エピローグ
八月二十六日。
お父さんとお母さんが、予定より早く帰ってきた。仕事が順調に片付いたらしい。五日前まで熊野にいたのに、もうずいぶん前のことみたいで、不思議な感じがした。
いないあいだの出来事を話した。 勝手に動いたのがあとでバレるほうが、絶対やばいって思ったから。 こていちゃんのことも、旅のことも、ハナさんたちに譲ろうとしたことも。全部。
あたしの話には、あんまり怒られなかった。お兄ちゃんのほうは、わりとしっかり絞られてた。
東京から熊野まで、手動で、しかも下道オンリーってやつをやったせいで、「体力計算した?」「万が一のとき、どうするつもりだったの?」って。
お父さんとお母さんが、冷静なテンションでじわじわ詰めてくる感じ。 あたしも罪悪感すごくて、「あたしが頼んだの」って、いっしょに謝った。
そのせいで、お兄ちゃん、不機嫌になった。てか、家に戻ったときに、いつものだらしない仕様に戻っていた。
しかも、旅費とかスペイン村で遊んだお金とか「出してやる」って言ってたくせに、あとになって「おまえ使いすぎ。小遣いで清算しろよ」とか言ってくる。
旅のあいだは、なんだかんだ頼れるし、ちょっとカッコよかったのに。通常営業の兄、復活って感じ。はいはい、そういう人ですよ。
でも、ありがとね。ほんとは、ちゃんと感謝してる。絶対言わないけど、あたしは、日記アプリにだけ、こそっと書いた。
お兄ちゃん、ありがと。
あとあと、はるかさんには感謝しかない。おいしいごはんを作ってくれて、家事のやり方をひとつずつ教えてくれて、旅では、ずっと寄り添ってくれた。
怒るときはちゃんと怒るのに、いつもあたしたちの味方でいてくれた。頼れるし、優しいし、なんかずるいくらい完璧。
あの旅で、たくさん話して、笑って、気づけば帰り道ではタメ口になっていた。まるで、姉妹みたいに。
めちゃくちゃ頼りになるお姉ちゃんで、やっぱりお兄ちゃんにはもったいないくらいの人だけど……。
もし、いつか本当に家族になってくれたら、それはそれで……ちょっと、いや、かなりうれしいかも……なんて。
はるかさん、ありがと。
……って、急に。
「夏帆さま、うれしいですか?」
「え? あー、うんっ」
こていちゃん。
あたしの部屋で、学習机の椅子にぴたっと背筋を伸ばして座っていて、ベッドに寝転がるあたしを、きょとんとした顔で見てくる。旅のこと、思い出してたの、ばれたかもしれない。
ナナミだった頃は、ハナさんのことをちゃんで、シンゴさんのことはくんで呼んでいた。
あれは最初からそういう設定で、ご両親代わりだったおじいちゃんとおばあちゃんが、そう呼ばせてたんだって、シンゴさんが話してくれた。
だから、物理キーを譲ってもらったとき、「呼び名も変えられますよ」って言われたけど、あたしは「今のままでいいです」って答えた。
物理キーは、この先――あんまり考えたくないけど、こていちゃんに何かあったときのためだけに使うって決めている。普段は触らない。お兄ちゃんもそれでいいって言ってくれた。
だから、これからも、夏帆さま。
そんな、今のこていちゃんが、あたしは好きだ。
家事が得意じゃなくても、料理が作れなくても、別にかまわない。 それをやりたいって思ったら、そんときに教えればいいだけ。今のままでも、十分。
「夏帆さま? 何を考えていますか?」
あたしは起き上がり、こていちゃんの前で膝を立てて、微笑んだ。
「こていちゃんのこと」
「そうですか? わたしに何かご用で」
「ご用って、言うのかな。あっじゃあ、大好きのハグ」
って言って、あたしは照れを上書きするために大胆なスキンシップをした。
じんわりと、ぬくもりが伝わってくる。 なんか、不思議な感じだった。
AIって、今どきどこにでもいる。スマホにも、家電にも、車にも。 人のかたちをしたのだって、最近は珍しくないし、クラウドにつながっていて、なんでもできるのが当たり前になりつつある。 十年もすれば、人間の仕事なんて、全部AIがやるようになるかもしれない。
でも。
ちょっと古くて、不器用な、固定型のこていちゃんと出会い、この夏を過ごして―― あたしは、ほんの少し、大人になれた気がした。
そういうのも、AIの力なんじゃないかな、なんて思ってる。
AI、ありがとう。
なんか、ちょっと照れる。うん。 あたしにできることは、これからもこていちゃんを大事にすること。
科学的には、きっと「感情じゃない」って言われちゃう。 ただのログの積み重ねで動いてるだけ、とか、このぬくもりもプログラムにすぎない、とか。
でも。
この子は、今ここにいて、あたしの隣で生きている。 あたしは、この子のしあわせを願ってる。
その気持ちは、誰にも否定されたくないし、きっと負けたりもしない。
「夏帆さま、あまり抱きつくと、腕が疲れますよ?」
「いいの。あたしは平気。……こていちゃんは、大丈夫?」
「はい。わたしは工事現場で重機に挟まれても、現状維持できる造りになっています」
「ぷぷっ、何それ〜」
見上げた先で、ぴこぴこと光る髪がゆれて、ぱっちりした目がこっちを見ていた。なんかもう、それだけで、ほっとしちゃう。
「ありがと、こていちゃん」
「こちらこそ、いつもありがとうございます、夏帆さま」
「かたっ。そこは『どういたしまして』くらいでいいのに」
「はい。どういたしまして」
ふふっ。
あたしは、この子と、これからもいっしょに歩いてく。
こていちゃんと夏のあいだ 鳩太 @hato123456789
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