第27話 双子入れ替わりと学園祭

 放課後の帰り道。

 夕陽に照らされて、2人の影が長く伸びる。


「……はぁ……」


 優斗が小さくため息をついた。

 その様子に、横を歩く麻斗がちらっと視線を向ける。


「どしたんだよ〜?優斗しけてんなあ。お前、放課後にため息とか似合わねーぞ?」


 茶化すように言うと、優斗はキッと睨んできた。その目に、ほんのり怒気を帯びた気配が走る。


「……学園祭、近いでしょ? うちのクラス、演劇やるんだけどさ」

「おぉ?で、配役決まったん?」


 優斗はまたひとつため息を吐いて、顔をそらす。


「……高校戦隊ゴレンジャーの、レンジャーブルー」


一瞬の静寂のあと——


「ぶははははははははははっ!!」


 麻斗が腹を抱えて爆笑した。


「まっ、待って、えっ、優斗が!?レンジャーブルー!?えっ、なにそれ、笑わせにきてんの!?正義の味方!?」

「……やめろ、うるさい」

「想像できねぇぇぇ!!どう考えても司令官ポジだろ兄貴は!」

「僕もそう思ってたよ!!」

「ってかブルー!?なんで赤じゃないの!?なんで!?冷静沈着だから!?」

「クラスの女子に“優斗くん、冷静で知的なブルーって感じ〜”って言われたんだよ……」

「キャラ被ってるぅぅう!!」

「……だから、憂鬱なんだよ……」


 その表情は本当に重たかった。

 優斗の人生史上トップレベルで顔が死んでいる。


「大丈夫!兄貴、アクション苦手だし、カッコよくポーズとってキメ台詞言うとこで滑ったらウケるから!」

「それが嫌なんだよ!!!!」


 麻斗がニンマリと口角を上げた。


「そんなに嫌ならさ——」


 いたずらっぽく、そしてどこか挑戦的に、優斗の横顔を覗き込む。


「代わってやろうか? 俺たち、優斗がメガネ外したらマジで間違われるくらい似てるじゃん?」


「……っ」


 優斗は無言で睨みつけた。

 けれどその視線の奥に、迷いが宿っているのを、麻斗にはわかっていた——なにせ、双子。

 それに、思考すら飛ばせるテレパシー持ちだ。


(……やっぱ揺れてんじゃん、兄貴……)


 内心の揺らぎが、はっきりと伝わってくる。


「俺のクラス、出し物は飲食店でさ。俺も店員やる予定なんだけど……当日は俺の代わりに、優斗がやってくれるなら」


 麻斗はわざとらしく、肩をすくめて見せる。


「俺が、レンジャーブルーやってやってもいいぜ?」

「…………」


 優斗の表情が、一瞬だけぐらりと揺れた。


「……バレたら、即アウトだよ。いくら双子でも、演劇と接客、両方で入れ替わってたら……」

「バレなきゃオッケーなんだよ。しかも兄貴、ブルーやるよりは接客の方がマシだろ?俺はむしろ、ポーズキメるほうが好きだし?ブルー、悪くないじゃん?」

「……」


 優斗はしばらく黙っていたが——


(…………正直、あのポーズだけは……)

(あー、やっぱりめっちゃ嫌なんだな、兄貴……)

(……あれでスベったら……)

(うんうん、それな!)


