第13話 託したもの、託されたもの
「では、お前に問う。お前が帝都に行くのをあきらめた理由を」
「諦めた……。とは、異なことですね。私は託されたのです」
「託された? お前達”山守”に……誰が?」
「……本当に、ずいぶんと甘くなったものですね。私の知る久堂様とは別人のよう。かつての貴方なら、人の事情などお構いなしに端的に問いかけてきたのに」
「御託はいい、答えろ」
——— 5年前、お前は後門に何を託された?
「つ、疲れました……」
最後の一株を束ね終え、美世はその場に座り込んだ。やり方を一通り教わり、それからひたすら手を動かしていた。気が付けば、3面ほどの田んぼが片付いていた。
「あはは! 家事とは違う所を使うからね、農作業は」
「でも、美世さんすぐになれたね。上手上手」
手を泥だらけにした仁花と智花が寄ってきた。小休止に入ったのだろう、辺りを見渡せば村人たちがあぜ道に腰を下ろしていた。稲の収穫は家どころか村全体で行う作業だからか、みな家から弁当を持参していた。お重に詰まれたものを笑いながら食べている姿は微笑ましい。
「そ、それは皆さんの教え方が上手いだけで……」
「いいよいいよ。うちらの仕事分はもう終わったから、家に帰ろうよ。多分お母さんがそばを作って待ってるよ」
「お母さんのおそば、しゃきしゃきしておいしいよ」
「そ……それはいいですね」
そばは帝都では定番の献立だ。そば打ちをやったことはないが、コツがいるらしく奥深いとも聞く。あの料理上手な滝が打つそばは気になる。だしの取り方や、盛り付けの妙、ぜひ参考にしたい。
「東風椿も……うん。ついて来てるね」
仁花の視線を追っていくと、上空を旋回している東風椿が見えた。東風椿、不思議な名前だけれどつやがあり、黒々とした翼は確かに椿の葉を連想させた。
「山に入るけれど、ちゃんと私たちについて来てね。”山守”が見失うと、美世さんを守れない」
「あ、はい!」
どういう意味だろうか。けれど、異能に詳しくない自分には適切な質問が浮かばない。元々、質問をした経験がないので良い問いかけとそうでない問いかけの違いが分からない。
「それにしても、久堂様本当に変わったね」
智花がぽつりとつぶやいた。そのつぶやきに仁花が首がもげるくらいの勢いでうなずき始めた。
「あぁ! あの変わりよう、長年の好敵手であるうちでなくとも気づく!」
「そ、そうですか?」
こくこく、と小鳥のように二人がうなずいた。
「前に会った時は寄らば切る、など大層偉そうな風体だったというに。あれだな、恋は盲目というやつだな」
「こ、恋っ!?」
思わぬ言葉に美世の声が裏返ってしまった。はっとして口を抑えていると、智花がじぃっとこちらを見上げてきた。
「恋じゃないの?」
「ち、違いますっ!!」
「そうかな? 美世さんを見ている時の久堂様の顔、見たことないくらい穏やかだったな。お父さんと将棋を打ってる時みたい」
「いや、あれは相当腑抜けた顔だな。まぁ、それくらいのかわいげがなくては我が好敵手とは言えまい。うちも鉄面皮な冷血漢とやりあう気はなれんしな」
「わかる。久堂様、かわいくなった。飴細工あげた時みたい」
「む、あれは飴細工などで喜ぶ性質か? と、いうか智花、いつ飴細工あげたんだ?」
「ちょっと前。ほら、お父さんと修業した後、疲れているからって。礼花お姉ちゃんと一緒に作ったキャラメルあげたの」
「キャラメル? あの、固い飴の……キャラメルのこと?」
美世が尋ねると、智花がこくんとうなずいた。
(キャラメル……。そう言えば……前にも)
少し前、清霞が家事の息抜きにと買ってきてくれた覚えがある。初めは固さに驚いたが、ゆっくりと口の中で転がしながら溶かすとほっとする甘さが広がった。
「ねぇ、お姉ちゃん。お父さんも言っていたけれど、久堂様もやっといい人を見つけられたんだね」
