第1話 お兄ちゃん、よろしくねっ!
仮設都市――
曇った空の下、風が吹きすさび、
崩れかけた建物と修復中の足場が、静かに軋んでいた。
その行政施設に、二人の姿があった。
一人は、灰色の短髪の青年。
無表情で、氷のような青い瞳を持つ。
人工知能生命体――アーク・ライト。
合理と理性の化身たる存在。
身にまとった制服は、禁欲的な修道士を思わせる薄青の布地。
装飾を排し、機能性だけを追求したデザインだった。
その傍らに立つのは、穏やかな茶色のショートカットに、知的な眼差しを宿す女性。
朝比奈沙織博士。
彼を設計し、これまで育てた存在である。
「……また貴方の対応に対して、市民窓口から苦情が来たわよ。」
朝比奈博士は、机に数枚の報告書を置いた。
アークは無言でそれに目を通し、淡々と応える。
「私は規範第十三条に則り、手順通りに対処しました。問題は存在しません。」
朝比奈博士は微笑し、眼鏡に指を当てた。
「そうね。規範上は、間違っていないわ。でもね、アーク――」
彼女はゆっくりとアークに向き直り、その瞳をまっすぐに見つめた。
「人は、理屈だけで動くものじゃないの。」
アークはわずかに首を傾げた。
その動作には機械的な精度と、ほんのわずかな戸惑いが滲んでいた。
「朝比奈博士。私は理解に努めています。
しかし、非合理な行動原理を納得するための、論理的指針が存在しません。」
朝比奈博士は笑った。
柔らかく、どこか寂しげな笑みだった。
「ええ、そうでしょうね。でも、だからこそ――あなたには、必要なものがある。」
彼女は静かに机の端を叩き、言った。
「あなたに会わせたい人がいるの。」
アークは鋭利な眉をわずかに寄せ、怪訝な表情を浮かべた。
──彼らしからぬ予兆を感じながら振り返る。
小さな足音が、扉の前に静かに近づいていた。
「お待たせしましたっ!」
明るく、よく通る声が執務室に響いた。
ドアが勢いよく開き、そこに立っていたのは──
灰色の柔らかなセミロングヘアを、両側でふんわり束ねた少女だった。
瞳は澄んだ青。
制服は、灰色を基調としたクラシカルドレス風のデザイン。
少女は屈託のない笑顔を浮かべ、まっすぐ駆け寄ってくる。
「お母さん!おはようございますっ!」
朝比奈博士は、少し苦笑しながら頷いた。
その後ろに立つアーク・ライトは、無表情のまま、じっと彼女を見つめている。
「彼女の名前は、リリセア・ライト。愛称はリリ。アーク、あなたの妹よ。」
アークは静かにリリを見た。
氷のような青い瞳に、かすかな警戒の色が宿る。
リリはそんな様子にも気づかず、屈託なく手を振った。
「あなたがアークお兄ちゃんだよね? よろしくねっ!」
アークは一歩、距離を取った。
無感情に言い放つ。
「無駄に元気な個体だ。人工知能に必要な要素とは思えない。」
「ひどいっ!」
リリはショックを受けたように目を丸くした。
朝比奈博士は、やれやれといった様子で二人の間に入る。
「アーク、彼女は人間社会に必要な感情面を支えるために設計されたの。あなたの合理性だけでは、復興はスムーズに行えない。」
アークはわずかに眉を寄せ、冷たい声で答える。
その瞳には一切の感情も迷いもなく、ただ機能としての言葉を発するようだった。
「感情は誤判断を招くリスク要因です。効率化を阻害する存在を、なぜ意図的に創造するのですか。」
「生まれてすぐ、存在を完全否定されちゃった!?」
リリは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
「このような無駄な存在を生み出し、管理維持するコストを計算すると――」
「計算しないでッ!!なに、このお兄ちゃん!?思ってたのと全然違うッ!!」
リリは顔を真っ赤にして、ジタバタと足を踏み鳴らす。
頬をふくらませて、今にも噛みつきそうな勢いだった。
「不十分なデータで推論し、予測を大きく外す。やはり欠陥品です。」
「ブン殴るよッ!?」
リリは全身で怒りを表現しながら、子猫のようにアークの肩をポカポカと叩いた。
まったく効いてはいないが、抗議のポーズだけは全力だった。
朝比奈博士は困ったようにため息をつきかけたが──
その時、壁の端末が甲高い警告音を鳴らした。
【 緊急呼び出し 】
【 優先コード・α指定 】
【 統合執政官アーク・ライトおよび補佐員、新任務出動 】
部屋の空気が張りつめる。
朝比奈博士は小さく頷き、二人に向き直った。
「……話は、現場から戻ってからにしましょう。さあ、最初の任務よ。」
リリは口を尖らせながらも、すぐに表情を引き締めた。
アークも無言で端末を確認し、歩き出す。
ぎこちないまま、しかし確かに──二つの新たな光が、動き出した。
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