第9話 「野草と料理と、小さな備え」

村に、静かな日々が続いていた。


大きな事故も、火事もない。 朝には鳥のさえずり、昼には子どもたちの笑い声、夕暮れにはかまどの煙。


ケイはその中にいて、しかし、ただ流されるだけではなかった。


この日も、彼はサクを連れて村の外へ向かった。


「なあ、ケイ。どこ行くんだよ?」


「ハーブ探し。」


「ハーブ?」


サクが首をかしげる。


「料理に使う。ほら、いい香りするやつ。」


ケイは軽く笑って答えると、森の端を歩きはじめた。


(……目的は、もちろんそれだけじゃないけど。)


心の中で、そっとつぶやく。


ケイの足取りは、迷いがなかった。 まるで、探すべきものの在りかを最初から知っているかのように。


「あ!これとかいい匂いするぞ!」


サクが草むらから顔を出し、手に何本かの小さな草を掲げる。


「悪くない。でも、もうちょっと奥。」


ケイはサクの手を引き、さらに林の奥へ入った。


しばらく歩いた先で、ケイはふと足を止める。


目の前に、小さな崖。 そして、その根元に、群生する薄紫の花。


サクが目を丸くする。


「きれいだけど……崖、危なくねえか?」


「大丈夫。俺が行く。」


ケイは素早く崖をよじ登り、慎重に花を摘みはじめた。


崖の上に咲く花。 それは、見た目にも香りにも、ただのハーブと大差ない。


ケイは無言でいくつかを摘み取り、袋にしまった。


「よし、これで帰ろう。」


何事もなかったかのように、サクに笑いかける。


サクは首を傾げながらも、楽しそうについてきた。


「なあケイ、帰ったら何作る? 肉料理とか、いいよな!」


「そうだな。今日は、ちょっと特別な味付け、してみるか。」


二人は笑いながら、村へ戻っていった。


* * *


その夜。


村の貴族館では、食事会が開かれていた。


騎士団や村人たちも招かれ、にぎやかな宴。


ケイたちも、広間の片隅で皿を手にしていた。


料理の香りに、サクが目を輝かせる。


「なあケイ、あの草、入ってんのかな?」


「かもな。」


ケイは肩をすくめた。


笑っているようで、どこか遠い目をしていた。


──心の奥には、消えない緊張があった。


(今日じゃない。でも、近い。きっと、何かが起こる。)


だから、できることはすべてやる。 誰にも気づかれず、自然に。


明日もまた、いつもと同じ日を迎えるために──。



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