「……交代する。絶対にバレないように」


「やったーーーーー!!!よっしゃあああ!!ゴレンジャー変身し放題!!!」

「うるさい、声がデカい。学園祭までに演技練習させるからな、ブルーとしての」

「お前、やる気ないくせに指導だけはガチじゃん……」


 優斗が眉をひそめながら、ため息交じりに言った。


「……まあ、戦隊ものだし……レンジャーブルーだし……正直、セリフはほとんどないんだけど」

「おぉ!?じゃあ余裕じゃん!」


 麻斗がノリノリで前のめりになるが、優斗は渋い顔のまま続けた。


「……問題は、その……“決めポーズ”がね」

「……ポーズ?」

「うん。……全力で“ブルゥーーー!!!”って叫びながら、前に跳ねて片膝ついて右拳突き上げるやつ」

「最高じゃん!!!」

「最悪なんだよ!!!!」

「えぇぇ……でも兄貴がやったらそれ、逆に“間”がウケると思うよ?」

「笑われたくてやるわけじゃないんだよ僕は……っ」


 麻斗はニヤニヤと笑いながら、優斗の肩をぽんぽん叩いた。


「まぁまぁ、兄貴は真面目すぎなんだって。

リハーサル見に行って雰囲気つかむだけで、俺はもう仕上がるから!」

「……台本、帰ったら渡すよ。演技の流れと立ち位置は把握しておいて。途中で“セリフ覚えてないんでアドリブで!”とか絶対にやらないでよ」

「はーいはーい、任せろ〜〜っていうかそれ絶対おもしろくなるやつ〜!」

「……観念したけど、すでに後悔してる気がする」


 優斗は目を伏せ、どこか遠くを見つめながらそう呟いた。


 ◆ ◆ ◆


 自室。

 夜になって風も少し涼しくなってきた頃、麻斗は机の上で台本をペラペラとめくっていた。


「おー、セリフほんとに少ねぇ……!てかこれ、“レンジャーブルー、斬る!”とか“任せろ、リーダー”とか、合計3行しかないじゃん!」


 優斗が静かに、ベッドに腰掛けて参考書をめくっている。

 その横で、麻斗はポテチをぽりぽり食べながら台本を読み進めた。


「確かに俺でも覚えられるかもな〜。……てか台本書いたやつ、ほぼアクションに丸投げだな!」

「笑い事じゃない……こっちはセリフより動きがキツいんだよ。で、麻斗のクラスの“飲食店”って、結局何やるの?」


 麻斗は一瞬だけ、ぴくっと眉を動かしたが、すぐにポテチを口に放り込んでごまかす。


「"ただの"飲食店。俺はウェイトレス予定〜。演劇と違ってリハとかないから、当日よろしくな〜」

「ウェイターじゃなくて?」

「そ、ウェイトレス。俺のクラス、性別問わずだからな。フリーダム!」


 優斗は手元の参考書からちらりと目を上げた。


「……なんか今、微妙に含みを感じたんだけど」

「気のせいっしょ!」


 麻斗はにっこにこしながら、ポテチを差し出した。


「ほら、兄貴も食べる?カロリーは味方!」

「味方じゃない。……というか、何か隠してない?」

「えぇ〜?何を〜?」


 麻斗は優斗の背中に隠れるようにして、笑いをこらえた。


(……言わないでおこう。当日、“お帰りなさいませ、ご主人様”って言う兄貴、絶対見ものだわ……)


 怪訝な視線を向けながらも、優斗はそれ以上は何も言わなかった。


 ◆ ◆ ◆


 翌日の放課後。

 麻斗は校舎裏の階段を抜けて、ひっそりと優斗のクラスの演劇リハーサルを覗いていた。

 体育館のステージでは、戦隊スーツの色とりどりのジャージ姿が並んでいる。

 赤、黄、緑、ピンク、そして——


「……いたいた、ブルー」


 一番端で立っていたのは、紛れもなく優斗だった。

 顔は真剣、動きはぎこちない。手足の長さが災いして、変身ポーズのタイミングが微妙にズレている。


「……ぶっ」


 麻斗は口元を両手で押さえながら、壁の陰で肩を震わせた。


(やっべ……めっちゃ頑張ってるのがわかる……けど、なんかこう……めっちゃ“やらされてる感”すげぇ……!!)


