第5話 レストランにて、成仏の一皿を

 場所は大通りから外れたとあるレストラン。

 

「このレストランは、既に廃業したレストランを居抜きで別のレストランとしてやってるわけだが…」


 柊がレンガ造りのレストランを見上げて言った。


「何でも、夜な夜な志半ばで病死して廃業になった前のシェフの霊が調理室で料理バトルを仕掛けてくるらしい…なんでも、料理バトルに負けたら取り込まれるらしくてな、このレストランの調理担当がもう取り込まれて意識不明になった…ってなわけで依頼が来たってわけ」


 麻斗が眉毛を寄せた。


「それ俺たちの出る幕なのか?」


 柊は煙草をポケットから取り出した。


「料理とか得意だろお前ら。俺は毎日カップ麺だから無理」

「カップ麺、三食じゃ味覚も霊感も鈍るわけだ……」


 優斗はため息混じりに眼鏡を押し上げながら、レストランの重厚な扉を見据えた。

 淡い街灯に照らされるその入り口は、妙に静まり返っていて、不自然に“整いすぎて”いた。


「なるほど、つまり料理で成仏してもらう……ってことだね」

「なにそれ新ジャンルじゃん」


 麻斗が口を尖らせながらも、どこかワクワクした目をしていた。


「てか、成仏のしかたがバトルって、どんだけ未練あったんだよそのシェフ……」

「そりゃ、自分の料理に命懸けてたやつなんだろうよ」


 柊は煙草を口にくわえるが、火はつけないままポケットに戻す。


「……だからこそ、手加減なしでやれよ。勝たないとお前らまで取り込まれるからな」

「ちょ、待って、それ俺らで良かったのかマジで……!他に料理得意な陰陽師いねえのかよ!」


 麻斗がツッコミながらも足を踏み入れると、店内にひんやりとした風が流れた。

 椅子は整然と並び、テーブルの上にはほこりひとつない清潔なクロス。だが、その“異常な整然さ”こそが、何かを物語っていた。

 出るという噂の調理室に足を踏み入れる。


「……来るよ」


 優斗が静かに言った、その瞬間――


カンッ……カン……!


 奥のキッチンから、包丁がまな板を叩く音が響いた。

 ゆっくりと、調理室の扉が自動で開き、中から白いコックコートの影が現れた。

 顔は見えない。ただ、異様なまでに鋭いオーラと、漂う香辛料の香り。


「……挑戦者か……。我が味の域に、届くと思っているのか……?」

「うお、出た!やべぇ、喋った!」


 麻斗が一歩引いたその横で、優斗はすでにエプロンを取り出していた。


「やるしかないみたいだね。じゃあ……勝負、受けて立つよ」

「どっから出してきたんだよそのエプロン」


 ツッコミを入れる麻斗を他所に柊は腕を組んで、壁にもたれかかる。


「勝てよ、坊主ども。じゃねぇと、明日の飯もコンビニ弁当だからな」


――幽霊シェフとの、禁断の“料理バトル”が今、幕を開ける。


「てか何で俺らなんだよ…もう退魔の波長とかそんなん関係なくなってるし…」


 麻斗が脱力したように呟くと柊が笑う。


「負けたら最悪、麻斗の退魔の波長でぶち破るってわけ。こういう条件のある異界型の怪異はなるべく条件を達成して退治するのがいいんだよ。優斗、……お前なら、料理で条件クリアできるだろ。俺等の中で一番センスあるしな」


 柊がそう言ってニヤリと笑った。


「そうやって勝手に期待かけてくるの、ほんとやめてほしいんだけど……」


 優斗は肩をすくめながらも、エプロンの紐をキュッと締め直した。

 その姿を横目に、麻斗は大きなため息をついた。


「てかさ、俺の役割完全に“最悪のとき用の爆弾”じゃん……。退魔の波長でぶち破るって、シェフ霊ぶっ飛ばす係なの!?」

「違ぇねぇな」


 柊が軽く笑いながら指を鳴らすと、空気がピリリと張りつめた。


「ただ、なるべくなら壊さずに済ませてほしい。ここのオーナー、再開のために全部自腹で修繕したばっかりらしいからな」

「ひえぇ……責任重っ」


 麻斗がぐったりと首を垂れた瞬間――


 ガタンッ!


