第28話 妖怪コスプレ大会

 秋の空気がすっかり街を包みはじめた頃。

柊神社の境内にも、ふわりと金木犀の匂いが漂い、木々の影は長く伸びていた。

 夕暮れ時、静かな社務所の扉が軋む音を立てて開く。


「……おっさん?」


 ジュース片手にダラリと座っていた麻斗が顔を上げると、柊が段ボールを抱えてずかずかと部屋に入ってきた。

 カサッ……ガサゴソ……

 中には丸められた紙の束。


「何してんの、柊のおっさん?」

「んあー? 俺と縁のある芦谷神社さんがな、今度ハロウィン祭りとやらをやるんだとよ」


 そう言って取り出されたのは、くるりと丸められたポスター。

 柊が柊神社の事務所の壁にそれを貼ろうとした瞬間、ポスターの目立つ位置に、赤い太文字が目に飛び込んできた。


 『――優勝賞金10万円!』

 「……10万円!?」


 麻斗の目が一気に輝き、椅子をがたんと鳴らして立ち上がった。


「出る出る!俺出るよ!妖怪なんて毎日見てるんだぞ!?あんなの、全部写し取れるっつーの!負けるわけないし!優斗も出ろよ!な!?」

「僕はそういうの、あまり……」

「ノリ悪っ!優勝したら兄弟で山分けだからな!覚えとけよ!」

「勝つ前提で話すなよ」


 麻斗のやる気に押されながら、優斗は小さくため息をつく。その横で、柊が肩をすくめて外に出ると、ポスターを壁に貼りつけながら笑った。


「……ま、平和な祭りになりゃいいけどな」


 そう言った柊の目は、どこか一瞬、意味深に細められていた。


「よし!そうと決まれば――優斗!妖怪退治に行くぞ!」


 麻斗が勢いよく立ち上がり、拳を振り上げる。


「ついでに妖怪コスプレのモデルも探せるし、構想も練れる!一石二鳥だろ!?いや、三鳥か!?」


 そう言いながら、麻斗はその場でぐるっと一周まわり、目を閉じて両手を広げ――すぅっと深く息を吸った。


「…………………よし、霊視、オン!」

「待って待って待って。今この神社の中で何を霊視するつもり?」


 優斗がじと目で静かにツッコミを入れる。


「いや、たまにいるじゃん?境内の隅とか、倉庫の裏とかに“いそう”なやつ!あれ参考にすれば衣装とか細部もバッチリじゃね?」

「妖怪を参考にしたコスプレって、もうそれ本物じゃない?」

「優斗!そういうのは“本気”っていうんだよ!」

「そういうのは“ズル”って言うんだよ」

「くっ、兄弟なのに温度差がつらい……!」


 麻斗は額を押さえながら、社務所の戸を開けて境内へ飛び出した。


「まっ、気になるのいたら俺がバッチリ観察してくるから!写真も脳内スケッチも任せろ!」


その背中を見送りながら、優斗はそっとため息をついた。


「……また巻き込まれたな、これは」


 優斗が呆れた声を出すのもお構いなく、急に目を見開いた麻斗が叫んだ。

 