「レンジャーブルー、参上!」


 優斗の低めの声が体育館に響くが、その直後のポーズが、なんとも絶妙に半テンションで——


「っっぷふふ……だめだ、だめだこれ……笑い死ぬ……!!」


 麻斗は震える肩を抱えながら、窓の隙間から必死に覗き続けた。


(でも……意外と悪くないかも……いや、ないなやっぱ……ブルーじゃなくて“無理ブルー”だわ……)


 その時、ステージのセンターに立っていたレンジャーレッドが叫んだ。


「全員、変身ポーズ!いっせーのーで!」

「レンジャーレッド!」

「レンジャーイエロー!」

「レンジャーグリーン!」

「レンジャーピンク!」


 そして、間を置いて——


「……レンジャーブルー……」

「声ちっさ!!!」


思わずツッコミそうになったが、ぐっとこらえる麻斗。


(……代わってやって正解だったわ……)


 そうしてこっそり学校を出て家に帰ると、しばらくして玄関の扉がガチャリと開いた。


「……ただいま」


 その声と共に入ってきたのは、すっかり疲れきった顔の優斗だった。

 制服の襟は微妙に曲がっていて、髪もいつもよりちょっとだけ乱れてる。

 リビングのソファに寝転がっていた麻斗が、顔だけそっちを向けてにんまり笑う。


「いや〜ちゃんと見学したけどさ。マジでウケたわあれ!当日、観客の前でアレやるのやばすぎだって!」

「……」


 優斗は無言で靴を脱ぎながら、明らかに怒気をはらんだ目で麻斗を睨みつけた。


「ぷくく……レンジャーブルゥゥ〜……って声ちっさ!肩ガチガチ!“参上”が“さんじょ…”で終わってたぞ!」

「……普通の劇なら、入れ替わりなんていうハイリスクな提案、絶対に呑んでないからな」

「いや、ほんとごめんて!でも兄貴、演技してるとき顔が無の境地だったからさ……むしろ尊敬したわ。仙人かよ」

「それ褒めてないよね?」

「褒めてる褒めてる!……いやでもマジで、これ俺がやるって決めて正解だったわ。兄貴には絶対無理な領域だったもん。あれ、テンション9割の世界だから!」


 優斗は深いため息をついて、カバンを床に置いた。


「……頼んだからには、責任持ってやってもらうよ。ブルーとしての挙動、姿勢、立ち位置、台詞の抑揚、全部覚えてるんだろうね?」

「え……えっ、そ、そりゃあもちろん……」

「じゃあこれ、暗記用メモ。今夜の課題ね。朝には確認する」

「やっぱ兄貴がやったほうがいいんじゃないかこれ……?」


 ◆ ◆ ◆


 学園祭当日の朝。

 カーテン越しに差し込む柔らかな陽光のなか、双子の部屋に静けさはなかった。


「よしっ。完璧!」


 麻斗が、優斗のメガネをスチャッとドヤ顔でかける。


「……眼鏡をかければそれっぽくなるのは分かるけど……」


 ベッドの端で眉をひそめながら、優斗がじろじろと麻斗の姿を見た。


「服装、ぐちゃぐちゃ。ネクタイ歪んでるし、ボタンずれてる。僕のフリするなら、せめて服装はきっちりしてくれ……」


 そう言って、優斗は麻斗の襟を直し、ネクタイを締め直し、シャツの裾をぴしっとイン。


「はい、これで“優斗”っぽくなった。あとは無駄な動きと声のボリュームを抑えて、語尾を落ち着けて」

「おうおう、わかったよ先生〜……って、ちょい待て、兄貴も立ってくれ」


 麻斗は突然、優斗の肩をぽんぽんと叩いて立たせたかと思うと——


「おい、何して……」


 ベリッ!

 優斗のシャツの裾が、麻斗の手によって外に引きずり出される。


「俺のフリするなら、こうしなきゃ。シャツは出す。ネクタイはゆるめる。ボタン?最上段は飾り」

「……お前さっきまで僕に何言われたか覚えてる?」

「でもな、兄貴だと思われたくないだろ?