 キッチンの中で何かが倒れる音がした。

 空気が一変し、シェフ霊の影が一歩、また一歩と前に出てくる。


「……我が料理の真髄、見せてやろう……魂を焦がす、ソース・ド・オニヴニョン・マルシェ……!」

「何言ってんのか分かんねぇけど、やべぇのだけは分かる!」


 麻斗が一歩下がったそのとき、優斗が手早くフライパンを火にかけた。


「じゃあ、こっちも見せるよ……僕のフルコース・エクソシスト」


柊が煙草をくわえ直しながら小さく笑った。


「……あーあ。やっぱこの双子はおもしれぇな」


――鉄と香りがぶつかり合う、異界の厨房が火花を上げる。勝つのは、未練の塊のシェフか、成仏を背負った双子か。


「仕方ないな…じゃあ俺も手伝おうか?優斗」


 麻斗が優斗に近寄ると、優斗は、麻斗の適当粗雑失敗料理の数々が頭に浮かんだ。


「……いや、いい」


 即答だった。優斗は目を逸らさずにフライパンを振りながら、静かに言った。


「僕、まだ取り込まれたくないから」

「ちょっ……ひっでぇ!? 何その即答!?」


 麻斗がショックを受けたように胸を押さえた。


「だって、君さ……炒飯にバニラエッセンス入れたよね?目分量って言って、鍋焼きうどんに粉チーズ山盛りにしたよね?」

「うっ……あれは、実験っていうか、創作っていうか……」

「食べる前に実験って言った時点でアウトなんだよ。しかもオチが『俺、ちょっとお腹痛いかも』って……」


 優斗の冷たい視線と共に、蘇る記憶の暴力。

 麻斗はその場に崩れ落ちそうになりながらも、なお諦めきれずに言う。


「いやでもさ、俺、火加減とかならできるかもだし……あと盛り付けとか!あとあと皿洗いとか、心のサポートとか!」

「じゃあ、そっち担当で」


 優斗は即答だった。


「うぐぅ……結局、サポート要員じゃん……」


 そんな麻斗の横で、柊が笑いながらぽんと背中を叩く。


「まあまあ、そう落ち込むな。お前が手出ししたら、それこそシェフ霊が発狂するかもだからな」

「慰めてんのかディスってんのか分かんねぇよ、それ!!」


 ――だが、その何気ないやりとりが、どこか空気をほぐしていた。

 キッチンの空気が張り詰めた糸のように緊迫していくなか、兄弟の掛け合いが、その場に一筋の温度を灯していた。

 そして、シェフ霊が動く。


「小手先の技では、我が魂のソースには勝てぬ……!」


 優斗は静かにフライ返しを構える。


「じゃあ、見せてあげるよ。僕の本気の料理――魂の供養ってやつをね」


 時間無制限の料理対決が進んでいく…


「ところでこの料理、誰が審判するんだ?」


 麻斗が首を傾げた。


「あっ」


 優斗が思わず手を止めた。


「……え、考えてなかったの?」


 麻斗が顔を引きつらせながら問いかけると、優斗はしれっとフライパンを振りながら答えた。


「いや……てっきり、あっちが勝手に納得して成仏してくれる流れかと……」

「そんな都合いいわけあるか!こっちは命懸かってんだぞ!」


 その瞬間、ギィと軋む音と共に、レストランの奥の壁がスルリと開き、奥からひとりの影が現れた。

 モノトーンのスーツに身を包み、顔はぼやけてはいるが、どこか上品な雰囲気を漂わせている。まるで――


「……誰?」


 優斗が呟くと、その影はふっと頷き、低く柔らかな声で言った。


「私は、かつて前シェフの腕を見込んで勧誘し、この店で前シェフと共に働いていた者です……。私のほうが先に逝きましたが、彼の料理に、最期まで惚れていた……。だからこそ、彼が納得する“味”を見届ける者が必要だと……私の魂も、ここに残っていたのでしょう」