「……! よし!見つけた!」


 どこからともなくすちゃっ! とスケッチブックと鉛筆を取り出した。


「ちょっと行ってくる!」


 そのまま勢いよく駆け出し、境内の奥――

ぼんやりと浮かぶ、鳥居の影に潜む怪異の元へ一直線に突っ込んでいく。


「あ、麻斗!?待て、それ怪異だよ!?」


 猛ダッシュで境内を突っ走る麻斗に、優斗が慌てて後を追うと――


「よっし来た!そっち向いて!爪の角度いいねー!背中の突起、もうちょい見せてー!」


 既に麻斗は怪異の攻撃をひらりひらりとかわしながら、サラサラサラッとスケッチブックに筆を走らせていた。


「ちょ、ちょっと手を振りかぶってみて?……うんその角度!」

「なにしてんの君は!!?」


 優斗が叫んだとき、怪異が牙を剥いて振り下ろした一撃を、麻斗はスケッチを見ながらノールックで避けた。


「オッケー!ポーズも資料もバッチリ!」

「戦って!本気で襲われてるからそれ!」

「わかってるって、優斗。……でも俺は今、“創作”してるんだよ!!」


 叫ぶ麻斗の目が、本物の芸術家みたいにキラキラしていた。

 麻斗は好奇心とテンションに任せて突っ込んでいったにもかかわらず、麻斗の描き上げたスケッチは――驚くほど精緻だった。

 筋肉の付き方、目の位置、爪の角度、そして背中の突起まで。まるで図鑑から抜き出したような完成度で、霊視の解像度と、授業中に鍛え抜かれた“落書き技能”の賜物だった。


「さーて、次、次っと!」


 スケッチブックをパタンと閉じると、麻斗はまるで遠足中の子どものようにスキップし始める。


「……え? えっ、怪異はどうしたの?」


 振り返った優斗が見ると、さっきまで怒り狂っていた怪異は、“完全無視されて描かれたショック”なのか、ぽかんと口を開けて佇んでいた。

 優斗は額を押さえながら、静かに言った。


「……あの子、ほんとに陰陽師なのかな……」


 そんな優斗の嘆きを背中で受け流しながら、

 麻斗は元気よく、次なる妖怪資料の旅へと消えていった。麻斗はスキップするような軽い足取りで、神社裏の森を進んでいた。

 風に揺れる枝葉の向こう――その“気配”に、ぴたりと足を止める。


「……いた!」


 茂みの奥、半ば溶けかけたような体を持つ怪異が、うねうねと這い出してくる。濁った目と、ヌルヌルとした皮膚。見た目だけなら十分に“危険”の領域だ。

 けれど――


「……ッふふ、いいじゃん……そのフォルム……っ!」


 麻斗はスケッチブックを開いたまま、ぺろりと舌なめずりをした。

 鉛筆が紙の上を走る。

 その筆圧は鋭く、まるで攻撃を仕掛けるのと同じ速度。

 怪異がギャア!と叫びながら飛びかかってくるも、麻斗の身体はふわりと反射で横に飛び、

ギリギリで爪をかわして、さらにページをめくる。


「ちょいその顔、もう一回してくれる?……今の、すごく“らしい”」


 再び飛びかかる怪異。

 麻斗はくるりと紙をひっくり返しながら、かわしつつ、スケッチ。


「いや〜っ、マジで今日、創作捗るわ……最高!」


 怪異は完全に“自分を描きながら避けてる”という不可解な状況に混乱していた。


「……麻斗!」


 森の中を駆け抜けて、息を少しだけ乱しながら優斗が追いついてきた。


「今の怪異、普通に危険が及ぶくらい強いやつだぞ!何してんだ、早く祓――」


 目の前に広がる光景に、優斗の言葉が止まる。

 ――麻斗は怪異の目の前、紙と鉛筆を片手にぴょんぴょん跳ねながら、全力でスケッチしていた。


「いいよーそのポーズ!ちょい手ぇもうちょい右!……オッケー、今のバッチリ!!」


 怪異が目を血走らせて襲いかかるも、麻斗は反射でふわりとかわす。

 完全に“描きながら戦っている”。

 優斗は、額に手を当てながら深く息を吐いた。


「……なんでバトルフィールドが美術室になってるの?」

