第10話 ∞8《インフィニティエイト》 ループの終わり。
今日でループを最後にしなきゃいけない。
夏美はソラと二人で境内を歩いていた。
ソラは迎えに来たときからどことなく落ち着かない様子で、夏美の方を気にしている。
いつも通り、賽銭を入れて鈴を鳴らす。
(神様。どうか、今度こそループから抜けだせますように)
顔を上げると、ソラはじっと夏美を見ていた。
「ソラ。なんてお願いした?」
「……ないしょだよ。お願いごとを人に話したら叶わなくなるって言うでしょう」
「教えてくれないんだ」
「それより、ほら夏美。おみくじ引こうよ」
ソラに促されて、おみくじを引く。
「大凶…………。うーん。私は大凶に好かれているのかな」
またも大凶を引き当てた。そんなにたくさん大凶が混じっていると思えないのに。
気落ちする夏美に、ソラは自分が引いたくじを差し出す。
「なら、これと交換しよう。きっと旅のお守りになるよ」
ソラのくじは大吉。せっかく引いた大吉を夏美に渡して、笑顔で夏美の大凶を引き取った。そんなささやかな優しさに、胸があたたかくなる。
並んで境内を歩いていると、甲高い声がきこえた。
「あー! ソラ先輩だ!」
天文部の二年生、
朝顔柄の浴衣を着こなしていて、ヘアセットも可愛らしい。
芽衣はちらりと夏美を見て、ソラに聞く。
「ソラ先輩は、青井先輩と付き合っているんですか?」
二人で祭に来てはいるけれど、夏美とソラの関係を表す言葉があるなら幼なじみ以外にない。
ソラはどこか冷たい声で答える。
「…………付き合ってはいないけれど」
「なら……あたしと、付き合ってくれませんか? ソラ先輩のこと、好きなんです!」
──頭が、真っ白になった。
ソラが告白された。それも、自分の目の前で。
「青井先輩は明日遠くに引っ越すんでしょう? ただのお友達なんでしょう? なら、お試しであたしと付き合ってください。今はただの後輩としか思えなかったとしても、付き合ううちに好きになるってあるでしょう? あたし、ソラ先輩のこと一目惚れで、この二年ずっとソラ先輩のこと見てました。部活で一緒にいるうちに、優しいとこ、誠実なとこ、いろんな先輩を見てもっと惹かれたんです。本当に、好きなんです!」
境内に太鼓の音が響く。花火が夜空に上がった。
なのに、夏美の耳には何も入ってこなかった。
心臓が激しく鳴っている。息苦しい。
もしソラが、篠原芽依の手を取ったら。
(だめ。そんなの、絶対にだめ。ソラの隣は、私の……)
頭の中で、ぐるぐると同じ言葉が回る。
夏美が何もしなかったら、ソラを取られてしまう。
ソラは他の女の子の手を取って、友達より遠い存在になる。
今さら、本当に、今さら自分の気持ちがわかった。
夏美は、気づけばソラの手を掴んでいた。
「……嫌、だめ。ソラを取らないで。ソラの隣は、渡したくない」
ソラが驚き、目を見開く。
「はあ!? ただのお友だちなら引っ込んでてくれません!? 今あたしが告白してるとこなのに! これまでずっとお友だちごっこしてて、なんで今になってしゃしゃり出てくるんです!? どうせ明日には遠くに行くんでしょ? あんたに勝ち目なんてあるわけ」
芽衣がまなじりをあげ、声を荒らげる。
けれど、もう止まれなかった。夏美は泣きながら叫ぶ。
「私は、ソラが好き。ソラ、ソラじゃないと、だめ!」
夜風が吹く。
「……ごめん、篠原さん。君の気持ちには答えられない」
ソラは芽衣にはっきりと告げて、夏美の手を引いて駆け出した。
夏美はようやく理解した。
見ないようにしていた胸の中の黒い部分。
ソラが隠していたのと同じような、独占欲、嫉妬、愛。
誰にも渡したくないという欲。
他の何を失っても、絶対に譲れないもの。
