第36話 虚弱聖女と八百年

「ふぅむ……なら、クロラヴィア王国で守護獣として崇められている『シィ』とやらは……一体何者なのじゃ?」


 システィーナ様の言葉を最後に、部屋の空気が沈黙で重くなった気がした。


 ラメンテがシィ様なら、私がずっと力を捧げていた相手は、何?

 キアラたち、歴代聖女たちが、生命力を使ってまで力を捧げていた相手は、一体――


 私の脳裏に映ったのは、供儀の間に飾られたシィ様の像。

 薄暗い部屋の中、四つの水晶玉が乗った柱に囲まれるように飾られていた。


 確か、毛の長い四足の獣だった。ラメンテに似ていると言われればそうかもしれない。だけど、【今振り返れば】いう前置きが必要なほど、シィ様とラメンテの姿は似ていないように思えた。


 シィ様の像からは、人を寄せ付けない圧倒的な威圧感があった。初めてシィ様の像を見たとき、畏怖よりも本能的な恐怖を覚えた。

 だけど、ラメンテにはそれがない。優しくて人なつこくて、初めて出会ったときから不思議と親しみを感じていた。


 考えれば考えるほど、深みへとはまっていく。

 

 私の祖国は――クロラヴィア王国は、一体何を崇め続けているのだろう。


 肌が粟立つ。

 手のひらから熱が失せ、底知れない恐怖で体が僅かに震え出す。


 震えを止めるため、自分の体を抱きしめたとき、視界の端で心配そうなレイ様が口を開くのを見た。

 だけど先に声を発したのは、レイ様でもラメンテでもなく――


「お前、顔色悪そうだけど大丈夫か!?」


 黒い毛玉が私の視界いっぱいに飛び込んできたのだ。ルゥナ様がテーブルに乗り、私の顔を覗き込んでいた。

 だけど不思議なことに、彼が近づいてきた音は全くしなかった。テーブルの上に置かれていた茶器も全く揺れていない。


 そんなことに気を向けている私などお構いなしに、ルゥナ様は私の腕の中で丸まっているラメンテを思いっきり睨み付けた。こちらに向けられた前足からは爪が出て、開いた口から鋭い牙が光っていた。


「さっきははぐらかされたが……シィ、お前……これだけ結界を広げるために、どれだけの聖女を犠牲にした? この聖女は、お前が使い捨てた何人目の聖女だ!?」

「つ、使い捨てた!? 僕は大切な聖女をそんな風に扱ったりしないよっ!!」


 今までルゥナ様を恐れてばかりだったラメンテが、ここで初めて声を荒げた。全身の毛を逆立て、うなり声を上げる。

 一瞬だけルゥナ様が怯んだ。ヒゲが下がったように見えたけど、すぐさま私とラメンテへ交互に視線を向けながら、言い返す。


「んなわけないだろっ!! じゃあ、なんでつい先日まで何も無かったフェンレア王国の辺境から、お前の結界がうっすら見えるようになったってんだよっ!!」

「えっ?」


 ルゥナ様に反発していたラメンテが、ポカンと口を開いたまま止まった。予想だにしなかった返答に、理解が追いついていない様子だった。それはもちろん、私たちもだ。


 私たちの反応を見たシスティーナ様が、口元を扇で覆いながら補足される。


「今まで何もなかったフェンレア王国の結界外に、突如別の結界が薄ら見えるようになっての。当初は、守護獣シィの結界がここまで届いたのかと思ったんじゃが……それにしては結界の広がりが早すぎるように思えてのぅ」

「結界間の距離が短くなったから、ルミテリス王国までやってこれた、というわけか」

「そういうことじゃ」


 レイ様の言葉に、システィーナ様は満足そうに頷かれた。


 だがルゥナ様は、毛を逆立て、まるで体が上に引っ張られているかのように丸めながら、落ち着きがない様子でうろうろし出した。だけど視線は常にラメンテを捕らえて放さない。まるで、獲物を狙っているような目だ。


「俺がお前と一緒に、前守護獣と入れ替わりで人間界に降り立った後、五つの国を守れるほど結界を広げるのに、どれだけ時間を費やしたと思ってる? 八百年だぞ!」


 八百年。

 場を切り裂くような叫びが、私の鼓膜を突き刺した。

 

「俺は、八百年かけて結界を広げてきた! その間に、何人もの聖女と出会い、力を合わせて守り、最期を看取ってきた! 神聖連合の広大な結界は、歴代聖女たちの努力の結晶!! なのにお前は何だ!! 今まで音沙汰無かったかと思ったら、聖女を酷使するような雑な仕事をしやがって!! ここまで結界を広げるまで、何人の聖女を殺した!?」