「ん?優斗、おっそーい!見てこれ、めっちゃうまく描けてるっしょ?」


 誇らしげにスケッチブックを差し出してくる麻斗。中には、異様なほど細かく描写された怪異のイラストがズラリ。


「……よくまぁ命の危機を前にここまで描き込めるね……」

「創作に命かけないでどーすんだよ!」

「かけていい命じゃないよそれは」


 怪異が再び動こうとしたのを、優斗がさっと手をかざし結界で封じる。


「……はい、もう危ないから今からこっちで対応する」

「えー!まだ描きたい角度あったのにー!」

「じゃあ後で“想像”で補完して」


 優斗の手のひらに霊気が集まる。

 ぱちん、と指を鳴らすような動作と共に、彼の足元から式陣がすぅっと浮かび上がった。


「こっちがどれだけスケッチされてるかなんて、怪異には関係ないからね」


 淡々と呟くと同時に、式陣の光が一閃。

 怪異が、光の中でわずかに身を捩ると――ふっと、霧のように掻き消えた。


「……終了」

「えぇええええっ!? ちょ、もうちょっとだけ待ってよ!あと横顔だけ!!」

「もういないよ」

「うぉぉおおおお……!もったいねぇ……!」


 スケッチブックを抱えて、麻斗は地面に膝をつく。その背中に、優斗が呆れながらもそっと一言。


「……描けただけで十分じゃない?」

「いや、創作は“完璧”じゃなきゃダメなんだよ!!資料に魂が足りない!!」

「……はいはい、じゃあ次の命がけの資料探しに行こうか、創作家」


 優斗が静かに歩き出すと、麻斗もふらふらと立ち上がって後を追った。


 「次こそ、全身図……!」


 そうして何体もの怪異のスケッチをバッチリ決めた麻斗は、その足で優斗を引きずるようにして手芸屋へ向かった。

 あれこれ布地を手に取り、怪異の皮膚に似た質感を探したり、牙の再現にちょうどいい素材を吟味したり――

 まるで戦場のような真剣な表情で店内を練り歩く。


「これ、絶対いらないでしょ……」

「いやこれ“らしさ”に関わるから重要!」


 結局、大きな手提げ袋を抱えて柊神社に帰ってきたころには、優斗はもう、眉間に指を当てて小さく頭を振っていた。


「……怪異に追われたあとに布買って縫い物って、どういう精神構造してるんだろう……」


 一方そのころ、麻斗はというと――社務所の隅っこで、黙々とミシンに向かっていた。

 手には針と糸。

 机には開かれたスケッチブックと、カットされた布と装飾品の山。


「……よーし、ここのラインが重要なんだよな……!」


 チクチク、チクチク。

 普段は騒がしい彼が、何時間も黙って作業に没頭している。


「……興味持ったときの集中力だけはすごいんだよな……」


 優斗は呆れたように呟きながらも、その真剣な横顔に、ほんの少し笑みを浮かべていた。

 社務所の隅で、麻斗はひたすら針を動かしていた。黙々と縫い、貼り、切り、形を整えるその姿は、怪異の特徴を忠実に再現しようという執念そのものだった。

 スケッチブックを何度も確認しては、細部を修正。口元にはいつの間にか、集中しすぎて出た小さな舌先が覗いている。

 優斗は少し離れた場所でそれを見つめながら、小さく息を吐いて呟いた。


「……ていうか、勉強もこれくらい集中してくれたらな……」


 聞こえなかったのか、聞こえていて無視したのか。麻斗は黙々と針を進めながら、ひと針ひと針、命を吹き込むように衣装を仕上げていく。

 その背中に、夕日が差し込んでいた。

柊神社・社務所の奥、机に突っ伏したまま仮眠をとっていた優斗が、ふと目を開けた。

 薄暗い照明の中、静寂に包まれた空間。

 ……のはずだった。

 優斗の視界に、ぬるりと影が映る。気配が……ない。でも、そこには“何か”が立っている。ぼんやりと浮かび上がる、異様な輪郭。長い手足。爬虫類のような皮膚の質感。ごめくような背中の突起。


(……っ、怪異!?)


