新約ウルフェンナイト

姫崎

プロローグ

 ――あぁ、またこの夢か。

 この夢を見るようになって何年経つのだろうか。

 決まって夢の始まりは母の黒く、長い後ろ髪を追いかけるところからだ。

 遠い昔に暮らしていたもう名前も思い出せない町。家から見える連なった山々。柔らかな日差しが町を照らす。

 母が振り返りこちらに手を振る。そうしてこれが夢だと気づく。

 あの頃は毎日が楽しかった。近くの畑でミミズを捕まえたり、母に連れられて行った丘の上、そこで食べた母特製のアップルパイ、何もかもが輝いて見え自分の世界はまるで宝石箱の様だった。



 そんなある日、町では豊作を祝い夜祭が開かれることになった。

 ドアを開けると空は既に黒く染まり、星たちが夜祭の始まりを告げていた。


「さぁ、今日は豊作を祝って神様におもてなしをするお祭りよ」


 そう言いながら母はやわらかい笑顔を向け、今日もかっこいいわよ、と掛け違えていた服のボタンを掛けなおしてくれた。

 その母越しに見える町の景色はいつもと変わらない場所のはずなのに、やはり夜祭の賑わいの為か少し鮮やかに見える。

 いつもなら人も町も寝ている時間。だが今日だけは夜も、町も、星も、人も、すべてがこの時を待っていたかのように踊り華やいでいる。

 夜を照らすランタンも今夜は数を増やし道を示すように列をなす。

 人々はそれに誘われるように歩みを進めていく。

 広場に出ると何人もの人たちが木で作られた高台を取り囲み踊りを踊ってた。すぐそばでは楽器の演奏があり、どうやらその音楽に合わせ皆思い思いに踊っているようだった。


 「楽しそうね、私たちも踊りましょうか」


 母に手を引かれ足を動かす。上手上手、そう笑いながら言った母の姿を忘れることはないだろう。



 ひとしきり踊り、満足した母は広場の先へも行ってみようと言う。まだまだ出店は並んでおり町の賑わいも薄れることはないようだ。

 母と共にさらに町の中央へと向かってゆっくりと、この時間を噛み締めるように歩く。

 これは――そう、これは夢なのだから。

 それもただの夢ではない。何度も見たこの夢は幼いころ実際に合ったこと、つまり事実であり記憶だった。

 この先にあったことは忘れられない、忘れてはいけないことだ。

 何度でもこの記憶を掘り返し何度でも自らの進む目的を反芻する。

 気付けばいつの間にか町の中心近くまで来ていた。そこには今夜のために置かれた神様を祭っている祭壇のようなものが置かれている。

 そして祭壇にはお供え物であろう、麦やら野菜やらを人々は捧げていく。

 なんとも静かな空間だった。先ほどの広場のような賑やかさは無く、なんとも“厳かな”という雰囲気だ。


「そろそろ帰ろっか」


 母は眠そうにする自分の顔を見てそのまま抱きかかえようと――



「キャァァァーーーー‼」



 突然辺りに響く女性の叫び声。

 しかし悲鳴はひとつではなく、様々な方向から聞こえ出す。それを聞いた人々は皆一様に走り出す。

 母はいったい何が起きているのかわからなかっただろう、だがすぐさま自分を抱きかかえ家へと向かう。

 何人もの人とすれ違うが状況を理解している者は少ないようで飛び交う情報は滅茶苦茶だった。

 『夜』が動いた、人が『闇』に連れ去られた、中には蝙蝠に襲われたなどと叫ぶ者もいる。

 そして誰かが叫ぶ。

 町の外だ、早く町の外に逃げろ!

 どうやら既には安全ではないらしい。

 母は自分を抱きかかえたまま後ろを振り返ることなく町の外へと走り続ける。

 次第に視界に映った人たちがに襲われ倒れていくのが見える。

 なにが起きているのかはわからないが、だからこそその異様な光景に恐怖を感じる。

 次々に後ろへと流れていく見慣れた町の景色。母の息遣いはだんだんと荒くなっていく。

 そろそろ町のはずれへと近づき始め先ほどまでの町の喧騒もおさまり、まるで辺りの闇が音までも包み込んでしまっているかのようだった。

 大丈夫、もう大丈夫よ。少し震えた母の腕の中で、息子に対する励ましか自身に対する鼓舞かわからないような言葉が聞こえてくる。

 ようやく町を抜け出せる、そう思った時、突如町が動くことをやめた。いや、動きを止めたのは母の方だった。

 抱きかかえられた状態からでは母の見る先を思うように見ることはできない。

 懸命に体をひねり前を見ようとすると、なにか夜の中を蠢く者たちがいた。

 


