第11話 僕は、自叙伝は書かない。

僕は今考えていることを書きます。毎日、僕は、大学ノートに、自分日記を書きます。かれこれ、45年経ちました。読み返すことは、ほとんどありません。人にも見せません。書くことが好きなだけです。ただ、書く。食事をするように、楽しく、書く。書くと落ち着く。毎日の事です。


ところで、最近、どうも昔のことをよく思い出す。心に湧き出る温泉のように、思い出す。とても、不思議で、とても、心地よい。どうも、50代は、人生の振り返る時期のようです。だから、僕は、グループホームのキッチンで、毎日、友達と夜会を開いて、パソコンで、時代をさかのぼる音楽を聴いています。実は、僕は、ギターが弾けます。バンド活動も、結構やった。現在は、文学と音楽の作品研究をして、時代をさかのぼる。作品で、昔を懐かしむ。


なんとなく、自叙伝を書くと、僕は、遺書を書くようで怖いです。かの有名なアーネストヘミングウェイは、50代に、自分の若きパリの作家修業自叙伝を書いて、鬱になる。『移動祝祭日』です。そして、60歳で、自裁している。アーネストヘミングウェイは、僕の好きな作家であるがゆえに、あのような終わり方をして、残念で仕方ないです。


僕は、昭和のお父さんお母さんたちの自分でやってもいないのに、さも、分かった感覚になって、僕たちに、アドバイスをすることが大嫌いです。そんなアドバイスなんか無視ですね。高度成長時代の厳しい言葉は、就職氷河期の僕たちには、厳しすぎるだけです。だから、暴走老人なんて言われるのです。面白い人生ですけれども。


また、僕たち50代の人生話を若者たちにすると、「うるさいよ!僕の人生の邪魔するな!」ということになるらしい。だから、僕は、若者たちの世界を尊重しますね。


どんな人生送ってきたのか、その人にしか、わからないもの。その人が、打ち明ける勇気が湧いたなら、みんなで、聞いてやりたいね。その人が、克服した証拠だから。それを、精神医療の世界では、心のリカバリーといいます。小説ってそういうものでしょう。だから、読むと、落ち着く。しかし、自分では、自叙伝は書きません。


今、僕に子供がいたら、25歳くらいになってもいいはずだ。彼らの年代の作品を、書店で、買って読むと、柔らかいタッチである。あと、物凄い、可能性を帯びていると感じます。君たちは、表向きでは見えない、こんなすごいことを考えていたんだね。

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