“麻斗らしさ”が見えなきゃ意味ねえんだって」

「合理的なようで……ただのだらしなさなんだけど……」

「でもさ、観客の中に“優斗くんって案外親しみやすいね”って思う女子がいるかもしれないぞ?」

「余計なお世話すぎる……!」


 2人でお互いの服を整えたり崩したりしながら、まるで本番前の舞台裏のような、にぎやかな朝の光景が繰り広げられていた。

 最後に、麻斗が口元をにやりと引き上げる。


「……じゃ、今日一日、よろしくな。“レンジャーブルー”」


 優斗はふっと息をついて、互いのネクタイをぐっと引いて確かめ合った。けれど——

 麻斗の心の中には、言わずにおいた小さな秘密があった。


(……兄貴があの教室に入って、初めて知るんだろうな……“飲食店”ってのが、実はメイド喫茶ってことをな……)


 制服の裾をなびかせて、2人は玄関を出た。

 そして、それぞれ、自分の“入れ替わった先”のクラスへと向かう双子。

 麻斗は、涼しい顔で優斗のふりをして教室に入った。少しうつむき加減で、無駄な発言はせず、歩幅も慎重に。


(……お。意外とバレてない)

「日吉くん、おはよ〜。レンジャーブルー、頑張ってね!」

「……うん。ありがとう」


 普段より若干トーンを落とした“優斗風”返答に、周囲の誰も疑っていない様子。


(……よっしゃ、完璧。俺、演技の才能あるんじゃね?)


 そんな麻斗の手に、ブルーの衣装が渡されたその瞬間——ドガアァァァァン!!!

 脳内に響き渡る、破裂音のようなテレパシーが炸裂した。


(騙したな!!!!!!)

(……やだなぁ。ちゃんと“飲食店”って言ったじゃん?)

(これはメイド喫茶だろうがああああああ!!!)

(だから“ウェイトレス”って言ったでしょ〜?性別問わずって言ったし?)

(お前の英語力の問題なんだと思ってたわ!万年赤点野郎!!“waiter”と“waitress”の区別がぁぁ!!)

(兄貴の怒りが透けて見えるわ……)


 テレパシーを遮断したいほどの怒気がビリビリと麻斗の脳内をかすめるが、本人はいたって涼しい顔でレンジャーブルーのジャージを手に教室の隅に歩いていった。


(まぁまぁ、兄貴。楽しめよ?この日のための特別衣装、クラスの女子が徹夜で仕上げてたからさ?)

(徹夜って……あのふりふりの……頭につける猫耳は……)

(そうそう!“優斗くんが一番似合うと思う〜”って言ってたから!がんばれ!)

(お前ががんばれぇぇぇぇ!!!!!!)


 麻斗はそんなテレパシーを気にもとめずレンジャーブルーに着替える。

(さあて、演劇終わったらちらっと見に行くか。明日のシフトは免除されてる代わりに、今日は一日“ウェイトレス”だからな)


 淡々としたはずのその思考が、鋭い矢のように麻斗の脳内に突き刺さる。

 その気配に、麻斗は思わず肩を震わせるが、口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。


(あ〜……怒ってんな、兄貴)


 口では言っていない。

 けれど、優斗の“声にならない怒り”がビシビシとテレパシー越しに響いてくる。


「くくっ……」


 こぼれそうになった笑いを、麻斗は仮面の下にそっと隠した。頭にはレンジャーブルーのヘルメット、体にはジャージの上から着る青の戦隊スーツ。


「は〜〜完璧すぎる俺。当日までに一番テンション上がってんの、たぶん俺だけど?」


 脳内にまだくすぶる怒気をスルーしながら、

麻斗は手元の台本をくるくる回して、ステージの袖でスタンバイに入った。


(兄貴、頑張れよ〜。メイド服で“いらっしゃいませご主人様”って、聞き逃したくないからな〜)

(お前なにか録音とか企んでないだろうな)

(あっ……バレてる……)

(やめろ!!!!)