 心臓が跳ね上がる。

 即座に霊気を纏おうとしたその瞬間――


「……ククッ……っ、ぷっははははっ、優斗の顔っ!!」


 いつも聞き慣れている、そして妙に楽しげな声。


「……麻斗」


 優斗が額に手を当てながら、深く息をついた。そこにいたのは、完璧すぎるコスプレを身にまとった麻斗だった。スケッチをもとに、まさかここまで再現してくるとは。


「ど、どう?やばくね?動きも研究したんだぜ?いけそう?」

「いけそうっていうか、普通に心臓に悪いんだけど……」

「はっはー!じゃあ大成功ってことだな!」


 怪異と見間違えるレベルの再現度に、優斗は静かに呟いた。


「…ホント無駄な才能だな」

「よし、優斗も出場して賞金獲得率を2倍にしよう」


 夕焼け色の社務所で、ミシンの音がカタカタと響く中、麻斗が満面の笑みで宣言した。


「え……?」

「大丈夫、もう“優斗用”に調整始めてるから!サイズは同じでOKだし、体格も一緒!双子ってマジ便利!」

「聞いてない、まだ出るとも言ってな——」

「メイド服から着想を得ると……ここはちょっとレース足すか……あ、でも黒を基調にした方が夜の怪異っぽさ出るな……いや、あえて白……?」

「ちょっと待て麻斗、なんか不穏な単語聞こえたぞ今!?メイド服って言ったよな!?今“怪異”から遠ざかったよな!?」

「いやいや、“闇の使徒系メイド”って新ジャンルに目覚めただけだから。露出度?セーフラインだよ!」

「アウトだよ!!ていうか、なぜ兄の僕にそういうジャンルを着せる流れに……!」

「安心して、露出は減らして“逆にエロい”を狙ってるから!」

「意味が分からない!説明になってない!!」


 それでも手は止まらない。

 レース、リボン、マント風ケープに装飾品。

 スケッチブックから異常に丁寧なデザイン画が出てくる。


「うわ……デザインだけでこっちの魂が吸い取られそう……!」

「でも見て!このラインとリボンの流れ、めっちゃ芸術的じゃね!?優斗が着たら絶対バズるって!!“陰キャ風メイドwith儀式道具”でいこう!」

「……誰だよ僕のキャラをそんな方向に育てたの」

「俺だよ!!」


 優斗は机に額を打ち付けた。


「……どうして毎回こう巻き込まれるんだろう…。」

 そうして日も落ちた柊神社・社務所の一室。

 麻斗の「完成!」の声とともに、机の上には異様な完成度を誇るコスチュームが鎮座していた。

 黒を基調にしたメイド服風の衣装。

 レースは細部までこだわり抜かれ、袖にはちょっとしたフリル、腰のリボンには“式札モチーフ”のチャームまでついていた。

 そして極めつけは、儀式用ロッド風に加工された“掃除用のモップ”。


「……いや、何これ。どこの宗教団体の使徒?」

「“闇の掃除屋・ミッドナイトメイド”っていうオリジナル設定にした!」

「僕を主人公にしないでくれ……」


 優斗は魂が抜けたように衣装を見つめるが、麻斗は構わず背中を押す。


「はいはい〜着替え室こっちね〜。あ、後ろファスナーだから手伝うから安心して!」

「どこが安心材料なの……」


 数分後——


「……着た?」

「着たくない」

「着てるじゃん!じゃあカーテン開けるよー!!」

「ま、待っ——」


 シャッ!

 カーテンが勢いよく開かれた瞬間、

 そこには、式札チャーム付きの黒リボンを揺らしながら、目をそらして完全に固まっている“メイド姿の優斗”がいた。

 白い太もも。

 黒のニーソ。

 そして腕組みしながら露出を最低限に抑えた、無言の圧。

 麻斗は爆笑しながら床に転げ回る。


「やっば、兄貴顔が真顔すぎて逆に完成度高ぇ!!怖い!美しいけど怖い!!」

「これはただの羞恥で表情筋が死んでるだけだ」

「ちょ、クルッと回ってみて!?あっ、ケープの翻り最高〜!えっ、ちょっと写真撮っていい!?」

「許可するわけがないだろうが!!!」

「は〜っ……最高……兄貴の地獄顔、文化財レベル……」


 ——なお、このあと優斗が脱ぎ捨てた衣装は、麻斗によってしっかり防湿袋に保管された。“当日まで完璧に保存するため”らしい。


 ◆ ◆ ◆


「記念すべき第一回!妖怪コスプレ大会を開催いたします!」


 司会者の声が、ステージに設置されたスピーカーから高らかに響いた。

 場所は芦谷神社——柊神社よりも広く、観客席もステージも本格的。参道には屋台が並び、会場は仮装者たちの熱気で包まれていた。

 鳥天狗、九尾、ぬらりひょん、アレンジ河童に着ぐるみ風一反木綿まで……

 既知の妖怪も、どこの伝承から来たか分からない創作っぽいのもごちゃ混ぜ。

 まさに妖怪オールスター文化祭。


「……なんか思ったより本格的だね……」

「いや最高じゃん!?雰囲気最高!衣装も力入ってるやつばっかだし!」


 受付を済ませた優斗(※黒基調メイド風儀式コス)と、麻斗(※怪異ガチ再現型コス)は、背中にエントリーナンバーをつけて列に並んでいた。

 ステージ前では観客がスマホを構え、わいわいと盛り上がっている。


「……にしても兄貴、やっぱその衣装映えるな〜。角度によっては普通に怖いぞ?」

「褒めてないよね?」

「いや!褒めてるって!審査員のウケ良さそう!」

「というか……あの審査員、真ん中の人だけ空気違わない?」

「……あれは……芦谷神社の宮司じゃね?……たしか陰陽師も兼任してるって聞いたことある」

「え、ガチ審査!?創作じゃなくて実在コスの方が有利じゃね!?」

「そもそも“創作かどうか”を見抜く側の人なのでは……?」


 ざわつく中、司会の声が響く。


「それでは!審査員3名の評価、そして会場の皆様の投票をもとに、優勝者を決定いたします!エントリーナンバー1番から10番の皆さん、前へどうぞ!自己紹介をお願いします!」


