塩コショウ頭蓋骨と赤提灯

生字引智人

塩コショウ頭蓋骨と赤提灯

イヴァンカ義久

「見たまえ、有沢くん。この塩コショウをまぶされた頭蓋骨。この白と黒の粒子が織りなす世界…これぞ生命の終焉と始原の交差点だ。」


ジョルゴヴィッチェ有沢

「わかるさ、義久。そこから伸びる一本の赤提灯。ぼやけた灯りが脳幹の奥から滲み出るようじゃないか。あれはきっと、死者たちが最後に目にする"酒場"さ。」


イヴァンカ義久

「赤提灯とは、つまり魂の慰撫装置なのだ。夜道の寂しさを吸い上げ、醗酵させ、微かな酔いに変える。人は死んでも、なおどこかで酔い続ける運命なのだろう。」


ジョルゴヴィッチェ有沢

「そうとも。頭蓋骨にまぶされた塩、それは風化を遅らせる防腐。コショウは刺激、つまり"まだ終わっていない"という挑発だ。だからこそ赤提灯は引き寄せられる。死の静止と、酒場のざわめき。この相対関係に人間存在の矛盾が凝縮されている。」


イヴァンカ義久

「だが…ふと思う。有沢くん。この構造、どこかで見覚えがないかい?」


ジョルゴヴィッチェ有沢

「ふむ…ああ、あるじゃないか。新千歳空港と羽田空港だよ。」


イヴァンカ義久

「その通り!新千歳の、あの無骨なまでに直線的な導線。雪に閉ざされる冬を想定した、機能美の極致。対して羽田はどうだ。柔らかく曲がる動線。人を包み込む湾曲。曖昧にして、巧妙。」


ジョルゴヴィッチェ有沢

「見かけは似ている。どちらも巨大な空の港だ。でも、根っこに流れる"死生観"が違う。新千歳は『生きるための合理』、羽田は『生きながらえるための情緒』。塩とコショウのバランスが違うんだよ。」


イヴァンカ義久

「なるほど。新千歳の赤提灯は低く重く、羽田の赤提灯は軽く流れる。どちらも頭蓋骨に繋がっているが、その振る舞い方が違う。」


ジョルゴヴィッチェ有沢

「つまり…こうだな。

『似ているけど、全然違う』。」


イヴァンカ義久「完璧な結論だ。有沢くん。」


(沈黙ののち、二人は微笑み、どこか遠い街の赤提灯へと歩き出す。)

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塩コショウ頭蓋骨と赤提灯 生字引智人 @toneo55

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