『夜行』
A:10-20代の容姿
B:初老の容姿
0:電車内
0:4人がけの席に1人で座るA。疲れているのかぼうっとした様子
0:通路を挟んで対面の席にBが座っている。
0:窓の外は暗い。おそらく夜なのだろう。
ーーーーーーーーー
B:あの…
A:……
B:あの
A:え、あ、はい。
B:ああ、起きてましたか
A:いや、まあ…どうかしました?
B:随分と長いこと乗っていらっしゃるので、もしかしたら乗り過ごしていないかと。すみません、余計なお世話でしたら。
A:いえ、大丈夫です。多分、まだだと思うので。
B:…そうですか。どちらまで帰るんです?
A:あー、えっと。あそこです。
B:あそこ
A:あれ、すみません。なんか出てこなくて。あそこなんですけど。
B:(笑)ありますよね。そういうこと。いえ、大丈夫ならいいんです。
A:なんか恥ずかしいな。大人なのになぁ。
B:大人ですか。大人だからこそ、ってこともありますよ。私くらいになると、出てこないことばかりです。
A:そうですか?お元気そうに見えますが。
B:そう見えているなら嬉しいんですがね。もう、じじいですから。
A:はぁ。
0:電車がゴトンと揺れる。A、少しバランスを崩す。
A:ん、とと。
B:大丈夫ですか?お疲れの様子ですね。
A:ああいや、大丈夫です。疲れてはいるのかな。体が重いや。
B:こんな時間まで何をされてたんです?
A:えっと、あの…
B:絵を、描かれるんですか?
0:A座っている隣には布のかかったキャンバスが置かれている。
A:えっ。(布をかけたままキャンバスに触れる)あれ、そう、だったか。はい、そうですね。好き、なので。
B:こんな時間まで、ですか。随分と熱心ですね。
A:ええ、つい、熱が入ってしまって。
B:どんな絵を描かれたんです?
A:今日は、今日は……なんだったかな……。すみません、忘れました。
B:(笑う)集中しすぎてしまったんですかね。
A:ああいや、はは、お恥ずかしい。なんだか、綺麗な絵を、描いていた気がするんですが。
B:無理に思い出さなくても結構ですよ。ただの興味ですから。
A:……すみません
B:しかし、若いのに随分と落ち着いてらっしゃる。
A:はは、そうですかね。そういっていただけるなら嬉しいものですが。
B:いえ、本当に。息子にも見習ってほしいくらいですよ。
A:息子さん、いらっしゃるんですか?
B:ええ、いますよ。元気なだけが取り柄のバカ息子ですが。
A:元気なのが一番ですから。きっと今は、働き盛りなんじゃないですか?
B:……だったらいいんですが。
A:息子さんは、何をされてるんですか?
B:……何してるんでしょうね(笑)。何分連絡もないものですから。
A:……すみません。
B:いえいえ、いいんですよ。それこそ今から息子のところに行きますから。
A:おお、それは良かった。
B:ええ、久しぶりに会いますよ。もう数十年は会ってませんので、少し怖い気もしますが。
A:怖い、
B:こんなじじいが、恥ずかしいですがね。恨み節など述べられないかと、怖くてね。
A:でも、誘われたのでは?ああ、いや違うか。
B:誘われたわけではなくて、親戚が集まるだけなんですよ。息子もそこにいるようで。いやはや、こんな時間になるなんて、私が一番遅くなってしまいました。
A:もう、すっかり暗いですからね。どこまで行かれるんです?
B:私は終点まで行きますよ。あなたは?
A:僕は、いや僕も終点まで、です。
B:……終点ですか?
A:すみません、ただ、行きたかっただけです。家に帰るのが、億劫で。
B:……億劫でも、家には帰らないと。親御さんが心配しますよ。
A:そう、なんですが……
B:なにか、理由でも?
A:疲れて、しまって
B:……
A:絵を、描くのが好きなんです。
B:はい
A:ずっと、昔から、絵を描いてきました。思いついたものを、あるいは目に留まったものを、描いてみないと気が済まなかったんです。頭の中にある美しい情景が、目の前に現れてくるのが、凄く好きだったんです。
B:(黙って話を聞いている)
A:だから、ずっと、絵を描いていたんですが。何故か、最近疲れてしまって。
B:……こちら、拝見しても?(Aの横にある布のかかったキャンバスを指す)
A:え、あ、はい、どうぞ。(手前にある学生カバンをどける)あれ。
B:何か?
A:ああ、(カバンの中を見る。教科書や画本が入っている)。……これは、私の、ですよね?
B:……あなた以外のものとは思えませんが。
A:そうですよね。いや、僕のです。すみません。
B:はぁ。では、失礼して(自分の席でキャンバスを見る)。……これは、海ですか。
A:ああ、はいそうです。今日は海に行ったんです。 なんとなく、海が見たくて。
B:綺麗な絵ですね。すこしぼかしてあるようで、写実的なはずなのに、どこか幻想的だ。
A:本物では、ないですから。僕の、頭の中の海です。
B:それは素敵な感性をお持ちだ。
A:……ありがとうございます。
B:これは、どこかで学んだのですか?
A:学んだ?
B:ええ、ですから、絵を。美術学校かどこかで。
A:基本的には、親が。あとは、高校で少々。
B:はぁ、だから。通りで上手なわけだ。
A:上手、でしょうか。
B:ええ、とても。普通はとても描けませんよ、こんな綺麗な絵は。
A:……
B:美術大学には行かれないんですか?
