第6話
「おい、夏帆、どうしたっ」
焦った声とともに、お兄ちゃんがリビングにやってきた。 頭を抱えるあたしと、正座したまま頭を下げてフリーズしてるこていちゃんを見て、唖然とした顔になる。
「……届いてたのか。で、これはどういう状況?」
「実はね……」
あたしは経緯をざっくり説明した。
お兄ちゃんは、わかりやすく「はぁ」とため息を何度もついてから、スマホをいじり始める。 画面の中では、AIアシスタント相手に、やたら専門用語まじりの会話が続いていた。
お兄ちゃん、一応、大学のロボット工学科だし、詳しいのは確か。こういうところだけは、ちょっと頼れる。
「おしまいだな」
「なんで? 設定変えられないの?」
「そいつのうなじ、見てみろ」
「うなじ?」
「触るね」
と声をかけて、さらさらの髪を分けてみる。 首の後ろには、金庫のロックみたいな装置が埋め込まれていて、ここだけめちゃくちゃ不自然だった。
「そこに専用の物理キーを差し込まないと、設定変更はできない。つまり、プロトコルの再構成も、動作アルゴリズムの書き換えも、全部ロックされてるってこと」
「……鍵がいるの? 段ボールの中には、入ってないかな」
「ねえよ。さっき見た」
「なんでそんな大事なものが入ってないの?」
「さあな。元の所有者が持ったままか、なくしたか、捨てたか。で、あのガラクタ屋はそれをわかってて黙って売った。おまえがゴリ押したせいで、欠陥品を掴まされたってわけだ」
「……そんな言い方、しなくてもいいじゃん」
本気で泣きそうになった。 それを気にしたのか、いや、たぶん気まぐれなんだろうけど、お兄ちゃんの口調が少しやわらかくなる。
「メモリの空きさえあれば、新しくプログラム組ませてみれるけど」
「ほんとに? じゃあ、早くやろうよ!」
目の奥がぱあっと明るくなる。
便利になってほしいのもあるけど、ずっと下を向いているこていちゃんが、なんだかかわいそうで。 少しでも、何か役に立てる子になってくれたら、って思った。
お兄ちゃんは、ぺらいちのQRコードからシステムにアクセスする。 こていちゃんの状態を調べていた指が、ぴたりと止まった。
「……あー、はいはい、やっぱダメだ。メモリ、残り容量ゼロ」
「ゼロって……」
「待てよ……これ、直近分だけ履歴見れるな」
お兄ちゃんがスマホを操作しながら、目を細める。
「最終書き込み、全部今日じゃん。七月五日、十三時二十八分。ユーザー名:小南夏帆、位置情報:東京都豊島区……って、完全におまえじゃん」
「あたし……だけど」
認めるしかなかった。全部、あたしがやったことだ。お兄ちゃんの顔がじわじわ険しくなる。
「で、そのあとも、陽太についての情報を入力、家族構成を説明……ってさ。何これ、全部、おまえが打ち込んだの?」
「……打ち込んだっていうか、教えてあげた。この子が困らないようにと思って。お兄ちゃんのこと、知らないままいっしょにいたら、こわいでしょ?」
「はぁ!? なんで『はるか』のことまで教えてんだよ!」
「……だって、デレデレして話してたじゃん。どうせ仲直りしたら家に連れてくるんでしょ? 何も知らなかったら、この子が気まずいって思って……」
お兄ちゃんは呆れたようにため息をつく。
「やってらんねえ……。この容量なら、飯と掃除くらいの最低セットは組めたかもしれねえのに。おまえさ、せめて説明書スキャンして、AIに要約させてから読むとかしろよ。今どき、小学生でももうちょいリテラシーあるぞ」
「そんな……だって……」
声が、かすれた。
「……怒るなら、いっしょに設定してくれたらよかったじゃん。呼んだのに無視したくせに。全部あたしのせいなの?」
悔しかった。 責められたからじゃない。 本当に、自分が失敗してたってわかってしまったことが、悔しかった。
そして、こていちゃんに「できません」って言わせてしまったことが、いちばんつらかった。涙が出そうになる。でも、泣きたくなんてなかった。
──そのときだった。
「……仲良く、しましょう」
女の子の声がした。 ふたりして、びくんとして、そっちを振り返る。正座のまま、こていちゃんが顔を上げて、目が合った。
「夏帆さまも、陽太さまも。喧嘩は、よくありません。本当は……お互いのこと、好き、だと思います」
イントネーションがどこかたどたどしくて、まるで誰かの口ぶりをそのままなぞっているみたいだった。 お母さん、というより、品のある、おばあちゃんのような響き。
こていちゃんの言う通りだ。喧嘩したって、なんにもならない。
「……ごめん、なさい。あたしが、勝手にやったのが悪い」
主語はつけなかったけど、それは、たぶんお兄ちゃんに向けた言葉だった。
「もういいよ。……ってか、いちばん悪いのは、あの詐欺師のオヤジだろ」
ぶつぶつ文句を言いながら、お兄ちゃんはスマホを取り出し、あの店に連絡を取ろうとする。 でも、電話はつながらなかった。そのまま、秋葉原へ向かって出ていった。
二時間後。玄関の音がして、あたしは慌てて迎えに行った。
「どうだったの?」
「もぬけの殻だった」
それだけ言って、お兄ちゃんは階段を上っていった。 背中が、いつもよりちょっとだけ、重たく見えた。
──こうして。 あたしとお兄ちゃん、そしてこていちゃんとの、三人暮らしが始まった。
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