「私は、ソラが好き。ずっと一緒にいたい」
神社の裏手の丘。
街の灯りも、祭りの喧騒も届かない。
ホタルと星の灯りだけが頼りの薄暗い場所。
息を切らしながら駆け上がった夏美は、ソラの手をぎゅっと握りしめたまま、彼を見つめていた。
「ソラの隣は、誰にも渡したくない。私は、ソラが好き。ソラじゃないと、だめ」
口にした瞬間、胸の奥にあったもやが、一気に晴れていく。
「私は、ずっとソラが好きだった。ソラがいないと、だめ」
八回も同じ日を繰り返して、ようやく気づいた。
ソラの隣が、夏美の一番落ち着く場所だった。
次の瞬間──夏美の唇が、塞がれた。
驚く間もなく、触れた箇所から熱が伝わる。
積み重なった想いをぶつけるような、深くて確かな口づけ。
「……っ」
唇が離れた、その瞬間だった。ソラの表情が、一変する。
「……思い出した」
「……ソラ?」
「僕、前にも、夏美にこうして……。そうだ、僕たちは、何回も今日をくり返していたんだ」
ソラの瞳から、涙が溢れた。
痛いくらいに強く夏美を抱きしめる。
「………………やっと、夏美の答え、聞けた」
「うまく言えなくて、ごめん。自分の気持ちに気づかなくて、ごめん。ソラとリクは、ずっと真剣に、伝えてくれていたのに。私、逃げてばかりだった」
風が吹く。花火の音が遠く聞こえる。
─────ヒュルルルル、ドン!
鮮やかな灯りが空を照らし出す。
「ずっと、後悔していた。一回目のとき、夏美が引っ越すのが嫌で、お祭で明日が来なければいいと願った。リクが今日みたいに祭で夏美に告白した。夏美はその場でリクを振って、逃げてしまったんだ。……僕は、怖くなった。もし僕の気持ちも、ああやって拒絶されたらどうしようって。でも、伝えないまま終わるのはもっと嫌で……目覚めたら、また八月八日だった」
ソラが語るのは、夏美の記憶から抜け落ちている、一回目の話だ。
ソラは夏美の手を握って、指先に唇を寄せる。あたたかくて、くすぐったい。
「リクを出し抜いて先に告白してしまえばいいんじゃないか。そう思って、二回目で僕は夏美をここに呼んで告白した。でも、夏美は「自分が選ぶことで、ソラとリクどちらか必ず傷つけることになるのが怖い」と言って泣いた。でも、僕は、どうしても夏美の心が欲しかった。同じ熱を返して欲しかった。三回目……一回目のことも、二回目のことも覚えているのは僕だけで、また、リクが先に告白した。いつだって、リクが僕の先を走っているんだ。どうして僕は、こんなに臆病なんだろうって、自分が嫌になった」
優しい幼なじみを演じてきたソラのむき出しの本音を聞いて、夏美は涙が止まらない。
「六回目と七回目、夏美は、ソラの告白を受け入れて付き合っているんだと思った。もう僕の入り込むすきはないのかと思ったら、すごく悔しくて」
ソラの様子がおかしかったときのことだ。
ループの記憶をなくしているソラは、ループのことを話しても信じてくれなかった。
"夏美とリクが付き合っていて、ソラをからかって遊んでいる"と思っていたから、不自然なくらいに夏美と距離を取ろうとしていた。
「何度もループの中にいて、僕はとても酷なことを言っているって気づいた。自分の気持ちを自覚出来ていない夏美を追い詰めて、僕の望む答えをくれって求めるのは、何よりも夏美を傷つけている」
「そんなこと、ないよ。私は、きっと傷つけるのも傷つくのも嫌で、気づかないようにしてたんだ。私が答えを出せなかったから、何度もソラとリクを傷つけた」
やっと自分たちの答えにたどり着いた。
「ねえ夏美。また、八月八日が巡ったらどうする? 目覚めたら、次も八月八日だったら。僕と夏美、二人とも今の、八回目のループの記憶を失ったら?」
