋げて愛を育むのだから、これはもう聖女の仕事としか言えないでしょう」
疑問形ではなく、エルマは断言する。
伊織は、やはり顔をしかめるだけだ。
「えー。
でも蛇処君に、本当にそんな真似が出来る?
この悪魔のベスト……いや、何でもない」
危うく地雷を踏みそうになる、伊織。
ギリギリで思い留まった自分を、伊織は褒めてやりたかった。
「いえ。
聖女様の噂は、高根先輩から常々聴いていました。
高根先輩というのは俺の二つ上の先輩なんですが、彼女もまた聖女様のお世話になったとか。
俺も高根先輩の紹介で、聖女様に依頼しようと決めたんです」
熱っぽく語る勝亦を見て、伊織は彼が如何にこの件に真剣なのか読み取る。
勝亦はそのまま、説明を続けた。
「俺の片恋相手は、橋場亜常と言います。
実に平均的な女子で、特別な所とかは一切ありません。
現に彼女は帰宅部で、どこの委員会にも所属していない。
若干内向的な彼女は、それでも何故か俺の気を惹くんです。
一体何故だろうと思っているんですが、今でも答えは出ない。
けど――この恋心に間違いはありません。
俺は何としても――橋場亜常を振り向かせたいと思っています。
高根先輩に相談したところ、それならという事で聖女様を紹介されました。
今日はこの話を詳しくする為に、ここまで来た訳です」
何も知らないらしい伊織に向け、勝亦は一連の流れを話す。
伊織は多少勝亦の熱意に圧倒されながら、首肯した。
「な、成る程。
きみも年頃だものね。
そういう悩みの一つや二つはある、か」
「いえ。
俺の場合は――亜常一筋です。
それ以外の女子など――眼中にない」
「………」
一途と言えば、一途なのだろう。
だが見方を変えると、愛が重いとも言えた。
「そうですね。
勝亦さんの恋心は、本物です。
何しろこの私でさえ、勝亦さんの心を動かせないというのですから。
私としては、勝亦さんが私に惚れてしまったらどうしようと、危惧するばかりでした」
「………」
大いなるその自惚れを聴いた伊織としては、エルマに半眼を向けるしかない。
〝どこまで自己評価が高いんだ、この女は?〟と、伊織は内心辟易した。
「……いえ。
確かに聖女様も、お綺麗ですよ?
でも、そういう事じゃないんです。
俺の亜常に対する想いは、俺自身でもよく分からないほど募っている。
その正体を知る為にも、俺は亜常と付き合いたい。
それが芝勝亦の――隠しようもない本心です。
どうかこの依頼を、受けてはもらえませんか――聖女様?」
今年歳十六歳になる芝勝亦は、しっかりとした部類の男子なのだろう。
それでいて情熱を失っていない勝亦の口調は、やはり熱っぽい。
お陰で伊織は、まるで自分が口説かれているかの様な気分になる。
「いえ。
一寸待った。
だったらその気持ちを、直接亜常君に伝えればいいだけなのでは?
それだけの想いがあるなら、亜常君だってきっと応えてくれると思うよ?」
「………」
実のところ、深川伊織に恋愛経験はない。
権謀術策には長けている伊織も、恋愛に関してはずぶのシロートだ。
そのため伊織は恋愛ごとを単純化させて考える、悪癖があった。
強い気持ちさえあれば、きっと相手に届くと信じて疑わないのだ。
この時点でエルマは伊織を、半ば戦力外扱いする事に決めた。
「いえ。
伊織さん、恋愛はそう簡単な物ではないのです。
気が散るので、一寸黙っていてくれますかね?」
「………」
本当に、この暴言の主のどこが聖女なのか?
自称聖女は、尚も芝勝亦の話に耳を傾ける。
「そう、ですね。
橋場亜常に奇妙な点があるとすれば、一つだけ。
大人しい印象が強い彼女はその為結構モテるんです。
ささやかながら男子に人気があって、告白された事も何度かある。
でも、その何れも――亜常は断っているんです。
理由こそ不明ですが――彼女は誰かと付き合った事が無い」
「………」
項垂れる勝亦を見て、伊織はやはり単純な考えを述べた。
「え?
それは単に、意中の人間の告白を待っているだけでは?
例えば亜常君は勝亦君の事が好きで、きみが告白する事を期待しているだけじゃない?」
「……そう、なんでしょうか?」
伊織の物の見方はポジティブだったので、勝亦も思わずそう感じそうになる。
エルマは、ふむと頷いた。
「伊織さんの言っている事も、皆無とは言えませんね。
勝亦さんは誠実だし、そう言った可能性も確かにある。
なら、私としては、その辺りを探ってみるしかないでしょう。
午後になったら、亜常さんに会ってきます。
詳しい作戦は、それから立てましょう」
「で、では――?」
「――はい。
この依頼――受けさせて頂きます。
可能な限り力を尽くすので――宜しくお願いいたします」
話は、それで決まった。
蛇処エルマは――芝勝亦に力を貸す事を承諾したのだ。
「こ、こちらこそ、宜しくお願いします!
聖女様に後押しされるなんて、これはもう百人力ですよ!」
「………」
興奮冷めやらぬ、芝勝亦。
そんな彼を眺めながら――深川伊織はある懸念を抱いていた。
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