第2話

 午前7時。

 僕は大学時代の友人たちと共に旅行に来ていた。今日は旅行に来て二日目だ。陽菜とのこともあり、僕は昨日一睡もできなかった。そのため、早朝から食堂に居た。食堂にはどんな料理でも作れそうな立派なキッチンと十人掛けのテーブルがあり、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。


 僕はテーブルの一席に座って、コーヒーを飲んでいた。それから少しして、僕が一番見知った人物が食堂にやってきた。

「おはよう。昨日はどうだった?」

 ニヤつきながら、話しかけてくるこのイケメンは荒木湊。僕たちが泊まっているこの洋館も湊の別荘だ。湊とは高校からの友達で、高校では同じバスケ部に所属し、大学では共にバスケサークルに所属した。


「言えなかった」


 湊は大学生の時に、僕が陽菜を好きな事を見抜いた。僕は見抜かれた時から、湊には正直に伝えることにしている。すると、彼は笑って、

「決定力のなさが、恋愛でも出ているね」

 と僕を煽ってきた。バスケ部時代、僕はシュートに決定力が無くて顧問によく怒られた。その事を煽っているのだ。


「うるさい」

 今回は決定力の問題ではない。シュートを打てる機会で打てない、僕の度胸の問題なのだ。


「それにしても、この別荘すごいな」

「まあな、俺もたまにびっくりするよ。まあ、親の持ち物なんだけどな」

 謙遜するように湊は言うが、彼は大企業の荒木ホールディングスの社長の一人息子で、会社もこの洋館も、時期に彼のものになるのだろう。


「いずれ湊のものになるんだろう?」

 湊はキッチンにあるコーヒーメーカーのスイッチを押しながら答える。

「まあ、多分な。でも人生どこに爆弾があるかわかんないからな。この建物も会社も一緒。いつ倒れるかわからない」

 

 その思考ができるなら、仕事も成功するだろうと思いながら僕は窓から外の景色を眺める。

 この洋館は、海と山に挟まれており、自然豊かな場所にある。夜のバルコニーからは、海に夜空が反射した幻想的な景色を見ることができる。しかし、今日は生憎の大雨だ。


「今日が雨で残念だったな」


 窓から外の景色を眺める僕に、湊は慰めるように言う。今日が晴れたら、全員で海水浴をする予定だったのだ。


「……天気は仕方ないからな」


 ここは自然が豊か過ぎて、雨が降ると、できる事が一気に少なくなる。

 湊はリモコンを取って僕の対面に座り、テレビをつけた。今の時間帯はどの局もニュースがやっていた。大雨の情報について、お天気キャスターが解説している。


『台風の影響で、明日の朝まではこの大雨が続く見込みとなっています。不要不急の外出はできるだけ控えてください』


 すると、一人の女性が食堂に入ってきた。

「おはよう。さすがにこんな日に旅行しているのは私たちだけだろうね」

 彼女の名前は小野由佳。由佳はきれいな真っ直ぐで綺麗な黒髪をポニーテールにし、ラフな格好でやってきた。棚からコップを出し、水道水を飲んでいる。


「そうだろうね。この感じだと、明日までは帰れそうにないね」

 湊が答える。由佳は二杯目の水をコップに汲んでいる。由佳の水を飲む姿も、水道から水をくむ姿もどこか上品さがある。

「昨日の夜、海の方見た? すっごい綺麗だったよ、月」

 由佳が椅子に座りながら僕に聞いたタイミングで今度は二つの人影が食堂に入ってきた。


「あれ、もうみんな居る」

「てっきり僕たちが最初だと思ったんだけどな」

 佐々木恵梨香と中村啓介。彼らは大学生の頃から付き合っていて、そろそろ結婚を考えるそうだ。


 僕は由佳の質問に答えるタイミングを見失った。

「啓介、水いる?」

 啓介は何も言わずに頷く。そして一度咳払いをしてから言った。

「みんな朝早いんだな」

「まあ、社会人二年目だし、勝手に体が起きる」

 僕は口から出まかせを並べる。


「そうだよね。私も最近は体が勝手に起きちゃうんだよね」

 由佳が話を合わせてくれて助かった。僕は逃げるように、二杯目のコーヒーを取りに行く。

「ちょっと早いけど朝ごはんにしようか」

 啓介が朝食を提案する。ご飯作りは啓介が担当することになっていた。彼はホテルでシェフの卵として働いている。まだ修業の身らしいのだが、昨日の夕食はホテルで出されてもおかしくないぐらいの出来だった。