 ザワッと列が動く。


「……やば。次、俺たちのグループだ」

「よし……兄貴、行くぞ!」

「……行くぞ、じゃない」

「お前の勇姿、しかと見届ける……!」

「自分も出場者だよな!?責任共有しろ!?」


 わらわらとステージに上がる出場者たちの中で、怪異型コスと式札メイド風の双子の姿が、妙にリアルすぎてひときわ目を引いていた。


「エントリーナンバー38番、怪異模写型・闇堕ち型コスプレ、麻斗!設定?ないよ!“実在”だもんねー!よろしく〜〜!!」


 麻斗が片目を覆いながら、怪異さながらの動きで舞台上を一周する。

 その仕草と完成度の高さに、会場が「おお〜」と沸いた。


「……あれ、案外ウケてる……」


 ステージ袖の優斗がポツリと呟く。

 続いてマイクを渡され、場に出る。


「エントリーナンバー39番、“儀式系メイド”という創作コンセプトで……。式札、呪文、結界の知識を踏まえた衣装デザインになっています……よろしくお願いします」


ざわざわとした観客の反応に、優斗は静かに一礼して戻る。


「うわ、ガチだ……」「こっちはリアル陰陽師系……」「クオリティ高すぎて怖い……」

(これで一応……俺たちの出番は終わり……)


 そう、思った矢先だった。


「では、最後のグループです!40番から50番の方、前へどうぞ!」


 その瞬間、ふわりと。

 慣れた、けれど最悪な“気配”が、優斗と麻斗の背中を撫でる。


(……この空気、まさか)

「エントリーナンバー42番、もぞもぞ爺じゃぁ」


 ステージ中央に現れたのは、

 腰の曲がった白髪混じりの男——…いや、どう見ても“人間じゃない”。


「普段はのう、この神社の裏の岩陰で昼寝しとるんじゃ。夜になると、町へ下りて若い娘のあとを、もぞもぞと……なあ?」


 ザワァァァ……

 観客が引いた。


「うわ、設定気持ち悪……」

「てかあれ……肌、特殊メイクじゃないよな……?」


 司会者が「……リアルなキャラ設定ですね」とフォローしようとしたが、“本物”の空気は、その一言では包みきれない。


(……見えてる。こっちに、しっかり見えてる)


 優斗が眉をひそめる。

 爺の血走った目は、明らかにひとりをロックオンしていた。


「……え?僕のこと見てない?」

「優斗……マジごめん。たぶん、完全に惹かれてる……惹魔体質、発動してるわこれ……」

「なんでそういう方向に惹かれるんだよ!!」


 爺はくちゃくちゃと笑った。


「その黒の衣装……ふふ、似合うのぅ。ほれ、ちょっとだけ、な?」

「来ないで来ないで来ないで!!!!」

「こら!ステージに上がらないでください!!」


 スタッフが慌てて止めるも、もぞもぞ爺はヒュンッと人間離れした動きでスキップを交えて迫ってくる。


「優斗、逃げろ!!変身解け!!その服、魅了度高すぎる!!!」

「お前が作った服だろうが!!!」

「では審査に入りますので、少々お待ちください」


 アナウンスの声が響いた瞬間——


(……やば)


 優斗と麻斗、同時に背中を嫌な汗がつつうっと伝った。

 もぞもぞ爺が、ステージ袖から優斗めがけて突進してきた。


「ひぃいいいぃいぃいっっ!?ちょ、な、なんか来てる!!!」


 毛玉のような髪をぶんぶん振り乱し、1メートルない身長とは思えない速度で四足のように駆けるその姿は……もはやホラー。


「ちょっ、えっ!?なんか動き演出レベルじゃない!?なにあれ演技!?」


 観客席ではスマホが一斉に構えられ、笑い声と拍手が巻き起こっていた。


「うわ〜あの人本気でキャラ守ってる!すごっ!」

「え、やば。走り方どうなってんの!?」


 ステージ上——


「てか普通の人間なんで見えてんだよ!!こういう時だけ!!」


 麻斗が叫びながら、顔面ひきつらせて優斗の前に飛び出す。爺は突進の勢いのまま、優斗の胸元に手を伸ばし——


「気合じゃ気合ッ!!うひひひ!!」

「無理無理無理!!気持ち悪すぎるぅぅぅ!!!!」

「兄貴に手ぇ出してんじゃねぇええ!!」


 麻斗の拳に退魔の波長が宿る——が、爺はぬるっと身をひねって避けた。


「うねっ!そんなんじゃワシのもぞもぞボディは止まらんぞぉ!!」

「だから何なんだよもぞもぞボディって!!!」


 優斗が式陣を瞬時に描き、術式を起動。

 パアァンっと炸裂する結界式が、爺の足元から吹き上がる!