 麻斗はそのまま、レンジャーブルーの仮面をくいっと上げて視界を正した。

 自信に満ちたその目は、ステージの光の方へと向けられていた。


(よし……“参上”してやろうじゃんか)


 優斗らしくゆったり歩いてステージ袖。

 緞帳がゆっくり上がると同時に、スモークとライトが交差し、テーマ曲が鳴り響く。


「さあ!高校戦隊ゴレンジャー、ただいま参上!!」


 観客席からはざわめきと拍手。

 その中で、青いスーツを身にまとった一人の男が、異様な存在感を放って立っていた。


「レンジャーブルー!!」


 麻斗、覚醒。

 ——まず動きがキレていた。

 一歩踏み出すごとに、重心がぶれず、空気を切り裂くような滑らかさ。

 カッと振り返るたびに、ヘルメット越しでもわかる鋭い視線。

 敵役の演者が棒立ちになるほど、その立ち姿には“本物感”があった。


「任せろ。ここは……俺が守る!!」


 キメ台詞、完璧。

 台本のトーンも一字一句守りつつ、声には熱と迫力を込めた。

 そしてクライマックス——


「レンジャーブルー・ジャスティスキィィック!!」


 敵が倒れ、拍手が湧いた直後。


「ラストは……これで決まりだ!!」


 麻斗の声が舞台に通る。


「ブルゥーーー!!!」


 麻斗がそう叫ぶと前に跳ねて片膝ついて右拳突き上げるキレキレの動きの後、麻斗は、ステージ中央を蹴って空中へ舞い上がりバク転一回転。


「うおおおお!?バク転した!?今アドリブ!?本番でバク転したぞブルー!!」


 観客席、どよめきからの歓声!!

 体育館の中が一気に熱気に包まれる。


「な、なにあのブルー……めっちゃ本物っぽい……」

「演劇部のエースだったっけ?てかあの動き、素人じゃないよな!?」


 演劇の範囲を軽く逸脱したアクション。

 だが、それが最高にウケた——そう、怪異相手に命がけで立ち回ってきた男にとって、

舞台の上での動きなんて、余裕そのものだった。


(兄貴のクラス、俺のことめっちゃ見直してんじゃん……)


 満足そうに仮面の下で笑うレンジャーブルー。だけどこのあと、自分のクラスでメイド姿の兄が絶望していることは——

まだ、知らない。


 ◆ ◆ ◆


「さてさて……完璧に気持ちよくブルーを決めた俺……!」


 ステージ裏でヘルメットを外した麻斗は、満面の笑みでぐっと拳を握った。


「ポーズもキマったし、バク転もウケたし!

俺って……天才じゃん!!」


 そんな浮かれ気分のまま、“優斗”の顔をしたまま、廊下を軽やかに歩き出す。


「……というわけで〜……お待ちかねの……

メイド優斗拝みに行くタイムぅ!!」


 足取りは軽い。というかほぼスキップ。

 途中のクラスメイトから「日吉くん、なんかテンション高くない?」と不審がられるが、今の彼にブレーキはない。

 麻斗の足は迷わず、自分のクラスのドアの前へ。中からはわいわいとした喧騒と、可愛らしい声が漏れていた。


「いらっしゃいませ、ご主人様〜!」

「わー!写真撮ってもいいですか!?」

「すごい〜似合ってる〜!」

「……おっ、もう始まってんじゃん……!いいねいいね!じゃあ、入るか……“兄貴”として!」


ガラリ、と扉を開けたその瞬間——


「……ッ」


 麻斗の目に飛び込んできたのは、


 ——フリルだらけのメイド服。

 ——ツンとすました猫耳カチューシャ。

 ——トレーを持ってそろそろと接客する、

 顔が完全に真顔で感情を失っている優斗(in 麻斗モード)。


(……っぶはああああああ!!!)


