第18話

「……もし、あたしがこていちゃんだったら、このままここにいるの、つらいと思う」



 喉の奥がつっかえて、言葉が出てこなくなりそうになったけど、なんとか続けた。



「『ここにいようね』って言えば、『はいっ』って答えると思う。でも、それって、ただそう言わせてるだけかもしれない」


 ふたりの顔を、順番に見た。
強がってるつもりなのに、手のひらの内側がじっとりしてる。



「お願い。折衷案でいいから、七里御浜に連れてってあげてほしい……お願いです」


 クッションから手を放して、頭を下げた。下を向いたままだから、誰の表情も見えない。
部屋の音も、しんと静まってる気がした。


 少しして、はるかさんのやわらかい声が聞こえた。


「陽太。ね、お願い。車、出してあげて」


「……はあ? だっる。まじで言ってんの」



 お兄ちゃんの声は呆れてるような、眠そうなような。


「いいじゃん。たまには、素敵な手動運転でドライブしたいな〜」



 はるかさん、ちょっとおどけた調子で言う。



「彼女のお願い、スルーしちゃう? そんな冷たい彼氏でいいの?」


「ったく……都合いいな。こないだまで、散々ディスってたくせに」



「まだそれ根に持ってんの? ちっさ〜」


 何これ。喧嘩なの? それとも、いちゃ?
 ううん、そんなのより……これって……。
連れてってくれる、ってこと?


 そっと顔を上げたら、はるかさんがこっちを向いてにこにこしていた。お兄ちゃんは、ずっと床を見てた。こっちを見ようとはしなかったけど、ふいに立ち上がる。


「あー、だりー。でもな、これだけは約束しろ。俺の愛車を、二度とディスるな。文句言ったら、高速だろうが山道だろうが、即降ろすからな」


「はいはい。ありがと、陽太くん」


「うっせ」


 言い捨てるようにして、リビングを出ていく。


「あの……どこ行くの?」


 問いかけに振り返ることもなく、ぽつり。



「車屋。タイヤとオイル見とく。文句ねえよな。言われたとおりにしてやってんだから」


 え、まじ? フッ軽すぎる。



「お兄ちゃん、ありがと!」


 あたしも立ち上がって、背中に向かって叫んだ。
それから、そばにいたはるかさんの方へ、ぺこり。



「はるかさん、ありがとうございます!」


 はるかさんは肩をすくめて、笑いながら言った。



「私さ、もう二十歳なんだけど青すぎない?」


 冗談っぽい声が、なぜかあったかかった。


 こていちゃんは、きっと今ごろ、あたしの部屋で電気をのんびりチャージ中。
まだ何も知らないまま、ぴこぴこ光ってるんだろうな。


 でもね、こていちゃん。あたし、きみに見せたい場所があるんだ。



 きみが「たいせつ」って言った、あの浜辺。
もしかしたら、きみの「しあわせ」が、そこにあるかもしれないから。


 視界の端がちょっとにじんだけど、それは我慢した。



 あたしは、こていちゃんといっしょに歩く準備を始める。



 これは、しあわせ探しの旅の、スタートラインだ。

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