メモリー・リコレクションⅡ

 

 あの冬の海のあと、僕たちは特に何かが変わったわけでもなく。

 ただ、少しだけ、目を合わせる時間が増えたような気がした。

 高二になってからの僕たちは、少しずつ、けれど確かに、一緒にいる時間が増えていった。

 放課後に寄り道をしたり、たまに武のバイト先を覗いたり。

 映画を一本だけ、一緒に観たこともある。

 それは、いわゆる『デート』というには曖昧すぎたけれど、少なくとも僕にとっては特別だった。

 

 でも、どこかでいつも、言いそびれた言葉が残っていた。

 関係に名前をつけることも、はっきりと気持ちを確かめ合うこともなく、僕たちはなんとなくいつも一緒にいながら、高二の季節を通り過ぎていった。

 

 

 放課後、ほとんど空き教室となっている天文部部室は静かだった。

 あんなに部室を教えるのが嫌だったのに、今となっては自然と二人の過ごす部室に変わっていた。

 試験前の空気が漂う中、僕と武は隣り同士の机で黙々と問題集と向き合っていた。

 窓の外はすっかり秋めいて、夕陽が差し込むたびに教室の空気は少し金色に染まった。

「ここ、こうやって解くんだよ」

 僕は武の隣に腰かけて、ノートの端に図を書いた。

「この式の展開が違ってた。こっちの方が早いし、間違いにくい」

「へ~? てか、お前ほんと説明うまいよな」

「そう?」

「うん。何か、先生より分かりやすい」

「それ褒めすぎ」

「いや、マジで。……塾の先生とか、向いてんじゃない?」

「……ああ、そういうの、いいかもな」

 武の言葉にうなずきながら、自分でも意外と納得していた。

 人に何かを伝えること、役に立てること。それが自分にとって嫌いじゃないと、最近ようやく気づいた。

「大学行ったら、バイトで塾とかやってみようかな」

「へえ……そっか。お前、大学行くんだもんな」

 武の声が、ほんの少しだけ遠く感じた。

 けれど僕は、その違和感にすぐには気づけなかった。

「武は?」

「ん?」

「進路。決めた?」

「……いや、まだ。就職かも」

「そうなんだ」

 思わず驚いたけれど、それ以上は何も言えなかった。

 本当はもっと聞きたかった。

 どうして就職を選ぶのか、どんな未来を考えているのか。

 でも、そのタイミングを逃してしまった気がした。

「勉強、あとどこ分からない?」

 話題を変えるように、僕は問題集をめくった。

 武も黙って、そのページをのぞき込んだ。

 

 夕陽が、二人の間に影を落とす。

 その影は、ゆっくりと机の上を横切って、何も言わずに教室の隅へと消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る