 ルゥナ様が脅すように牙を見せつけた。しかしラメンテは、


「ま、待って……何が何だか……」


 と戸惑うだけ。

 埒が明かないと思ったのだろう。ルゥナ様が、鋭い爪を出した手を振り下ろそうとしたとき、


「待て」


 席を立ったレイ様の腕が間に割って入った。


 ルゥナ様の爪が、レイ様を引っ掻く前に止まった。間一髪だった。ホッと息を吐き出す私の前で、レイ様が静かに――しかし怒りを押しとどめたような声色で告げた。


「ルゥナ殿は誤解されているようだ。ラメンテはこの地に現れて二百年間、聖女不在のまま己の力を結界に注ぎ、我々を守り続けてきた。聖女を犠牲にするなど、もってのほかだ。これ以上、我が国の守護獣に対する侮辱は他国の守護獣といえども――」


 赤い瞳に影が落ちる。


「許さん」


 ルゥナ様の動きがピタリと止まった。


 ぼそっと「人間ごときが……」と呟かれたが、ますます眉間の皺を深くし、今にも爆発しそうな激情を押し隠しながら静かに見つめ返すレイ様に、ルゥナ様も観念したようだ。


「……ということは、聖女に無理をさせていないんだな? 殺していないんだな?」

「もちろんだ。セレスティアルは、ルミテリス王国初の聖女だ。ラメンテとも仲が良いし、大切にしてきたつもりだ。そして――」


 レイ様が言葉を切ったかと思うと、身を屈め、後ろから私とラメンテを抱きしめた。

 彼の頬が、私の頬と密着する。

 互いの熱を伝え合う。

 

「これから先もずっと、そして今まで以上に、大切にしていきたいと思っている」


 いや、言い方?


 聖女として大切にしているということを、ルゥナ様に説明してくれているだけだと分かっていても、彼の発言に体温が自然と上がっていくのが分かる。


 すぐ傍で聞こえてくるレイ様の息づかいが聞こえる。

 思わず視線を向けると、力強い輝きを宿す赤い瞳と目が合った。


 彼の唇が笑みを形作る。

 その優しい微笑みから、視線が外せなくなる。


 レイ様の瞳に映る自分が特別だと、錯覚、しそうに――


「……お前らの言い分は分かった」


 ルゥナ様のまだ納得していないような発言で、私は正気を取り戻した。慌ててレイ様から視線を逸らすと、ラメンテを抱きしめ、顔に登ってきた熱を隠すように彼の毛に顔を埋めると、取り繕うように呟いた。


「わ、分かって頂けて、良かったです……」

「でもお前、痩せすぎ。システィーナみたいに、もう少し太れ。じゃないと無茶させられているんじゃないかって勘違いするだろうが」


 私の全身にじろりと視線を走らせると、ルゥナ様は罰が悪そうに吐き捨てた。そして、


「まあ……シィ、勘違いして悪かったな」


 とポツリと呟かれた。


 ここまでの態度が乱暴で驚いたけれど、根はいい方なのだろう、ルゥナ様。

 彼とパートナーを務めた歴代聖女たちを敬うような発言をしていたし、見ず知らずの私のことだって心配してくれたし……


 などとルゥナ様の態度から見え隠れしていた優しさを噛みしめていると、ルゥナ様の頭をむんずと掴む手が現れた。それは無理矢理彼をテーブルから引きずり下ろすと、まるで赤子を抱くように横抱きした。


 そんなことが出来るのは、ただ一人。


「し、システィーナ?」

「さきほど、わしのように【太れ】と聞こえたようが気がしたんじゃが……聞き間違いかのう?」

「べ、別にお前が太っているって言ったわけじゃ……」

「わ し は 太 っ て い る の か ?」


 一言一句、もの凄い迫力で詰め寄られ、ルゥナ様は全身の毛をぶわっと逆立て、


「太っていないデス……」


 と敬語で答えられた。


 それを聞き、システィーナ様は満足そうに目を細めると、ルゥナ様を解放した。解放されたルゥナ様は毛を逆立て体を丸めながら、ぴょんぴょんっとシスティーナ様から距離を取られていた。時折、フーっと威嚇するような息づかいが聞こえた。


 ルゥナ様、以外とシスティーナ様に頭が上がらないのかもしれない。


 二人の力関係の本当の形を見た気がした。


 そのとき、いつの間にか席に戻っていたレイ様が、ルゥナ様とシスティーナ様に真剣な表情を向けた。


「クロラヴィア王国の守護獣については、ここで考えても答えは出ないだろう。一先ず、新たに聞きたいことがある。ルゥナ殿は先ほど、シィと一緒に、前守護獣と入れ替わる形でこの世界にやってきたと言っていた。ということは守護獣は時折交代することがあるのか?」

「それに……急激に結界を広げると、聖女の身が危険だと何度も仰っていましたよね……それについても気になります」


 レイ様の質問に、ルヴィスさんも自身の疑問を追加する。


 それを聞いたルゥナ様は大きくため息をつき、ラメンテを見た。だがラメンテに記憶がないことを思い出したのか、「仕方ねえなぁ……」と諦めたように項垂れると、システィーナ様の膝の上に乗った。


 黒い尻尾がピンッと立つ。


「その説明をするには、世界の成り立ちと、俺たち――【聖獣】という存在について説明する必要がある」

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