剣舞のプリースト

エアプおじさん

序:オワリとハジマリの詩

 幾つもの淡い魔法の光が空中を静かに漂いながら、大広間を夢幻のように照らし出していた。 だが今、その光は歪み、黒ずんだ影が脈打つように陣の線を蝕んでいる。


 施された魔法陣は微かな呻き声のような音を立てながら、光と闇の狭間でもがいていた。

 

 天蓋に描かれていた星々の図は、煤けて崩れ、深い藍の布地には裂け目が走っている。天上から降り注いでいた神聖な光は失われ、代わりにどこからともなく滲み出す紫がかった靄が広間を覆い、不浄の気配を漂わせていた。


 かつて金糸の文様が巡っていた柱はひび割れ、黒い染みが這い上がるように広がっている。

 壁面に刻まれていた神官たちの祈りの姿は、輪郭が崩れおぞましく歪み、まるで嘲笑うように表情を変えていた。

 

 時の流れを忘れさせる神秘の空間は、今や時間そのものを狂わせる異常の地となり、足を踏み入れた者に禍々しい囁きが耳元に触れる。

 

  ――ヒュッ、……キィンッ!


  ゴッ! ガッ、カカカッ!! ダンッ!

 

 戦いの音が、広間を震わせるように鳴り響く。

 甲高い金属音――剣が激しくぶつかり、火花を散らす。

 

 大理石の床を蹴る靴音、そしてひび割れ、砕けてゆく音。

 そのすべてが、交わるたびに奏でられる即興の旋律。

 その中で響くのは――声。  それは言葉ではなく旋律。

 魔法の詠唱が、詩のように、呪いのようにと奏でられていた。

 

「――天に祈りて 光を乞う」

『……地を唾棄し、光を穢せ』

 

  キィン ―――シャッ! シッ!


  タッ トッ! タタッ! トン

 

 二人の男女が拳と剣を交わし、火花を散らす。

 誰も見ぬ、誰にも許されぬ、二人きりの舞踏会を踊るよう。

 その身体は舞うようにぶつかり合う。

 

 少女は、白き神聖な衣を身にまとい、両の手に一振りずつ、鋭き剣を構えて。

 その長く青い髪は魔法の光により淡く煌めき、緑の双眸が真っ直ぐに前を射抜く。


 その視線の先には一人の男。


 相対する男は、黒い靄を身にまとい、その姿は輪郭すら曖昧で、確かにそこに立っているのに、どこか現実から浮いているように見える。

 徒手空拳、武器を持たぬその手には、確かな殺気が宿っていた。

 顔は靄に覆われ、目も口も、ましてや表情すらわからない。

 

 だが、ただそこに立っているだけで、強烈な嫌悪感をかき立てる。

 

「――闇を裂きて、道を開かん」

『祈りを嗤い、天を閉ざせ――』

 

  ドガッ! ドッ! ギィン! ジャッ!


  チッ ――トン、シャン ……シャッ!

 

 理屈ではない。名も知らず、正体もわからない。

 それでも――本能が告げている。この男を倒さねばならないと。

 それは敵意というより、世界がそうあるべきだと告げているような確信。

 

 白と黒。祈りと呪詛。

 交わるはずのない二つが、今ここでぶつかり合う。

 鋭く交差する光と闇が、空間そのものを軋ませる。

 

「喜びは胸に満ち、歌は空へと昇る――」

『――悦びは猛毒、聲は虚ろの喧し』

 

 一瞬の間を置いて、爆ぜるように彼らは動く。風を切る鋭い音が広間に響いた。

 少女は石床の上を滑るように踏み込み、右手の剣を斜めに振り上げる。

 瞬間、男の左腕が鋭く上がり、拳でその軌道を弾き逸らす。金属がきしむような音が、空気を裂いた。続けざまに、男は体をひねり、黒い靄を巻き上げながら回し蹴りを放つ。

 その一撃は、重さと速さを兼ね備えた破壊の一撃だった。

 だが、少女は一瞬の迷いもなく――ひらりと宙を舞う蝶のようにそれを避ける。

 青い髪がなびき、白き衣が光を反射して広間に一筋の光芒を描いた。

 

  ――キンッ カッ! ゴッ ゴゴンッ!

