第13話

 夕方ごろ、はるかさんがやってきた。片手に買い物袋を提げて、「きたよー」と、あたしにはにこやかに挨拶してくれる。
ただし、リビングで平和に昼寝していたお兄ちゃんには、容赦なし。


「おいこら、おきんかい」


 すねをこつんと蹴る。


「ううっ……」



 お兄ちゃんは声にならない声を漏らして、のそっと起き上がった。


「ちょっと、仮にも俺は彼氏なんだけど」


「うんうん。こういうの求めてるんでしょ?」


「いや、もっとこう……お人やかで、気品ある大和撫子系を所望なんですけど?」


「へえ。AI診断にケチつけるつもり? でもまあ、私がきみと付き合ってるのを考えると、診断ミスかもね」


 言い合ってるようで、ちゃんと手加減してる感じ。あれはもう、プロレスみたいなもんだ。
お兄ちゃん、はるかさんにああやって絡まれるの、まんざらでもなさそう。


 こていちゃんが、あたしのそばにちょこんと立って、ぽそっと言った。


「陽太さまと、はるかさまのやりとりは、『好きのかたち』が変化した例です」


「うん」


 こていちゃんって、意外とそういうのに敏感。
言い合いの裏にある気持ちとか、距離感の空気とか、ちゃんと見てる。


 はるかさんは、さっとエプロンを身につけた。


「じゃ、始めるよー。手伝ってね」


「あ、はい。がんばりますっ」


「さすが夏帆ちゃん。ほんと、お兄ちゃんとは大違いだよ」


「はいっ。出来の悪い兄で申し訳ありません」


 あたしは、こていちゃんの口調を真似して、ちょっとだけ大げさに言ってみる。
すると、こていちゃんも続くように「申し訳ありません」と、ぺこりと頭を下げた。


 そのやり取りに、はるかさんが「ぶはっ」と吹き出して、手を叩いて笑う。
お兄ちゃんはというと、知らんぷりを決め込んで、ソファでスマホをいじっていた。


「……あ、やば。ガラムマサラ買い忘れた」


 はるかさんが、ふと思い出したように言う。


「陽太、おつかいお願いね」


「なくてもいいだろ、別に……」


 そう言いながらも、立ち上がってサンダルを引っかける。ぶつぶつ文句を言いつつも、はるかさんの頼みはちゃんと聞くあたり、なんだかんだで素直だった。


 そのあとは、キッチンへ。
食材と、「今日も仕込むよー」って笑ったはるかさんを見て、だいたい察した。


 カレー、たぶん数日分。しばらく毎日カレー確定。……まあ、カレーは好きだし、素直にありがたい。

 

 あたしは、はるかさんの隣でじゃがいもの皮をむいていた。
昔ながらのピューラーで、シャカシャカ手を動かす。
最新のAI調理器も、使うには基本が必要らしくて、「まずはこっちからね」って、はるかさんに言われた。


 こていちゃんは何もできないから、キッチンの端っこの椅子におとなしく座ってる。


「で、どう? あの子とおでかけとか行った?」


「はい。行ったには行ったけど……」


 あたしは手を止めて、思い出しながら口を開いた。

 

 その日は、買い物ついでに駅前をぶらぶらした。
西口公園を通って、アニメショップの広告に圧倒されて、雑踏の中をなんとなく歩いた。
特に目的があったわけじゃない。こていちゃんと、並んで歩いてみたかっただけ。


 駅前のショッピングモールを回ったり、ペットショップに立ち寄ったりもした。犬たちがじゃれてて、「かわいい〜」ってあたしが騒いでたら、こていちゃんはぴこぴこしながらじーっと見てた。


 変な顔してたから、思わず笑って「何それ、犬好きだったの?」って言ったら、首をかしげただけだった。そのあとは、建物のあいだを抜けて歩いた。


「人が多いですね」とか「ビルが高いです」とか、ナビみたいなことばっか言っていて、ちょっとズレてる感じ。


 
でも、あたしがちょっと立ち止まって、汗をぬぐったとき、


「水分補給をしましょう」


 って、声をかけてくれた。


「元気がいちばんです」っていう言い方が、どこか、誰かの口ぶりを真似してるような響きだった。
こていちゃん自身の言葉じゃない感じ。何か、借りてきた言い回しみたいだった。


 ……もしかして、前の主人は体が弱かったのかも。


「……っていうことがあったんですけど」


「ふむふむ。夏帆ちゃんの仮説、けっこう鋭いかもね」


 はるかさんは、皮をむいた野菜を手際よく切りながら、考えるように言った。


「ちょっと調べてみたの。固定型ってレンタル市場にはまず出てこないから、家庭用って印象も薄いし、ほとんど知られてないけど――」


 と、少し区切ってから続ける。


「福祉施設では、今でも使われてるらしいよ」


「福祉って……老人ホームとかですか?」


「うん、そんな感じ」


 聞いてみたものの、いまいちイメージがわかない。
だって、こていちゃんが誰かのお世話してる姿なんて、全然思いつかないし。


「食事の補助とか、入浴や排泄のサポートがメインみたい。確かに、今のあの子からじゃ想像つかないけどね。でも、固定型って操作もシンプルで、やることさえ決まってれば、あえて高性能なクラウド型を一台入れるより、固定型を何台か入れた方が効率的なんだって」


 へえ……そういう使い方もあるんだ。
あたしは何気なく、後ろを振り返る。


 こていちゃんは、キッチンの隅っこで、静かに椅子に座っていた。
目をときおりぱちぱちさせて、何か考えてるような、そうでもないような。


 この子、ほんとは何ができるんだろう。
もし、今はロックされてるだけで、介護とか看護とか、そういうスキルが隠れてるなら、それって、かなりすごい。


「まあ、あくまで私の想像だけどね。でも、もし前の主人が体の弱い人だったとしたら、そういうAIって、けっこう必要だったと思うよ」


 はるかさんは、軽く肩をすくめて、やわらかく笑った。


「夏帆ちゃんは、これからも、あの子にいろんなことを体験させてあげてね。『水分補給しましょう』って声をかけてくれたのも、外に出てみたからこそ出た反応でしょ?」


「確かに、そうかも」


 あたしは、剥いたじゃがいもをボウルに移しながら、うなずいた。


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