第36話 直接対決
朝、結城は社内のソファで目覚めた。準備は万端。天気は快晴。以前の雨とは対照的な陽光が、彼の背を押すように照り付けていた。
「行ってくるよ」
復旧した案内ロボット・ガイデン君に一言だけ告げると、結城はトリニティ・コレクトの正面玄関を出た。向かったのは、京極コーポレーション。
隠れることなく、堂々と受付に向かう。
「京極社長はいらっしゃいますか?」
「アポイントメントは取られていますか?」
「はい、確認をお願いします。トリニティ・コレクト代表取締役社長の結城耀です」
もちろん、事前にアポなど取っていない。しかし京極なら、この名前を聞けば面白がって応じるはずだった。
「確認が取れました。結城様、社長室へどうぞ」
(いよいよだな……)
結城はネクタイを締め直す。案内された先には、豪奢な装飾が施された重々しい扉が待っていた。真紅のカーペットが滑らかに広がり、扉の取っ手すら威圧感に満ちている。
ノックの音に応える声が、中から響いた。
「どうぞ」
結城が扉を押し開けると、奥には京極がいた。巨大な椅子にふんぞり返り、挑発的な目でこちらを見つめている。
「いらっしゃい、結城君。さて、何のご用件かな?」
シノの姿は見えない。警護の側近が二人、慎重に結城を見張っていた。
「あなたの会社を終わらせに来ました」
静かに放たれた一言に、京極は腹の底から笑い出す。
「はっはっは! 冗談がうまいな。さて、場所を変えようか」
京極の目が鋭く光る。しかし、結城の心にはもはや揺らぎがなかった。
「分かりました。案内してください」
こうして二人は、京極が所有する別のビルへと向かう。
結城が京極に案内された先は、京極コーポレーション本社より一回り小さなビルだった。
「君たちは会社に戻ってくれ」
建物が見えてきたところで、京極は後ろに控えていた側近2人にそう告げた。彼らは一瞬ためらったが、京極の「分かったか?」という問いに逆らえず、渋々うなずく。
こうして、京極と結城は二人きりでビルへと入っていった。
「ここはもう一つの私の会社でね。機密性の高い話は、たいていここですることにしている」
エントランスを越えた先に、人影はほとんど見当たらなかった。
「随分、閑散としていますね」
「ここはあくまでサテライトオフィスだ。機密情報も少ない。わざわざ常駐させる理由もないのさ」
言葉の割に、不自然なほど人の気配がない。これは罠だと結城は理解した。殺される可能性すらある。
だが、京極がそんな雑な真似をするとも思えなかった。相手を追い詰め、絶望させたうえで潰す。それが彼のやり口だ。
さらに奥へ進んだ先、研究室のガラス越しに、シノの姿が見えた。
白衣姿の彼は、こちらに気づいて手を振ってきた。その無邪気な笑顔は、逆に不穏さを際立たせる。
「彼は集団での研究が苦手でね。こうして一人でやらせる方が、成果も上がるんだ」
京極の口ぶりからは、警戒を完全に解いていない様子が窺えた。人を配置しないことで、情報の伝達を遮断する――京極らしい合理的な判断だ。
(だが、どうやってシノはあの膨大な情報を集めた?)
