第28話
いろいろあった日の夜。
お風呂は、大浴場だった。はるかさんといっしょに入って、ちょっとだけのぼせた。
そのあとはホテルのごはん。お刺身に天ぷら、炊き合わせに茶碗蒸し。お吸い物には三つ葉がふわっと浮いていて、見た目からして本格的。 箸を取る前からわくわくしてた。
「じゃあ、いただきまーす」
手を合わせて、顔を上げて、にっこり。
「この茶碗蒸し……わ、しいたけ入りだ。これはもう、キノコ界の最前線ですね」
実況っぽく適当なことを言ってみたら、はるかさんが少し笑って「しいたけ、えらい」って乗ってくれた。 やりとりはふつうだったけど、なぜかちょっとだけ間が長かった気がした。
お兄ちゃんは黙々と食べている。いつもなら文句のひとつやふたつ飛んできそうなのに、今日はやけに静かだ。 スマホをいじってないだけでレアキャラ感あるし、箸の動きは遅いけど止まらない。 これって逆に調子狂うやつ。……ま、いっか。
そう思って隣に目を向けたら、誰もいなかった。 椅子が空いているのなんて当たり前なのに、なんでかちょっと驚いた。
そこに声をかけようとして、うっかり口が開きかけたのは、たぶん気のせい。 あたしはお茶をひとくち飲んで、息をつく。
「ねぇ、明日さ、ちょっとだけ寄り道しない?
自然な声で言えたと思う。ちゃんとふつう。
「いいじゃん」
はるかさんが笑って、うなずいてくれた。
「天気ももちそうだし、絶景っぽかったよ」
よし。ひとまず反応は良好。
お兄ちゃんは小さくため息をついて、 「……しゃーねーな」 って、顔を上げずにぽつり。
いつものお兄ちゃんの感じ戻ったみたいで、あたしはうれしくて、ちょっとだけ調子に乗ってみた。
「じゃあ、ついでにスペイン村も行きたい!」
「は? 伊勢だぞ」
「えー、帰り道でしょ? ちょっと寄ればいいじゃん」
「いやいや、どんだけ泊まる気だよ」
「いいじゃん、夏休みだし」
くだらない言い合いをしてるうちに、食卓の空気が少しだけ軽くなった気がした。はるかさんが「夏帆ちゃんに賛成」と言ってくれて、あたしは勢いのまま笑った。
予定はばっちり。楽しいことは、まだまだたくさん待ってる。 ごはんはおいしかったし、部屋もきれいだし、海もちゃんと見たし。 ほんと、最高の旅。
そのあと、女子部屋でボードゲームではしゃいで、お兄ちゃんが部屋に戻ったのは九時すぎだった。
はるかさんが布団を敷きながら、「あした晴れるといいね」と言って、あくびした。 あたしはその横をすり抜けて、玄関のほうへ向かう。
「どこいくの?」って声が背中に飛んでくる。
「あっ、観光地のパンフ。ロビーにあったやつ、取りに行こっかって」
「スマホでよくない?」
「えっと……なんか、紙のが旅っぽいかなって。ちょっとだけ」
はるかさんはちょっと考える顔をして、それ以上は何も言わなかった。 あたしは浴衣のままスリッパを引きずって、廊下を抜けた。
ロビーを通りすぎて、そのまま玄関の下駄を履く。 外に出ると、夜風がひやりとして、耳の奥まで澄んでいった。
川沿いの道を抜けて、橋を渡って、浜辺のほうへ向かった。 街灯はぽつぽつとあるけれど、歩くうちにだんだん暗くなっていく。 車も通らなくて、からんころん、と下駄を踏む音がやけに響く。
七里御浜に出たのは、三分もかからなかった。空は深くて、星がいくつもまたたいている。
波の音が遠くから絶え間なく届いて、小石がじゃりっと転がった。 下駄の裏が不安定になって、足元を確かめながら、少しずつ前へ進む。
風が吹いて、袖が揺れた。波打ち際は、しんと静かだった。 ずっと波の音がしているのに、なぜか、そう感じた。
白いさざ波がゆっくりよせては返して、その繰り返しだけが、ここに残っている気がした。
腰を下ろして、小石の上に座る。冷たい感触が伝わってくる。海は黒くて、どこまでも続いているようで、少しこわい。
空には星がいくつも浮かんでいて、どれが何なのかはわからないけど、静かに光ってた。
なんとなく、星の名前を調べようとスマホを探しかけたけど、持ってきてないことに気づいて、そのまま手を下ろした。
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