 

  シッ シャリリ…… チッ!

 

 魔力を纏った拳が、うねるように迫る。

 一撃でも受ければ命を刈り取るそれは、蛇のように軌道を変えながら、縦横無尽に彼女を狙う。空気が震え、床が軋む。避ける暇すら与えない速度と執念。

 少女の白き衣が裂け、青い髪が宙に散った。それでも彼女は、身をひねり――


 致命の一撃をかわした。

 呼吸すら忘れる一瞬。

 その眼はまだ、敵を真っ直ぐに見据えている。

 

「希望の鼓動が、世界を包み込む」

『――希びの鼓動、脆く砕けよ』

 

 高速で交錯する剣と拳。

 その動きはまるで、死と隣り合う舞踏のように滑らかで――

 空間のすべてが、彼らの戦場となる。

 踏みしめる床、舞い散る衣、弾ける火花。

 呼吸すら追いつかぬ刹那の中、少女は祈りを紡ぎ、男は呪詛を吐く。


 聖と邪が交わり、衝突し、溶けあい、――世界がきしむ音が広間を満たした。

 

  ドンッ! ――ドドドッ! ガッ!

 

  ……シャンッ! シャッ シャッ!

 

「新しき時よ、ここに芽吹け――」

『――いにしへの傷よ、今こそ膿み溢れよ』

 

 少女の祈りは歌のように旋律を持ち、広間に響き渡る。

 言の葉は、彼女の身体に神聖な気配を纏わせ、彼女の剣を淡く輝かせる。

 敵は一瞬の隙を狙い、素早く踏み込んでくる。

 彼女は後方に跳び、距離を取りながら剣を構える。

 呼吸を整え、神の名を胸に刻む。


 再び激突。

 

 彼女の右腕が鋭く突き出され、白刃は敵の肩口を正確に狙う。

 だが、黒き影は体を沈め、拳を反転させ――下から鋭く突き上げる。

 その気配を読むように、少女は身をひねり、肘でその拳を逸らした。

 左足を軸に、舞うように踵を返す。


 腰を絞り、体勢を整えながら刃を逆手に返して斬りつける。

 斜めに走った銀光は、敵の右肩をわずかにかすめ、その身体の表面を焦がすように煙が立ちのぼる――


 けれど、血は流れない。

 

「――過ぎし悲しみを、今ここで赦そう」

『――いまだ死に果てぬ未来、過去の澱と化せ』


 男は一気に跳躍し、拳を鋭く振り下ろす。

 その一撃は、少女の頭を、体を――砕き尽くすかのように、まるで雷のように降り注ぐ。

 だが、少女はその刹那、後方に回転しながら跳び拳をかわす。

 

  ドゴァッン!!!

 

 その一撃が床に触れた瞬間、轟音とともに亀裂が走り、石片がまるで雨のように舞い上がる。

 広間全体に響くその爆発的な衝撃音――

 それが収まると、二人は瞬時に間合いを取るために距離を取る。

 床には深く刻まれた亀裂が広がり、空気はひどく重く、ひとしきりの沈黙が訪れる。

 まるで世界そのものが二人の動きに息を呑んでいるかのようだ。


「すべての命に調和の旋律を 揺れる心に、均衡の鎖を」

『――和ぎは欺き、均衡は鎖なり ――こころの隙に、不和と狂気を宿せ』


 詠唱が響く、彼女の身体を光の衣が包み込む。

 その光は優しく、清らかに、まるで神の手が彼女を護るように流れる。

 

 呪詛が唱えられる、彼の肉体に闇の衣が纏われる。

 その闇は冷たく、無慈悲に、まるで彼の魂が深淵へと引き込まれるように広がる。

 

 二人は、剣を、拳を構える。

 対峙する視線――空気が凍りついたかのよう。


 そして、沈黙。

 

