警視庁マイナス課
西沢陸
第1話 初仕事
※
五月二日、警視庁本部庁舎。
本庁といえば、刑事ドラマの舞台率不動のナンバーワンであり、東京で働く警察官にとっては憧れの場所である。その通路を
「あーあ、まさかこんな形で本庁に来るとはなぁ」
唇を尖らせながら誠は呟く。
「やっちゃったなー」
彼は先週まで都内の交番勤務だったのだが、とある大ポカをやらかしてしまい、昨日まで謹慎処分を受けていた。そして、今日になってようやく謹慎が解け、晴れて本庁に左遷という世にも奇妙な人事を受けた。
上司だった人から渡された地図を頼りに誠は進んでいく。一体どこに配属になるのだろうか。訊いてもとりあえず行けと返された。恐らく部署名も明かせないぐらいヤバい追い出し部屋のような部署なのだろう。
「うん、まぁなんであれ、憧れだった本庁勤務なのには変わらないしな。切り替えていこう!」
彼はポジティブな人間だった。ルンルン気分で足取り軽く通路を跳ねていく。
そして、あっという間に地図に指し示された目的地まで着いた。
「えーと、本当にここ?」
眼前にあったのは部屋だった。しかし、表札もなければ看板もない。扉も錆びついていて、一見すると物置き部屋にしか見えない。
「とりあえず入るか」
うだうだ考えていても仕方がないので、勢いよく扉を開けた。
「失礼しまーす!」
溌剌と宣言して入室する。中は意外にも普通の事務所というか、割と広かった。二つの島と中央奥にデスクが一つあって、後者に男が一人座っていた。
年齢は四十から五十ぐらいだろうか。整った顎髭が特徴的なトレンディドラマに出てきそうな雰囲気を纏った男だった。
「やぁ、来たね。待ってたよ」
男は誠を見るなり笑顔でそう言った。
「さ、荷物はそこら辺に置いて」
優しく手招きされる。言う通りに荷物を置くと、誠は男の前に立った。
「本日からこちらに配属になりました黒瀬誠です。よろしくお願いします」
「うん、僕は
と言って、橋渡は椅子から立ち上がって手を差し伸べてきた。誠もその手を受け入れて、二人はガッシリ握手した。
「……で、ここって何をする部署なんですか?」
挨拶も程々に、誠はそもそもの疑問をぶつけた。
「そうだね。まずはそこの説明が必要だね」
橋渡は机に手を組むと話し始めた。
「ここは公安部対魔課――通称マイナス課と呼ばれている部署だ」
「マイナス課?」
聞き馴染みのない言葉に誠は首を傾げた。
「そう。捜査一課などが普通の人間による犯罪を扱い、時にゼロとも呼称される通常の公安がプロの人間によるスパイやテロ行為を取り締まるなら、我々は存在しないとされる『妖魔』から人々を護るのが仕事だ。で、その特性上からマイナス課と呼ばれている。僕はそのマイナス課の対魔鎮圧係の係長という訳さ」
「妖魔? なんすかそれ?」
これまた聞き馴染みのない単語に誠の首はさらに深く傾いた。
「妖魔は妖魔だよ。あー、君には妖怪とか怪異って言った方が伝わりやすいか」
「ハハハ、そんなのいる訳ないじゃないですかー」
冗談キツいなぁ、と誠は笑い飛ばすが、
「いやいや、困った事にこれが本当にいるんだよ」
橋渡は至って真面目だった。どうやら真偽はともあれ本気で言っているようだ。
「……そうですか」
これはいよいよ本格的に左遷させられたかな、と誠は心の底で思う。
「信じられないのも無理ないか……。――ま、こればっかりは実際に遭遇してみないとね」
顔に出したつもりはなかったのだが、橋渡にはお見通しだったらしく、肩をすくめられてしまった。
「だからその辺は追い追いやるとして、何か他に訊いておきたいことってあるかい?」
「あ、じゃあ一つ。――課員って他に何人いるんですか?」
今のところこの部屋には誠と橋渡の野郎二人しかいない。こんな存在意義もあやふやな部署ならそれでもおかしくないのだが、それにしてはデスクの数が多い。
「その事ね。勿論いるよ」
瞬間だった。
ガチャリ、とマイナス課の扉が開いた。
「おや、噂をすれば何とやらだ」
苦笑する橋渡。入ってきたのは一人の女性だった。
切れ長の目と艶のある腰まで伸びた黒髪が特徴的な女性で、和服を着たら映えそうな大和撫子であった。
「橋渡さん、その人は?」
女性は、誠を一瞥するなりそう訊いた。
「前に言っただろう。今日から新人が来るって。それが彼」
「そうですか」
自分から訊いてきた癖に、興味なさげに言うと、女は自分のデスクに座って事務処理を始めてしまった。
「黒瀬誠です! よろしくお願いします!」
誠が元気よく挨拶するも、
「……」
一ミリの反応もないガン無視が返ってきた。潔すぎて逆に心地いいぐらいの無視っぷりだった。
「コラコラ、挨拶ぐらいしなさい」
「……
橋渡に注意され、渋々ではあるもののやっと名前を知れた。
「ふむ。俺、何か嫌われる事しましたかね?」
「ハハハ、違う違う。ただ人見知りなだけだよ」
橋渡は笑って言うが、それにしては綾音の方から「余計なことを言うな」という視線がヒシヒシと伝わってくる。
「まぁ、別にいいんですけど。それより他の人達ももうすぐ戻ってくる感じですか?」
「いいや、綾音で最後だよ」
「えっ? てことは三人だけですか?」
「ん〜、本当はもう少しいるだけどね。一人は三ヶ月連続無断欠勤で、一人は行方不明。で、後の四人は怪我で入院中って感じかな」
「うわー、よくそれで組織として成り立ってますね」
どんな不良学校でもここまで崩壊していないだろう。
「それだけ危険な仕事ってことさ。――どうだい、少しは怖くなったかな?」
「いえ、特には」
橋渡の試すような問いに、誠が即答する。すると、ダンディなおじさんは少しだけ驚いた顔をした。
「あれ? もしかして怖がった方が良かったですか?」
「いやいや、話に聞いてた通りの子で安心したよ」
「?」
橋渡が苦笑するが、その意味が誠にはさっぱり分からなかった。
「さて、自己紹介も終わったことだし、早速仕事に取り掛かってもらおうかな」
思い出したかのようにパンと橋渡が手を叩いた。
「仕事って何をするんですか?」
「当然、マイナス課の仕事と言えば妖魔退治だよ。――タイミングが良いのか悪いのか、実はついさっき通報があってね。ちょっと綾音と行ってきてくれない」
「ハァ!? なんで私が!」
ここまで無反応を貫いていた綾音が、バンと机を叩いて立ち上がった。
「新人一人で現場に行かせる訳ないじゃないか」
「だからって、私じゃなくても」
「そんなこと言ったって、こう見えて僕は忙しくてね。綾音は今日暇だろ?」
「だったら、私一人で行きます」
「それだと今度は誠君が経験を積めないじゃないか」
「でも……、『霊力』もまともに扱えない一般人を連れて行くなんて正気じゃありません!」
「そこは綾音がフォローしてあげて。というか、これは命令だからごちゃごちゃ言ってないで二人で行ってきなさい」
グヌっと綾音が言葉を詰まらせる。
何がなんだか分からないが、とりあえず初仕事は決まったようだった。
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