 一瞬で笑いがこみあげるのを堪えて、テレパシーをON。


(うわ、想像以上に似合ってんじゃん兄貴……!“お帰りなさいませ”って!俺、動画回してええ!?)

(絶対やめろ。今すぐ教室から出て行け)

(その猫耳、クラスの女子が3日かけて選んだやつだよな〜?めっちゃ愛されてんな〜?)

(帰れつったよなああああああ!!!)


——麻斗、ブルーの余韻から一転、メイド兄貴でツボにハマる。

 この日、メイド喫茶は異様な来客数を記録することになるが、その理由の半分以上は“日吉麻斗(のフリをした日吉優斗)”の姿を一目見ようとする生徒たちによるものだとは後日することとなるのは別の話。


(こらこら兄貴、俺っぽくしろって〜。ほら、ウインクウインク!)


 まるで耳元で囁くような、麻斗のふざけ倒したテレパシーが脳内に響く。

 その瞬間、優斗の視線が静かに、鋭く、鋼のように麻斗を睨んだ。

 “貴様……”という言葉を込めて。

 その睨みを涼しい顔で受け止めながら、麻斗(※優斗のフリ中)は眼鏡をクイッと上げ、わざとらしい咳払い。


「……麻斗、この“好き好きにゃんにゃんオムライス”をもらおうか」

「……っ」


 パキィィン。

 優斗の中で何かが確実に砕けた。

 けれど彼は“麻斗”の仮面を被っている。

 つまり、“勢いとノリで生きてる人間”を演じなければならない。


「っ……へい、よろこんで〜〜〜っ☆」


 声を1オクターブ上げ、引きつる口角。

 ぷるぷる揺れる猫耳カチューシャ。

 限界を迎えつつある表情筋を動かしながら、全力で“っぽさ”を捻り出す。


「にゃんにゃんオムライス、お持ちしましたぁ〜☆ にゃんっ!」

(……死ぬ。僕の中の何かが……今、死んだ……)


 ——全身から絞り出された“麻斗風”の演技は、もはや芸術の域。

 それを見ながら、麻斗(※優斗のフリ中)は涼しい顔で一言。


「ケチャップで……猫を描いてくれないか?」

「っ……」


 スゥ……と、優斗の額に青筋が浮かび上がる。けれど“麻斗”として、彼は笑わねばならない。


「……喜んでっ☆」


 ギリギリのテンションで絞り出しながら、オムライスに丁寧に描かれるケチャップ猫。

 手は完璧に動いているのに、内心ではテレパシーが暴れまわっていた。


(お前……あとで絶対覚えてろよ……)

(はいは〜い、今日の兄貴、ちゃんと“かわいかった”よ☆)

(この猫耳で、お前をぶん殴ってやろうか……)

(最高の文化祭だな〜〜〜!!)


 ◆ ◆ ◆


 そして麻斗(※優斗のフリ中)が去ったあと——つまり、“メイド喫茶の優斗(※中身・麻斗)”が店を出たあと。

 教室に残されたクラスメイトたちは、ざわざわと話し始めていた。


「ねぇねぇ、麻斗くんさ……今日、ちょっと雰囲気違ったくない?」

「うんうん!準備のときはさ、“俺がやる!!っててテンションMAXだったじゃん?」「でも当日、なんかすっごい恥ずかしそうでさ……!