 時が止まったかのような一瞬。

 呼吸も、音も、感情すらも消えた静寂の深淵。

 ただ鼓動だけが、内側で静かに鳴っている。

 

 ――ふたたび、詠う。

 声は祈りとなり、呪いとなり、光と闇が、刃のように交差する。

 

「風は歌い、水は踊る   大地は眠り、空は微笑む」

『風は吠え、水は腐り   大地は裂け、天は墜つ』

 

 そして、両者は激突する。

 縦横無尽に――剣が、拳が、光が、闇が、戦場を駆ける。

 剣の軌跡は幾重にも弧を描き、空間を裂く風を纏う。


 拳が、脚が、まるで槍のように鋭く突き出され、一撃ごとに空気が震え、床が呻く。

 光が舞い、闇がうねる。


「この祈り、輪となり世界に響け いま、静けさと祝福のうちに奇跡を!!」

『此の呪、穢れの環となりて巡らん すべての理、滅びに沈め!!』

 

 彼女と彼の力が、真正面からぶつかり合う。

 光と闇――相反する魔の奔流が、広間の空間そのものを押し潰すように衝突する。


 刹那、閃光が弾け、闇が裂ける。


 炸裂する力の衝撃に、彼の右の腕が弾き飛ばされ、

 同時に、彼女の剣もまた空へと舞う。

 

  ドサッ カンッ カカンッ…

 

 剣が、腕が――石の床へと鈍い音を立てて落ちた。

 金属と肉の音が重なり、静寂が戦場を満たす。

 やがて、煙がゆっくりと晴れていく。

 砕けた床の上に立つ、ふたりの影が浮かび上がる。

 

 互いの息遣いを感じるほど近く。

 唇が触れるほどの距離、

 まるで抱き合うように――二人は、ただそこにいた。


 しかし――


 小さく、しゃくり上げるような息とともに、彼女の唇から、血が一筋、赤黒く滲み出た。

 それはまるで、口づけの余韻のように儚く、けれど確実に、生の終わりを告げる赤。

 

 彼女の背中から肉を裂き、骨を砕いて、血と共に突き出たのは、男の左腕。

 彼の拳はぎゅうと握られたまま、その先端には、まだ脈打っていたはずの心臓の感触が残っているかのように震えていた。

 

 白い衣は紅に染まり、背より零れ落ちる血の筋は、花のように地に広がる。

 彼女の身を包みし光は、微かな揺らぎを残し、音もなく掻き消えた。

 

「――命、尽くるとも舞は絶えず

魂、朽ち果つとも願いは残らん

いざ見届けよ……こ、の……終……」

 

 その声は、微かに震えていた。


 だが、それゆえに――まるで祈りのように、澄んだ音色で広間に満ちてゆく。

 静寂を裂かぬよう、それでいて確かに届くその声は、美しく、痛ましい。


 そして、刹那。

 彼女の瞳に溜められていた雫が、そっと零れ落ちた。

 一筋の涙が頬を伝い、白く染まった頬に儚く跡を残す。

 

 男の腕が、彼女の胸を貫き、血と共にずるりと引き抜かれる。

 その瞬間、彼女の体は、まるで反動で崩れ落ちるように、ゆっくりと無力に地に沈んだ。

 胸元には、深く開いた穴が黒く広がる。その空虚な空間が、まるで彼女の全てが失われたことを示すかのよう。


 彼女の肌は次第に冷たくなり、急速に体温が奪われていく。

 そして、魂の温もりさえも、静かに消え去っていく。

 

 男は去る。

 何の躊躇もなく、背後で少女の冷え切った体が静かに地に沈むのを見て取ることもなく、ただ闇の中へと。

 

 それは破滅の導き、崩れゆく運命の余韻。


 虚無の広間に残ったのは、少女の骸。

 涙と血に濡れた緑の眼はもう何も写すことは無い。


 やがて、すべては闇に包まれる。


 これは、悪夢。されど、始まりを告げるモノ。

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