「女よ、今宵は豊作を祈る祭りであろう? 我にも共に祝わせては貰えないだろうか」


 が言葉を発する度に何か白いものがまるで夜空に浮かぶ星のようにきらりと輝く。

 母は何も言わず、ただ少しだけ強く自分を抱きしめ後ずさる。

 足元からじゃりっ、と石の擦れ合う音だけがその場に響く。


「あなたたち……なにが……? ……なら、私……」


「……『人狩り』に……、どうやらその子供……。いるのでしょう、……が」


「もう何年も……。この子……」


 何かを言い合っているのは分かるのだが、その内容は鮮明に聞き取れない――というより記憶に残っていない、という方が正しいだろう。

 奴らと母の会話や動きは段々と途切れ途切れになっていく。

 ――待ってくれ、まだ覚めないでくれ。

 奴らと話をしていた母はこちらを振り返り優しく抱きしめてきた。

 何かを言っていたがやはりうまく聞き取れない。

 母は奴らの方へと歩いてく。

 途中で立ち止まり自分をかばうように両腕を広げ奴らに立ちふさがる。

 何か、何か言わなくては。そう思ってもうまく体は動かない。

 次の瞬間、母の腹をの腕が貫いていた。

 動かなければ。声を出さなければ。

 どうすることもできずにいると母の体を貫いた赤黒い髪の男がゆっくりとこちらに近づいてくる。

 男の手が動けずにいる自分の首元に向かうにつれ、段々と目の前が暗くなるのを感じる。

 しかし、突然男は弾かれたように後退する。

 目の前には少し汚れた旅人のような服装をする男が立っていた。そう、この人は――


「父さん……」


「すまない、本当にすまない。もう少し早く来ていれば……」


 そう言って父は悲しそうな顔をしながら抱きしめてくる。そのまま地面をたった人蹴りしただけで倒れた母の元まで跳ぶ。

 たちはそれを見ると慌てたように距離をとり陣形を組むように取り囲む。


「アリシア……俺は、俺は……」


 父はポケットに手を入れると金属製のロケットを取り出した。


「……これを持っておけ。俺は必ず……今はお前ひとりで逃げるんだ。……いいな? やつらは『吸血鬼』だ……俺を探せ」


 父は軽く背中を押すと同じ方向に駆け出し奴らのひとりを片手で軽々と放り投げる。

 しかしすぐに別の奴が父へと襲い掛かる。

 自分はその隙をつき森の方へと走る。後ろでは互いに叫ぶ声が聞こえる。


「……、やはり生きていたか……の生き残りよ‼」


「貴様こそ、……伯爵‼」


 後ろを振り返る余裕もなくとにかく森の中へと走り続ける。

 どこからともなく獣の咆哮のようなものまで聞こえ始めた。

 そして頭の中で響く聞きなれた声。

 ――どうか、あなただけでも幸せに……『ウルフェン』……。

 まさかこれは……あの時の言葉――

 



「ッ、また……あの夢か」


 小鳥のさえずりを聞きつつ体を起こし、柔らかな朝の木漏れ日を浴びながらため息をつく。

 あれから数十年。母の仇をとるために父が『吸血鬼』と言っていた奴らを探しだしては全て切り伏せてきた。

 だが未だにあの赤黒い髪の男、『伯爵』を探し出せていない。

 きっと奴は生きている。吸血鬼とはその姿を何百年も変えることなく生き続けるというのだから。

 奴はもちろん、父も必ず生きている。『俺を探せ』と、そう言っていた父は必ず生きていると信じ探し続ける。

 首に掛かったロケットを開くと親子三人の描かれた絵が入っている。

 まだ父が母と幼かった自分の前からいなくなる前に描かれた物だろう、そんなものを大事に持っていたのならば姿を消していたことにもそれなりの理由があったと考えられる。

 開かれたロケットをそっと閉じ、ウルフェンは次の旅の準備を進める。

 あの報いは必ず受けさせる。吸血鬼の奴らは皆殺しだ。誰ひとり残さない。

 殺された母のため、襲われ死んでいった者たちのため、そしてこれから襲われるかもしれない人たちを少しでも減らすため。

 ウルフェンは復讐のために己の道を進み続ける。

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