ソラの言葉に、夏美はハッとした。ここでループが終わるなんて確証はない。
「それなら、八月九日になる瞬間まで、私たち二人で一緒にいて、確かめよう」
夏美はソラの背に手を回して、ソラの胸に顔を埋める。
ソラに忘れてほしくない。忘れたくない。ソラを好きだと思うこの気持ちを持って、明日を迎えたい。
「もしもソラが今日を忘れてしまっても、私が思い出させる。だから、ソラも、私が忘れたときは私を引っ張って」
ソラは一瞬だけ驚いたが、すぐに頷いた。
「……うん僕も、何度でも伝えるよ」
きっとループがつづいていたのは、夏美たちの心がこの日で止まっていたから。
別れの日が来てほしくない、進みたくないと思って、みんなで神様に願ってしまっていたから。
でも、進まないといけない。
二人で帰宅して、夏美は「もう少しだけソラといたい」と母にお願いして、家の縁側にソラと並んで座った。
「ソラ。ここから見える星だと、なにがある?」
「北極星はこの時間でも見えるね。あと、あの赤みのある星はさそり座のアンタレス。釣り針みたいな形の星座」
「かに座は春先じゃないと見えないんだっけ?」
「見えるとしたら、二月から三月……高校の卒業式の頃だね」
ソラの指が夜空をなぞる。
穏やかな声音は耳に優しくて、落ち着く。
静かに流れる時間の中で、星の瞬きを眺めながら、手を繋いで指を絡める。
そして──スマホの画面に、8月9日 0:00の文字が浮かぶ。
「……やっと、終わったんだ」
ソラは夏美の顔を見て静かに言う。
「夏美……福岡の高校を卒業したら、僕と一緒に東京で暮らさない? ……だめかな」
ソラの顔は真剣で、たった今思いついて言ったわけではないのがわかる。
ずっと前から、言おうと思っていたんだろう。
(これってあれかな、お父さんやお母さんみたいに、朝はソラを起こして行ってらっしゃいのキスとおかえりのキスをするような感じ? 私とソラが?)
両親のラブラブぶりを自分とソラに置き換えて想像したら恥ずかしくなった。顔が熱い。
あまりにも乙女チックな想像をしたことを悟られたくなくて、ソラを直視できなくなった。
「え、ええと、いきなり同棲は、お父さんたち許してくれるかわからないよ。法律的には成人だから、自分たちの意思で決められるけどさ」
「他の男に付け入る隙を与えたくないんだ。何年も遠距離なんて嫌だし、一緒に住めば何よりも牽制になる」
その声音は、どこか危うさを孕んでいた。
「牽制も何も、ソラの方がモテるじゃない。ソラ目当てで天文部に入部した子は、あの子だけじゃない気がするんだけど? ソラはいつもバレンタインでたくさんチョコをもらってるし、告白されるまで私のことが好きだなんて思ってなかったよ」
そのことを言うと、ソラは夏美の頬を両手で挟んでいたずらっぽく笑う。
「だって「バレンタインは好きな子からしか受け取らない」って他の子からのを全部断ったら、夏美もくれなくなっちゃうと思ったから」
「うっ」
たった今夏美自身が言った言葉が、それを証明している。ソラの好きな相手が自分だと気づいていなかったから、たぶん「好きな子がいるなら、私がいたら勘違いさせちゃうよね」とソラと距離を取るところまで想像できる。
「そこを気にするってことは、少しはヤキモチ焼いてくれてたのかな?」
「ちがいますー!」
「はいはい。そういうことにしておくよ。それで、一緒に住むの、考えてくれた?」
一旦逸れた話を引き戻される。答えは決まりきっている。
「うん。一緒に暮らしたい。でも、お父さんとお母さんの許可、ちゃんと取ってからね」
「もちろんだよ。約束」
こうして、八月九日がはじまった。
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