A:……行きたかったんですが。
B:……すみません。不躾な質問でしたね。
A:いえ、いいんです。気を使わせてしまって、申し訳ないです。
B:……
A:……本当に、大丈夫です。もう自分は吹っ切れましたから。親には申し訳ないですが。
B:応援、してくださってたんですね。
A:応援、そうですね、応援です。2度、僕が受験に失敗しても、それでも応援してくれていました。
B:いい親御さんですね
A:……はい、そうですね。凄くいい両親なんだと思います。
B:なにか、思うところが?
A:これは、ただの我儘なんです。でも両親だけではなく、みんなにも、どうしても思ってしまって。……応援が、なにか賭け事のように思えてしまって。
B:はぁ
A:彼らが、僕の人生で賭けをしているように思えて仕方がないんです。何を賭けているのかは分かりません。でもきっと、僕が受験を諦めたとしても、諦めないとしても、きっとそれを喜ぶ人と冷めた目で見る人が出てくる。賭けられている僕は、もうここから降りることはできないんです。
B:……
A:なんで彼らは、僕で賭けるんでしょう。つい、聞いてしまったこともあります。すると皆一様に「自分はできないから」というんです。
B;(黙って聞いている)
A:あまりにみんなが言うので、僕もそうなんだと思ってました。でも最近になって、違うのではないかと思えてしまったんです。彼らは、「できない」と名前をつけることで、「できない」ことにしているんです。
B:(黙って聞いている)
A:そうすれば、「しない」のではなくなるから。名前を付けてあげれば、普通の大人のふりができるから。少し前まで僕の隣で絵を描いていた人も、次に会った時には、自分の賭けたチケットを握りしめて遠巻きに僕を見ているんです。
B:(黙って聞いている)
A:なにか、強い衝撃があれば、彼らの反応も変わるのかもしれませんが、僕にはどうしようもなくて、ただ、進むしかないんです。
B:……
A:僕は、絵が好きなだけなんです。でも、今の絵は、好きではないです。どうしても、何かに描かされているような気分になってしまう。でもそれをみんな褒めるものだから、まるでそれがよいみたいな事になる。それが好きじゃないのは僕だけで、その中じゃ、僕が間違っているんです。それが気持ちが悪いんです。
B:……なるほど
A:……すみません、長々と。
B:いえ、大丈夫ですよ。たかが老人の時間、若者のために使えるのであれば何よりですから。
A:……そろそろ、最寄りの駅かもしれません。
B:そうですか。もう随分暗いですから、夜道にはお気をつけて。
A:はい、ありがとうございました。
B:ああ、こちら(絵に布をかける)。ありがとうございました。
A:それは、差し上げます。家には必要ないので。
B:そうですか?とても綺麗なのに、勿体ない
A:僕も、そう思います。それは久しぶりに描いた好きな絵なので。
B:では
A:なので、家には必要ないんです。どうぞ。
B:……ありがたく、受け取っておきます。
A:息子さんと楽しくお話しできるといいですね。
B:……はい
A:もうすぐですね、それでは。
B:あの
A:はい?
B:私は、この絵が好きです
A:……はぁ、ありがとうございます。
B:きっとこの絵が、好きな人がたくさんいると思います。
A:……その人たちが、試験官ならいいんですが。
B:今は違うと思います。でも、いずれそうなります。
A:いずれと言うのは?
B:もう少し後です。評価する人が変わるんです。そして今より、もっと増えると思います。そしてその人たちはまたすぐ新しい人たちに変わるんです。
A:……好きな絵がどんどん減りそうですね。
B:今のあなたは、そうかもしれません。絵を描いている対象を、見失っていますから。
A:……
B:人は、勝手です。群衆は愚昧です。彼らの輪の中心で戦うのは、とても苦しいことです。
A:……
B:だから、あなたはただ超然としていればいい。あなたの好きな絵は、あなたにとってそれだけの価値があります。
A:……
B:私も、愚昧な群衆のうちの一人です。ですから、私が今言った言葉も、所詮は群衆の声の一つです。耳を傾ける必要はありません。
A:……
B:彼らが何に賭けているかに、耳を澄ます必要も、同様にありません。群衆のうちの1人ではないのは、あなただけです。
A:……
B:この絵は、やはり持って帰った方がよろしいかと。
A:……すみません、意味が、よく
B:……いえ、こちらこそ申し訳ありません。出しゃばって突拍子のないことを言ってしまって。もう年ですから。耄碌してるんです。
A:……
B:もう、着きそうですね。こちらを(絵を差し出す)。
A:……はい、ありがとうございます(受け取る)。
B:少しもったいないことをしている気もしますがね(笑)。息子にも見せてやりたかった。
A:機会があれば、必ず。
B:はい、お待ちしてます。
電車が駅に着く。
B:では、お気をつけて。
A:はい、あなたもどうか、お気をつけて。……あの、いろいろありがとうございました。
B:(微笑む)。いいえ。絵、楽しみにしてますよ。
A:はい
扉が閉まる。電車は出発する。電車の過ぎ去ったあとの空間をぼうっと眺めている。電話の着信音がカバンの中から響く。
A:ん、あ、電話……あれ。
カバンは学生カバンから私用のかばんに変わっている。電話に出る。
A:もしもし。あ、先輩、すみません、電車乗っててて、電話でれなくて。今日ですか?今日は、海で絵を描いてました。休みだったので。ああ、明日の会議用の書類でしたら――
了
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