「まじで!?幽霊ジャッジ!?てかちょうどいいところで現れたね!?」


 麻斗が驚きながらも、どこかワクワクした声を上げる。


「……公平な審判をしよう。条件は一つ――心に届く料理。それだけです」


 柊が壁際から聞こえるように声を張った。


「……そいつ、昔のオーナーで間違いねぇよ。依頼主が言ってた、“霊感の強い人なら、店の隅に人影が見える”ってやつだ」

「完全にその人じゃん!」


 麻斗が指をさすと、審判の霊はうっすらと笑った。


「さあ……続きを。料理の魂を込めた一皿が、彼を救うのか、あるいは共に沈むのか……」

「……わかった。じゃあ、手を止める理由はもうないね」


 優斗は再び火を強め、鍋にスープを注ぎ込む。まるで祭壇に供える祈りのように、丁寧に、確かに――料理が“儀式”となる瞬間だった。


「よーし、なら俺も!皿、磨いてくる!」

「そこは地味に助かる」


 兄弟の役割は違えど、目指すゴールはただひとつ――魂を満たす、至高の一皿。

 さあ、勝負の火はまだ消えない。

 そうして、


 カタン……


 静寂を切り裂くように、二皿の料理が木製の審判席に並べられる。

 一皿は、シェフ霊が作り上げた漆黒のソースに包まれた肉料理。

 深紅のソースが艶やかに光り、芳醇な香りとともに空間を満たしていた。まるで、未練と執念を凝縮した“魂の塊”。

 そして、もう一皿――優斗の手による、「四季彩のオルゴール仕立て」**と銘打たれた料理。

 春の山菜、夏のトマトとバジル、秋のキノコ、冬の根菜を絶妙な火加減と味付けでバランスよくまとめ、回転するように盛り付けられている。

 まるで季節をめぐる記憶の旅路。優しさと、温もりの詰まった一皿だった。


「……どちらも、素晴らしい香りです」


 オーナーの霊が、静かに手を伸ばす。

 まずは、シェフ霊の皿へ。

 ナイフが入り、肉が断ち切られ、ソースがとろりと流れ出す。

 一口……口に含んだ瞬間、空気が震えた。


「……濃厚。だが、重い……まるで、己の信念だけで押し通すような……」


 次に、優斗の皿。

 優しくフォークで刺すと、野菜たちがほんのりと湯気を立てながらほぐれていく。

 一口、二口――そして、目を細めた。


「……これは、懐かしい味……。あの頃、厨房で共に笑い、怒り、泣いた日々……季節の中で、共に歩いた時間を思い出す……」


 すると――

 ドクン……

 シェフ霊の体が、不意に揺れた。


「……なぜだ……私の料理が、負けるなど……」

「あなたの料理、たしかに凄かったよ。でも、どこか“独りよがり”だった」


 優斗が静かに言う。


「僕のは……“誰かに届いてほしい”って思って作った。あなたと、この店と、そしてここにいる“誰か”に……ね」


 シェフ霊は、しばらくその場に立ち尽くしていたが――やがて、ふっと肩を落とし、目を閉じた。


「……そうか……これが、“伝える料理”……なのだな……」


 淡い光が彼の身体を包む。

 かつて料理に命をかけた男の魂が、ようやく報われたのだった。


「……ありがとう……また、厨房で会えるといい……な……」


 その声とともに、光の粒が舞い、シェフの霊は静かに消えていった。


「……成仏、完了」


柊がぽつりと呟いた。


「やっべぇ、感動した……俺、盛り付けしかしてないけど泣きそう……!」


 麻斗が鼻をすすりながら皿を抱きしめるようにしていた。優斗はふぅ、と長く息を吐きながら、静かに厨房を見渡す。


「じゃあ……片付け、よろしく。盛り付け係」

「地味だけど逃げらんねぇー!」

「そうだな、このキッチン、依頼主が明日も使うらしいしな」


 調理室に行き、早速ゴシゴシと洗い物をする麻斗に向かって柊が声をかけた。


「マジで!?じゃあこの鍋のこびりつきも俺の担当ってわけか!?」


 麻斗がスポンジ片手に顔をしかめた。


「おう。明日からまた現実の営業だとよ。オーナーの霊も成仏して、これでやっと真っ当なレストランに戻るわけだ」


 柊は壁にもたれて煙草をくわえ、火をつけようとして――ふと躊躇った。


「……ま、火気厳禁だな。ここ厨房だし」

「そういうとこだけちゃんとしてんのな……」


 麻斗がブツブツ言いながら鍋をゴシゴシ。

 隣では優斗が流し台を拭き上げながら、どこか微笑んでいた。


「でも、いい空間だね。調理器具の並びも、導線も考えられてて……きっと前のシェフ、料理に誇りを持ってたんだろうな」

「うん、それは分かる。やたらフライパンだけピカピカだったもん。死んでも大事にしてたんだろな、あれ」

「お前も少しは見習えば? 食材を変な調味料で汚すんじゃなくて」

「うぐぅ……! 言い返せねぇ!」


 そこへ、入口の方から控えめな拍手が響いた。今日の依頼主、現オーナーが深々と頭を下げていた。