“にゃんにゃん”とか無表情で言ってるの、逆に萌えるんだけど……」「わかる……あの“頑張ってる感”が良い……!」「……っていうかさ、なんか……謎の色気なかった?」

「それ!!すごい思った!照れながら猫耳つけてるの、なぜかドキドキした!」「え……ちょっと、わたし撮った写真送りましょか?」

「送って送って!!文化祭のベストショット!!」「“普段元気系の男子が照れてる”ってギャップ、破壊力ヤバい……」


 ——そしてこの噂は、文化祭が終わった後もしばらく“日吉麻斗の新境地”として語り継がれることとなる。


◆ ◆ ◆


 学園祭が終わった夜。


 華やかな喧騒が過ぎ去り、家に帰った麻斗は、自室の扉を開けた瞬間——

そこに立っていた優斗と目が合った。


「……あっ」


 バタン。

 そのまま扉が閉まりかけた瞬間——がちゃり、と音を立てて優斗がドアノブを握り締め、無言で扉を開けた。


「中に入れ。話がある」

「わ、わかったから落ち着いて兄貴!?え?もしかして今めっちゃ機嫌悪い!?いや違うだろ!?学園祭大成功だったじゃん!?」

「そうだね、大成功だったよ」


 にこっ。


「……俺の名誉を犠牲にしてな?」

「いやあれは……アドリブっていうか、現場の空気っていうか……!!」

「おかわりくださいご主人様、と3回言わせた件については?」

「えっ、だってノリでいけるかと……!!?」

「じゃあこの、“恥ずかしがる麻斗くんもアリ”“新しい推しができた”ってメッセージの山は?」


 パソコンの画面には、文化祭フォト投稿とファンコメントの嵐が並ぶ。


「お前の仕業だよね」

「ひぃっ!?だって見たくなっちゃったんだよ!!兄貴がさぁ!猫耳でっ!ツン顔でっ!!“にゃんっ”って!!」

「そこまで鮮明に記憶してるあたりがもう有罪。反省の色、ゼロ。ということで——」


 優斗はメガネをスッと外した。

 つまり本気モード。


「座れ。正座。今日は“兄としての尊厳”を回復するために、お前の精神に深く刻み込んでやるからな」

「兄貴!?テレパシーで圧が!?ちょっ、え、待って、兄弟ってもっとこう優しさでつながるもんじゃ!?いたたたたごめんなさぁぁああい!!」


 文化祭は、無事終了。

 だが…これにとどまらない。


 ◆ ◆ ◆


 ある日の放課後。

 優斗が教室に入ると、ふいに視線を感じた。


(……ん?)


 顔を上げると、クラスメイトたちの視線がいっせいに集まる。しかも、妙にキラキラとした——期待と敬意に満ちた目だ。


「日吉兄って……すごいんだな!」

「マジで運動神経いいじゃん!バク転してたよね!?あれ生で見て鳥肌立った!」

「やっぱ双子ってすげえな〜!弟が武闘派ってのは知ってたけど、兄貴まであんな動きできるとか文武両道かよ!」

「学年トップの成績に、あのアクション……これが天才か……!」

「……え?」


 ぽかんとする優斗に、ひとりがスマホを突きつけてきた。


「見て見て!文化祭の動画上がってたんだよ〜!“ゴレンジャーのブルーがプロすぎる”って!」


 再生される動画。

 そこには、鮮やかに宙を舞い、キレのあるポーズを次々と決める“レンジャーブルー”の姿が——


(……麻斗……)


 仮面の下で満面の笑みを浮かべながらバク転をキメる弟の姿。そして、それに重ねられる称賛のコメントの嵐。


「日吉兄、あれが“本気を出した姿”だったんだな……!」

「いや〜優斗くん、実はめっちゃ熱い人だったんだ〜!」

「ギャップ最高だよね!」

「……ち、違……」


 優斗は言いかけて、やめた。


(訂正したら、“嘘をついてた人”になる。

でもこのままじゃ……俺、文化祭のヒーロー……バク転できないヒーロー……)


 彼はゆっくりと席に座ると、机に突っ伏した。


(麻斗……今夜、また折檻だからな……)


 こうして、またひとつ、“日吉優斗という男”の謎の評価は上がっていったのであった——。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る