第24話 紅錦瀑布の主
先ほどまでの風が春一番なら、今起きているのは
「神代の怪異とは、相手にとって不足なし!」
顔にまとわりつく水を払いのけながら、清霞が苛立ちに声を荒げる。
暴風雨の中を赤と紺の龍が縫うように空を駆けている。茂治たちから受け取った結界がなければ、人など容易にあおられていただろう。
「礼花っ! 今でも遅くないそこをどけ!」
「私はこの山を守らなければいけないんです。例え久堂様だとしても、私達の邪魔はさせません」
同じように自分の周りを結界で囲った礼花が低い声で告げる。身にまとっているのは女学校の制服だろうか。白を基調とした
潮満足、と名付けらた赤の龍の尾が清霞に向かって振り下ろされる。それを結界によって弾き飛ばし、清霞の紫電が龍に向かって放たれた。龍の表皮を軽くえぐりながら、真っ白な線を引いて掻き消える。
「私はこの地の異常を止めに来た。狼だろうが龍だろうが、関係はない」
「あなた様の領分ではないはずです。お引き取りを」
「断る!」
軍刀を握る手に力を込める。あの紫電の威力なら、たいていの異形は消し飛ぶ。しかし、目の前の龍にさほどくらっていないようにも見えた。
(潮満足、潮干乾……。海もないのに尊大な名を持ったものだな)
赤の龍が空に逃げたかと思えば、次は紺の龍が口を広げてこちらを飲み込もうとしていた。降り注いでいる雨のせいで、得意の火は使えない。そこも礼花らしい戦い方とも思えた。礼花の事だ、清霞の得意とする火と雷の異能のうち、一つを削ることを優先したのだろう。彼女たちは清霞と茂治の鍛錬を見てきた。ならば、自分の異能がどのようなもので、威力の多寡や制御なども知っていてもおかしくはない。
山の中で火を焚くことは避けたかったのだろう。植物を傷つけるのは”山守”の主義に反する。
(その分、雷の力が増すが……)
力が増した分の制御に手間取ってしまう。そこも織り込み済みとは、やはり茂治の娘、”山守”の力は伊達ではない、ということだ。
龍の呑み込みを横に飛んで回避し、軍刀でひげを一本切り落とすことができた。ひげ一本でも、長屋一棟程はあるだろうか。どしり、と岩肌に落ちたひげは縄のように重たい音を立てた。うめき声をあげた潮干乾は、尾でその場を撫でるように振り回す。振り回された尾はその場の空気と水を纏って迫ってくる。
「……厄介な」
(私に、できることは……あるのかしら)
龍など、絵物語でしか見たことない。ましてやそれに挑もうだなんて、夢にも思わないだろう。ごうごうと鳴り響く風と雨の中、駆け回る清霞の姿はまるで古の英雄のようにも見える。けれど、彼は人だ。
(私にも、何かできることを!)
「美世! その場を動くな!」
美世の動いた気配が分かったのか、清霞が大声を張り上げた。動かしかけた足が中途半端な高さで止まってしまった。そろそろと下ろし、おろおろと前を向くことしかできない。
「私にできることは……」
危険だと言われていたのに、ついてきたのは自分だ。けれど、目の前で躍動するすべてに心が吞まれ、思考が止まってしまった。
目の前の光景で、美世の心は大きく波打っていく。できることは、と思うのに体が動かない。ぎゅっと手を握りしめていると、視界の隅で何かが待ったのが見えた。
「あ……」
ひらひらと舞っているのは、黒地に青の鱗粉をまとった蝶だった。蝶と言えば、庭で見かけるモンシロチョウやアゲハチョウしか頭になかったので、こんなに黒く、青く輝く蝶がいるとは思わなかった。
「あなたは……先ほども、助けてくれましたよね?」
指を差し出すと、ひらひらと黒い蝶がゆっくりと止まった。そうだ、この蝶は”道”で出会った。”道”はグニャグニャとした油の中の様な場所だった。左右の方向すら分からなくなった二人に、不意にこの蝶が現れたのだ。
清霞が言うにはこれも”山守”の力が働いているらしい。異能の気配を感じるが、敵意も感じられない、不思議に思いながらついて行けば、気づけは礼花たちの前に現れたのだ。
「私は、旦那様にけがをして欲しくないです」
ゆったりと、羽衣を広げるように蝶が羽ばたく。こんな美しいものを見たのは久々で、こんな状況でなければじっくり見たいと思える。届いているのか分からないが、自分ができることはおそらくこの蝶が知っているのだと”予感した”。
「旦那様だけじゃありません。礼花さんにも、茂治さまにも、滝さんにも」
この数日間の思い出は、キラキラとした宝石のようだ。今日までじゃない、清霞から出会って数か月のうちにいろんなことがあった。全てがよい思い出、と胸を張って言えるわけではないけれど、少なくとも、ここで全部が終わることは絶対に嫌だと言える。
「私は、後門様と礼花さんたちがずっとずっと”家族”でいてほしいんです」
そうだ。”山守”と”門番”と言う立場ではあるけれど、彼らの間に会ったあたたかなものは”家族”という絆だ。それを壊してほしくない。
「私はもう”家族”が離れ離れになる所を、見たくありません!」
と、次の瞬間美世は目を見開いた。手にしていた蝶の纏う光が一層強くなったからだ。まるで、ろうそくから電灯になったかのように。
「あ……」
その光に包まれた途端、美世は視界が白んだ。そして、目を見開くと———。
「……ここは?」
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