「あぁ。器量も血筋も問題ない。少し気が弱い所と、不器用なところが玉に瑕だが、葉月さんがいれば安心だな」
「葉月さんなら、安心だね」
「あぁ、なによりここに来てくれることが嬉しいぞ。帝都に比べればここなどつまらない場所だろうに、文句ひとつ言わないし」
「そんなことはありませんよ。帝都と比べることはありませんよ」
ふるふると美世は首を振った。帝都とこの山、どちらが優れているなど意味のないことだ。それに、美世だって帝都にあまり詳しくはない。今、少しずつ知っている途中だ。そんな事情を知ってか知らずか、少女たちはそうだそうだと言い合っている。
「帝都から来た訓練生どもはみな、つまらんと嘲笑していたぞ。そのたびに山で迷わせたがな。なぁ、智花?」
「そうだね。私達にも優しいし。”山守”の子だって、馬鹿にしないし」
「あぁ、それもあるな」
「え? ここずっとお世話になっていますし……それに馬鹿にするほど私はえらくも何ともありません」
それは、人としてごくごく普通の感覚ではないだろうか、と美世が心中でつぶやいていると、仁花が首をすくめた。
「それは重要なことだぞ。子どもが好きかどうかは別問題であるが、他者に対してどれほど譲歩できるか、
「め、めおと!?」
「夫婦じゃないの?」
「ま、まだ婚約者ですっ!!」
「あのほれ込み具合、最早言い逃れはできんところまで行っていると思うが、なぁ智花?」
「うん。仁花お姉ちゃんの言う通り。言い逃れできないよ、あれは。自白しているようなものだよ。しのぶれど色に出でにけり、だね」
「ご、誤解です!!」
子どもは純粋さゆえに、とっぴな考えをするものだとよく聞くがここまでとは思わなかった。自分たちは恋だの愛だのと言った感情とは無縁な関係だ。けれども、清霞の隣にいたいと願ったのは確かに自分だ。
でも、それを何と呼称するのか分からない。しかし、恋ではないと思う。あの美しいものに恋い焦がれる自分は、不釣り合いでいびつだ。だから、この感情に名前を付けてはいけないと思う自分がいる。
(は、恥ずかしい!! どこかに隠れたい!!)
ぱたぱたと駆けだした美世を必死に子どもたちが呼び止めているが、それに気づかず美世は足を動かした。
”山守”から離れてはいけない、というのは何も”お母さんからはぐれてはいけない”程度のものではない。”門”から漏れ出た異形のはびこる魔の山、それが”山守”の山だ。そう、ずるりと木の影から這い出た泥の様なものが美世の背をついて行くのも……。
「び、びっくりした……。おませさんだったのね……」
上がった息を木陰で整えながら美世は小さく笑った。この年頃の子どもたちというのは、好奇心やあこがれが先に来るのだろう。
「いけない。早く戻らないと……」
そういって踵を返した途端、何かが目の前を通り過ぎたのを感じた。突風が吹いて、美世は思わず目を伏せた。
「な、なにが……」
美世が恐る恐る目を開けると、視線の先に白い羽をはやした鳥が見えた。東風椿と同じ暗褐色の翼を持ちつつも、その胴は雪のように白い。
それは何かと争うように飛び交っている。もし、美世に異形が見えたなら、その光景に息をのんだだろう。しかし、異形が見えない美世にとっては、白い鳥がひとりでに飛び回っているようにしか見えなかっただろう。
しばらくその光景を見ていると、バサバサと美世の近くの枝に鳥が止まった。
(この鳥……鷹に似ているけれど、鷹はもっと茶色の部分が多いはずよね?)
見れば見るほど、不思議な気分になってくる。山には知らないことが多い、と改めて美世は思った。
と、急に鳥が飛びあがって美世について来い、とでもいうように低く飛び始めた。
「ま、待って!」
本来なら、子どもたちが来るのを待つのが最善だけれど、美世は思わずそれを追ってしまった。
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