「ほれ、次は左じゃ!うひゃひゃっ!」


 異様な跳躍力で天井近くまで跳び上がり、麻斗の蹴りが今度は上段から襲いかかる!


「「うおおおおお!!演出すご!!舞台、床抜けた!?え!?やばくない!?」」


 爆音、風圧、火花、ステージは一部崩壊。

 ライトが落ち、背景セットがバラバラに倒れていく。

 もぞもぞ爺はその瓦礫の中でもなお、スライディングして優斗の足元へ向かう!


「ぐへへへへ!その脚もなかなか!」

「ふざけんなッッ!!!」


 麻斗の怒声とともに、渾身の蹴りが爺のアゴにクリーンヒット、ガガガガガッと爺が吹き飛び、セットの壁を貫通し——最後に空中でふわっと一回転。

 どこからともなく流れるBGMと、観客の大喝采。


「……えっ、なにあの双子、演技力高すぎない?」

「本物みたい……てか本物より本物っぽい……」

「伏線全部回収されてて神演出すぎる」

「これ……優勝じゃない?」


——実際には、優斗も麻斗も冷や汗だくだった。爺は気絶して倒れ、双子はステージの中央で、肩で息をしていた。


「……兄貴、これ、バレてない?」

「……うん……今のところ、完ッ全に“最高の演出”だと思われてる……」

「……優勝……あるかも」


 ◆ ◆ ◆


 柊神社の境内。

 ハロウィンイベントから一夜明けた朝。

 鳥の声と風の音が、どこか厳かに感じられるのは——そこに、明らかに機嫌の悪い男がひとり立っているからだった。


「芦谷さんとは、前にも言った通りウチと縁が深いって話したよな?」


 腕を組み、煙草をくゆらせる柊が、

 正座している双子を見下ろしていた。


「そ、それは……」

「まあ……確かに言ってたけど……」

「それなのに」


 柊は顔をぐっと近づける。


「音響設備の破壊、舞台装置の損傷、照明2基の落下、スタッフ3名の魂の一時脱魂……」

「……脱魂?」

「いやそれは、ちょっと爺のせいで……!」

「爺はお前らが連れてきたようなもんだろうが!!」


 ぐあああと怒声が飛び、2人は肩をすくめた。


「……で、優勝おめでとう、って言ってほしかったか?」

「ちょっとだけ……」

「期待してた……かも……」


 柊は深く、ため息をついた。


「賞金、10万×2人分で20万だったか。そのまま芦谷さんとこに、修理費としてお返ししといたから」

「ええええええええええええええええええ!!!???」

「俺の怪異再現衣装代が!!」

「僕の心の犠牲は!?!?」

「お前ら、あれを“祭りの演出”で収められただけでも感謝しろ。つーか……あんな派手な術、芦谷の神主が見逃してくれなきゃマジでバレバレだったぞ?」

「いや……あの人、完全にニヤニヤしてたし……」

「来年のポスターに“あの双子再来”とか書かれてたぞ……」

「うわああああああああ!!!」


 こうして、日吉兄弟の“妖怪コスプレ大会・W優勝”の伝説は語り継がれたが——彼らの手元に残ったのは、栄光でも名誉でもなく、


「……俺の賞金、オムライス10杯くらいだったのに……」


 怪訝な目で麻斗を見る優斗に、柊が腕を組み直して、ため息混じりに煙草をくわえ直す。


「……まあ、今回の件は演出で押し切れたのは僥倖だったと思え。ああ、それと。忘れてた」


 柊がポケットから一枚の封符付きの紙束を無造作に放る。


「例の首輪の解析、ようやく終わった。……近いうちに、一度話すぞ。お前ら“二人とも”な」


 ピリ、と空気が冷える。

 麻斗が一瞬、優斗を見る。

 優斗も、言い知れない嫌な予感が背筋を這い上がるのを感じていた。

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