疑問が頭をよぎるが、結城は表に出さず、そのままガラス越しのシノを無視して談話室へと足を進めた。
「(どうする?)」
「(相手は結城だ、危険だろう)」
「(けど、社長は戻れと……)」
本社に戻るよう命じられた京極の側近2人は、建物の裏手で密かに相談していた。命令に背くことには躊躇いがあったが、それ以上に、主を見捨てるわけにはいかなかった。
「怒られてもいい。俺たちはここで待機する」
そう決めると、2人は裏口からビル内に潜入する。裏手には監視カメラの死角があることを把握していた。
「もし京極様が無事に戻られたら、我々は先に本社へ戻ったことにしよう」
ビルの中、物陰に身を潜めながら、彼らは京極の安全をただ願っていた。
「ここなら落ち着けるかな、コーヒーでもどうだい?」
京極はインスタントコーヒーを手早く作り、知覚の机の上に置く。
「いえ、手短な用事ですから」
結城は京極に出されたコーヒーを断り、座ることもしなかった。
「さっきも言ったが、今日はあんたを潰しに来た」
「ほう?」
京極は興味津々に聞き返した。
「それで、いったい何をしようって言うんだい?」
結城はUSBを京極に手渡す。京極は近くにあったパソコンで、その内容を確認した。
「こ、これは……」
「君の会社の不正データさ。ここまで大漁だとは思わかなかったけどね」
扉が開いてシノが会話に入る。驚いた京極がシノを睨む。
「私は、君が寝返っていない可能性ももちろん視野に入れていた。だからこそ、他の社員との接触を断ったんだ!」
「まったく、監禁まがいのことをしてくれたね。でも逆にやりやすかったよ。君は僕に構いすぎた。その分他が浅くなったね」
シノはふふん、とにやつく。
「バカな! お前の行動は私の部下がすべて監視していたはずだ!」
「いい部下ですね、でも悪い部下も勿論いるってことですよ。君は僕に似ている。類は友を呼ぶって言葉を知っているかな?」
シノはゆっくり京極に近づく。パワーバランスが一気にひっくり返ったのを、結城はひしひしと感じていた。
「はーっくしゅん!」
「あらどうしたの田中さん、風邪?」
「そうみたいですわ。それか、誰かが噂してるのかも」
「無理はしないでね、じゃあ私あっち掃除してくるから」
周りに人が居なくなったことを確認して悠馬は変装を解いた。
「まったく、なんでムショ上がりの最初の仕事が掃除のおばちゃんなんだよ!!」
シノの頼みで、悠馬は掃除のおばちゃんとして色々な社員から情報を集めていたのだった。
「終わりだ、京極。もう見たと思うが、その中には君の会社がやってきたありとあらゆる不正、そして息子の京極陽の不祥事も載っている」
京極の頭に汗がにじみ、体のしわに入り込む。血眼になってデータを見返す。
「俺たちをなめるなよ、京極。あんたはもう負けたんだ」
結城がシノに並ぶ。椅子に座った京極を上から眺めると、やはり小さく縮んだ老人であることを実感する。
こんな人間に今まで支配されていたのか、と結城は唇を噛みしめる。
「本当にすまなかった! 私の悪事はバラしてもかまわない。ただ、息子の、陽の不祥事だけは公開しないでくれ!」
陽の不祥事は、マフィアとの関わりだった。やはり京極の血を引いているのだろう。気に入らない人間は潰す。そして自分の手は汚さない。陽は父親そっくりだった。
「なんでもする! 私はどうなっても構わない! 本当に、申し訳なかった!」
京極が椅子を下りて土下座する。しぼんだ体がさらに小さくなる。
「あんたにして欲しいことなんかねぇよ」
結城は言い放った。その言葉には、感情を通り越した冷徹さがあった。
「すまない……すまない……」
ずっと京極は頭を地面にこすりつけている。2人はただそれをずっと眺めていた。求めていた光景だが、達成感はそこにはなかった。
「陽には未来があるんだ! それも輝かしい未来が! アイツに罪はない、どうか助けてやってくれぇ……」
しわがれた声が虚しく響く。
「その輝かしい未来は、僕たちにはなかったんだ」
シノが京極の懇願を蹴った。ずっと目の前で京極が謝っている。一度は自分の父と呼んだ人物が。
(これは、本当に俺がやりたかったことなのか?)
結城の中に疑問が生じる。うつろに湧いた情というものだった。結城の顔を見て、シノが忠告する。
「お前、まさか京極に情なんか湧いてないよな? こいつは僕たちの人生を狂わせたんだ」
「それは分かってる。ただ、陽に罪はあるのかと思ってしまって」
そのとき、誰かの笑い声が小さく漏れた。結城でもシノでもない。頭を突いた京極の素顔は、笑いをこらえるのに必死だったのだ。
「くくっ……やっぱりお前は甘いな、耀」
京極が何事もなく立ち上がる。赤く腫れているのは目ではなく、こすりつけた額だけだった。
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