「本当に……ありがとうございました。これで、安心してこの場所を再スタートできます」


 柊がひょいと手を上げた。


「俺らはただ、料理して、皿洗ってただけだ」

「俺、皿洗い担当だからね!?」


 麻斗が速攻で主張した。


「……まあ、料理担当の方が脚光浴びるのは分かってるけど、地味な役割が一番大事だったりすんだぞ? な、優斗?」

「そうだね。おかげで集中できたよ」

「ほ、ほらー! 俺、いてよかったじゃんか!」


 優斗はクスリと笑ってから、ふっと夜の静けさに耳を澄ませた。かすかに、スパイスの香りと、まだ残る魂のぬくもりがそこにあった。


「……また、来たいな。この厨房」


 その言葉に、誰もがうなずいた。

 闇を超えた夜、レストランの厨房には、新しい夜明けの香りが漂っていた。


 ◆ ◆ ◆


 後日、優斗と麻斗はお礼として依頼主であり現オーナーにレストランに無料招待されていた。


「毎回こういうご褒美があればやる気が出るんだけどな…あ!俺この一番高いコースで!あとぶどうジュース!」


 麻斗はご機嫌にメニューを指した。


「……お前、金額とか遠慮とかって概念、ないの?」


 優斗はメニューから目を上げず、静かに言った。


「だってタダなんだろ? オーナーが“何でも好きなものを”って言ってたしさー。だったら、一番高いの頼んだほうが礼儀じゃね?」

「逆だろ、それ」


 麻斗はすでにナプキンを首にかけて、フォークとナイフを手に構えていた。まるで戦闘態勢の兵士のような構えに、優斗は溜息をつきながらも、少し口元を緩めた。


「じゃあ僕は……季節のコースでいいかな。野菜が中心のやつ。昨日の料理に少し似てる」

「へぇ、あの“魂のオルゴール”の再現?てか、あれマジで美味かったよな~。お前、やればできんじゃん」

「“やれば”じゃなくて、“やってる”んだよ、普段から」

「え、そうだっけ?」

「僕の料理、毎朝黙って食べてるじゃないか。残したことないし」

「……そ、それは……うん、あれはあれで……うまいっていうか……その……」


 珍しく口ごもる麻斗に、優斗はクスっと笑った。


「正直でよろしい」

「ちぇ……兄貴に手の平で転がされてる気分だ……」


 そうぼやく麻斗だったが、運ばれてきた前菜を見た瞬間、目がキラキラと輝き出した。


「わっ、見て優斗! ちっちゃいカップに冷製スープ入ってる! ちまちましてる! 可愛い!」

「……お子様か君は」

「だって美味そうじゃん~! いただきまーす!」


 ぱくっ、と一口スープを味わった麻斗の顔が、とろけるように緩む。


「うっま……やっべ、これマジでやばいやつ……」

「……君の語彙力は、いつも“やばい”で全部済むんだね」

「いーの! 美味いものは美味い! これは間違いなく、あの霊シェフも納得のレベルだわ」


そのとき――


「お楽しみいただけているようで、何よりです」


 後ろから現れたのは、新しい店主となった現オーナー。

 やわらかな笑みを浮かべながら、そっとテーブルに立った。


「実は、あの日のレシピ……おふたりの料理をもとに、今後の特別メニューとして取り入れさせていただきました」

「え!? マジで!? あの“オルゴール”のやつ!?」

「はい。優斗様の料理に、麻斗様の“盛り付けアイディア”も、少し加えさせていただいています」

「やったぁああ! 公式採用! 俺、皿の置き方で店の歴史に名を残した!」

「なんか微妙に間違ってる気がするけど……まあ、いいか」


 笑い声と温かな料理の香りがテーブルを包み込む。

 あの夜を超えた二人にとって、ここはもう“怪異の舞台”ではない。

 “思い出の味”が生まれた、特別な場所になっていた…一方でレストランの裏路地。

 まるで空間そのものが凍りついたような冷気の中、黒いローブの男はしばし壁に背を預けて、優斗たちの笑い声を遠くに聞いていた。


「惹魔の波長……感情の揺らぎに共鳴し、霊や怪異を惹きつけ、そして――癒す」


 低く、掠れるような声が響く。


「その力があれば、“慰め”の名を借りた命の回収すら可能……つまりは、効率的な供物生成の核となる」


 淡く揺れる黒炎のような光が、男の掌に浮かぶ。

 それは、かつてシェフ霊が最後に放った“未練”の残滓。成仏の寸前に、ほんのわずかに零れ落ちた情念の一欠片。


「……惜しいな。あと一歩で、“煮詰まった魂”になれたものを」


 男はそれを指先で潰すと、じり、と空間に黒い裂け目が走る。


「……日吉優斗、これは、使えるな」


 彼の背中で、ローブに縫われた逆さの三日月が妖しく発光する。

 次の瞬間、彼の姿は霧のように掻き消え、夜の闇に溶けていった。

 ――優斗と麻斗の、束の間の静けさの裏側で、黒月の影が、また一歩、確実に近づいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る