「私、陽菜のこと起こしてくるね」

 由佳が椅子から立ち上がり、コップをシンクに置いた。

「じゃあ、僕は大雅を起こしてくるよ。恒星は由佳について行ってあげて」

 対面で立ち上がっている湊は片目をつぶって笑みを浮かべている。

「……わかった」


 由佳は入り口のところで僕を待っていた。

「じゃあ、行ってみようか」

 今回の旅行では、男性は二階、女性は一階に泊まっている。食堂を出たすぐ目の前に階段があり、そこを下って右側に行く。手前から二つ目の部屋に陽菜は泊まっている。


「陽菜起きてるかな?」

「いや、まだ寝てるんじゃないか」

 陽菜の起床が遅いのは珍しかった。大学時代、彼女は一度も遅刻したことが無かったし、授業はよっぽどの用事がない限り、休まなかった。誰がどう見てもとても真面目な学生だった。


「まあ行ってみたらわかるか」

「そうだけど、私より先に部屋入っちゃダメだけからね。結婚してない女の子の寝顔を見ちゃダメだよ」


 由佳はジト目で僕の方を見ているが、そもそも部屋に入るつもりはない。その旨を伝えようと思ったその時、神谷大雅とすれ違った。大雅の手にはタオルと空のカップがあり、彼は少し汗ばんでいる。


「あれ、おはよう。起きてるなら言ってよ。寝てるかと思って今荒木君が起こしに行っちゃったよ。今から朝ごはんだって」

 由佳はゆったりとした口調で、大雅に現状を説明する。

「自分で起きれるから。余計なお世話」

 大雅はすれ違いざまにそんな捨て台詞を吐いて、二階に向かった。


 僕は昔から大雅が苦手だった。大学の発表で同じ班になった時、彼は何もやらずに準備を僕にすべて押し付けてきた。

「なんか変な人だよね」

 由佳は、眉間にしわを寄せながら言った。

「うん。ちょっと感じ悪いよな」

 僕がはっきりと肯定したことは意外だったようで、由佳は我に返って直ぐに話題を終わらせた。


「まあ、とりあえず、陽菜を起こしに行こうか」

 僕たちはまた陽菜の部屋を目指した。と言っても、階段から陽菜の部屋までは30秒程度しかない。


「じゃあ、中の様子確認してくるから、良いって言うまで入っちゃだめだよ」

「わかってるよ」

 由佳はすぐにドアをノックする。

「陽菜、ご飯だってよ」

 しかし、部屋から声は返って来ない。

「陽菜~、起きて~」

 由佳は一度目よりも大きな声で、叫ぶように言いながら、強くノックする。

「……」

 しかし、またしても部屋から声は帰って来ない。


「あけるよー?」

 由佳がドアノブに手を掛ける。

 僕はドアの中が見えない位置に移動し、由佳の様子を伺う。ドアを開けた由佳は大きく目を見開き、呼吸が止まったように肩が跳ねた。


「陽菜!」


 由佳は部屋の中に飛び込む。僕もただならぬ感じを悟って、由佳を追って部屋に飛び込んだ。部屋の中を見てみると、ベッドの横に大きく、赤黒い血だまりができている。血だまりの源は、ベッドで倒れている陽菜だった。


「大丈夫⁉」


 由佳は陽菜に食いつくように近づいていき、陽菜の体を力強く揺らす。しかし、陽菜は目を閉じたまま、力なく揺れるだけだった。

「誰か、来てくれー!」

 僕は食堂まで聞こえるように叫んだ。そして状況を確認する。ベッドの横にはナイフが落ちている。きっとこれが凶器だろう。部屋には荒らされた形跡は無い。寝ている時にナイフを刺されたとみるのが妥当だろうか。


 僕はナイフをハンカチに包み、持ち上げた。

「どうした?」

 息を切らした様子で、湊がやってきた。

「陽菜が!」

 由佳が叫ぶ。湊は陽菜の様子を見て、状況を理解したようだが、衝撃的な光景に立ち尽くしてしまった。


「警察と救急車を僕が呼ぶから、湊はみんなを食堂に集めて」

 僕は冷静な口調で伝える。湊は焦りながら頷き、階段方面へ駆けていく。僕は一度部屋を出てスマホを取り出す。


「陽菜!しっかりして!」


 由佳はまだ、陽菜を揺らし続けている。しかし、あの血の量だ。きっともう彼女はこの世にいない。

 スマホを三回タップし、電話のコールがなる。すぐに繋がって僕は状況を説明した。


『申し訳ありません。大雨の影響で土砂崩れが発生していまして、現状そちらに行ける状況ではありません』


 想定はしていた。僕たちがこの洋館に来る時も山道を通った。あの山道を通る以外に、ここに来る手段はない。大雨の影響で山道が通れなくなってしまったのだろう。


「……わかりました。土砂崩れの撤去が終わるのは大体いつ頃でしょうか?」

『大体二週間程度だと思います』

 二週間。警察と救急はやってこない。


 このことは陽菜を殺した犯人と二週間、一緒に過ごさなければならない可能性を示していた。だから、僕は決めた。


 陽菜を殺したやつを、この手で見つける。

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