異世界少女と不思議な道具

@moMAMom

第1話 異世界トリップと翻訳ペンダント

「……ん……?」


重い瞼をゆっくりと持ち上げる。目に飛び込んできたのは、見慣れた自室の天井……ではなく、鬱蒼と茂る木々の葉だった。ざわざわと風に揺れる葉擦れの音と、知らない鳥の声が耳に届く。ひんやりとした、濃い土と植物の匂いが鼻をついた。


「え……?」


体を起こすと、柔らかな苔と土の感触が手のひらに伝わった。少し湿った空気が肌を撫でる。見渡す限り、どこまでも続く深い森。紫色の蔦が絡みつく巨大な樹木や、見たこともない形の花々が咲き乱れている。


「ここ、どこ……?」


呟いた声は、妙に静かな森に吸い込まれて消えた。さっきまで、私は自分の部屋で、期末テストに向けて苦手な古典の教科書と格闘していたはずだ。うとうとしてしまった記憶はあるけれど、眠っている間にこんな場所に運ばれたとでもいうのだろうか。


自分の服装を確認する。ブレザーにチェックのスカート。見慣れた学校の制服だ。ポケットを探ると、いつも入れているスマホと、イヤホン、それから生徒手帳が出てきた。スマホの画面は真っ暗で、電源ボタンを長押ししても何の反応もない。圏外どころか、完全に壊れてしまったみたいだ。


「うそ……マジで?」


状況が全く飲み込めない。誘拐? それにしては放置されすぎている。ドッキリ? こんな手の込んだセットを作るなんて、テレビ局でも呼んだのだろうか。いや、それよりも、この空気感、植物の異様さ……。


ドクン、と心臓が大きく跳ねた。まさか、とは思う。ラノベやアニメでよくある、アレ。


「……異世界、トリップ……?」


そんな非現実的な言葉が、妙にしっくりきてしまうほど、ここは私の知っている日本の風景とはかけ離れていた。


不安と混乱で頭がいっぱいになりながらも、じっとしていても仕方がない。まずは人がいる場所を探さないと。私はスカートについた土を払い、おそるおそろ歩き出した。


見たこともない虫が足元を横切り、奇妙な鳴き声の動物が茂みの奥で動く気配がする。そのたびにビクッと肩を震わせながら、少しでも開けた場所を探して進む。どれくらい歩いただろうか。体力にはあまり自信がない。息が切れ始めた頃、不意に前方の茂みが大きく揺れた。


「ひっ!?」


咄嗟に近くの木の陰に隠れる。心臓が喉までせり上がってくるような感覚。早鐘のように鳴っている。茂みから現れたのは……ライオン? いや、違う。ライオンのようなたてがみと耳、尻尾を持っているけれど、明らかに二本足で立っていて、粗末な革鎧のようなものを着ている。屈強な体つきをした、獣人、と呼ぶべき存在だった。


「……っ!」


息を呑む。本当に、ここは私のいた世界じゃないんだ。獣人が、普通に森の中を歩いている。彼は何かを探しているのか、鋭い目つきで周囲を見回している。その視線が、こちらに向いた気がした。


まずい、見つかる!


そう思った瞬間、獣人は低い唸り声のようなものを上げながら、真っ直ぐにこちらへ歩み寄ってきた。隠れていた木の幹から引きずり出される。


「いやっ……!」


頭が真っ白になって、声にならない悲鳴が漏れた。獣人は何かを話しているようだけど、その言葉は全く理解できない。低く、喉の奥で響くような、知らない言語。恐怖で体が震える。


「あ、あの、私、怪しい者じゃ……!」


必死に訴えかけるが、言葉が通じるはずもない。獣人は怪訝そうな顔で私を見下ろし、さらに何かを問い詰めるように話しかけてくる。身振り手振りで敵意がないことを示そうとしても、パニックでうまく体が動かない。


どうしよう、殺されるかも!? いや、落ち着け、私! 深呼吸、深呼吸……!


混乱する頭で必死に状況を打開しようとした、その時だった。必死に後ずさる足が、何かに躓いた。鈍い金属の感触。


「きゃっ!」


尻餅をついた私の足元に、小さな金属製のペンダントが転がっているのが見えた。泥に汚れてくすんではいるけれど、中央には奇妙な模様が刻まれた青みがかった石のようなものがはまっている。


なんだろう、これ。


ほとんど無意識に、私はそのペンダントを拾い上げ、首にかけた。特に理由はない。ただ、何か身につけていないと心細かったのかもしれない。


すると、その瞬間。


『……待て』


頭の中に、直接声が響いた。え? と顔を上げると、目の前の獣人が、さっきと同じように何かを話している。でも、今度はその言葉の意味が、断片的ではあるけれど、頭の中に流れ込んでくる。


『……危険、ない』


もしかして、このペンダント……?


震える声で、私は目の前の獣人に問いかけた。


「あ、あの……あなたは?」


ペンダントの石が一瞬、淡く光ったような気がした。獣人は目を見開き、驚いたように私を見つめる。そして、今度ははっきりと、思考が流れ込んでくるような感覚で、彼は言った。


『……言葉が、わかるのか? 小娘』


通じた……!


安堵と驚きで、一気に体の力が抜ける。涙がじわりと滲んできた。助かった……のかもしれない。でも、これは一体どういうこと?


「……はい、あなたの言葉が、少し……わかる、みたいです」


私はまだ混乱しながらも、必死に言葉を紡いだ。ジンと名乗ったライオンの獣人は、鋭い目つきで私をじっと観察している。警戒心は解いていないようだけど、少なくともすぐに危害を加えてくる様子はない。


「私はミコト……。気がついたら、この森に……。ここがどこなのかも、どうして私がここにいるのかも、わからないんです」


拙い説明を、ジンは黙って聞いていた。彼が私の言葉をどこまで信じているのかは分からない。けれど、私がこの森で一人で生きていけるような人間でないことは、見た目からも明らかだろう。


しばらくの沈黙の後、ジンは「チッ」と短く舌打ちし、ため息をついた。


『……面倒な拾い物をしたもんだ。だが、ここ(森)は危険だ。ぐずぐずしていると、もっと厄介な奴らに見つかるかもしれん』


彼は顎で森の出口らしき方向を示す。ぶっきらぼうだが、その声色にはわずかに呆れと、ほんの少しの心配が混じっているような気がした。


『近くに、集落がある。そこまで連れて行ってやる。いいな?』


有無を言わせない口調だったけれど、今の私に断る選択肢などあるはずもなかった。他に当てもない。この獣人が信用できる相手なのかは分からないけれど、今は従うしかない。


「……はい。お願いします」


私は頷き、ジンに促されるまま、ゆっくりと立ち上がった。ペンダントをぎゅっと握りしめる。これが、私の異世界での、最初の一歩だった。


(第1話 終)

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