第27話

 ハナさんは、ナナミとすぐに打ち解けたらしい。
話し相手ができたことで、少しずつ笑うようになって、外にも出られるようになった。



 でも、シンゴさんは、なかなか時間がかかった。


 ハナさんは、「お兄ちゃんの弱虫」って、ナナミにこぼしていたそうだ。
それに対して、ナナミは、こんなふうに返したという。


『ハナちゃんの気持ちは、すごくわかります。ハナちゃんは、シンゴくんのことが大好きなんです』


『シンゴくんも、がんばってます。ゆっくり、ゆっくり。待ってあげてください。きっと、浜辺をいっしょに歩けます』


 そう言われて、ハナさんは、なんだか安心したらしい。

 

 シンゴさんは、ハナさんとはちがって、心だけじゃなくて体のほうにも影響が出ていたらしい。


 
ちゃんと病名がついたわけじゃないけど、食べられなかったり、眠れなかったり、熱っぽい日が続いたり。そんな状態が、何ヶ月も続いていたという。


 ナナミは、いつもそばにいて、毎朝、体温を測って、顔色を見て、少しでも変化があれば、おじいちゃんやおばあちゃんに伝えていたそうだ。


 ……そうか。
と、あたしは納得した。


 だから、こていちゃんは、あたしにもやたらと体調のことを気にしてくるんだ。「水分補給をしましょう」とか、「どこか、悪いのですか?」とか、いちいち声をかけてくるのも、前に記録していた、その名残なんだと思う。


 シンゴさんは、やがてナナミに心を開くようになって、体調もゆっくりと回復していった。しばらくしてから、通信制の高校に移ったらしい。


 浜辺を、ハナさんとナナミといっしょに歩いて、海を眺めたり、子犬の散歩をしたり。そんなふうにして、日常を取り戻していったそうだ。今ではもう、県内でひとり暮らしをしながら、大学に通っているという。


 ──そう、ハナさんたちの話を思い返していたときだった。


「夏帆さま。……どこか、悪いのですか?」


 こていちゃんの声が、ふわりと届いた。
顔を上げると、すぐそばに立っていて、こっちを見ていた。
視線が、なんとなく、まっすぐすぎて、ちょっとだけ目をそらしたくなった。


「ううん、大丈夫」


「そう、ですか?」


「平気平気。こていちゃん……じゃないね、ナナミ。きみ、めちゃくちゃすごいAIだったんだね!」


「できないことも、たくさんあります」


「あははっ、料理はしなくていいよ」


 って。なんとなく、笑ってみた。


 ハナさんが、冷たいミルクティーを乗せたお盆を手に戻ってきた。
そのとき、あたしとこていちゃんのやりとりを、どこか不思議そうな目で見た。


 あたしは、なんでもないふりをして、視線をそらした。


 妙な空気が、少しだけ場に残る。それを断ち切るように、お兄ちゃんが声を出した。


「詳しくお聞かせいただいて、ありがとうございました。ただ、ひとつ……どうしても気になることがあります」


 真面目で、低い声だった。



「失礼な聞き方になるかもしれませんが、なぜ、ここまでたいせつにされていたAIを手放したんですか?」


 空気が、すうっと沈んだ。ハナさんは一呼吸置いて、ゆっくりと話し始めた。


「それは、兄の意向です。もちろん、祖父母にも相談して決めました」


 と前を置きを入れて。


「私も十九になり、この街で働いています。兄は一人暮らしをして大学に通っています。私たちは、もう子どもではありません。ナナミには、かつての私たちのように、傷ついている子どもたちのそばにいてほしいと思ったんです。それで、児童福祉施設へ届くよう、信頼できる方に仲介をお願いしました」


「じゃあ、何かの手ちがいか……その仲介人に悪意があったか、どちらかということですね」


 お兄ちゃんの声には、ひっかかるような響きがあった。



 ……怒ってる。



 お兄ちゃん、こていちゃんのこと、ちゃんと大事にしてくれていたんだ。


「ごめんなさい」


「いえ……こちらこそ、失礼な言い方をしてしまいました」


 ふたりのやりとりを聞いているだけで、何かがつまっていく気がして、あたしは思わず口を挟んだ。


「こて……ナナミは、たぶん、ハナさんたちと暮らすのが、いちばんしあわせだと思います」


 全員の視線が集まってくる。


「誰かの役に立てるとか、そういうのも、AIにとってはきっと大事だと思います。でも、それよりも、ナナミ自身の気持ちを考えてあげてほしいです。この街で、ハナさんたちといっしょに過ごすこと。……それが、いちばんいいと思います」


「夏帆さん……」


 ハナさんの声がした。
そのあとにはるかさんの声も聞こえたけど、よく覚えていない。
お兄ちゃんも何か言いたげだったけど、飲み込んだのがわかった。


 あたしは立ち上がって、こていちゃんの前に立った。
こていちゃんは、丸い目でじっとあたしを見ていた。


「ねえ、ナナミ。あなたは、ここで暮らしたいよね?」


 ぴこぴこと髪が光ったまま、こていちゃんは動かない。


「ね? ワンちゃんにも懐かれて、うれしかったでしょ?」


「はい」


「浜辺が、たいせつな場所なんだよね?」


「はい」


「ハナさんたちのこと、好きなんだよね?」


「はい」


 あたしは、こていちゃんの両肩に手を置いて、軽くぽんぽんと叩いた。
そのまま振り返って、みんなに向けて言った。


「これが、ナナミの気持ちですっ。ここに住ませてあげてください!」


 声の調子は、できるだけ明るくした。最後まで、笑って言い切った。

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