第26話 転落からの追放
「課題が終わりました」
結城は、かつてと同じように答案用紙を手にして英子に近づく。
「そんな報告は要らないから、早く次のことをやりなさい。忙しいのよ」
英子からは氷のように冷たく、無機質な声が返ってきた。その目は、結城ではなく、幼い陽を見つめていた。
京極もまた変わらなかった。相変わらず家にはめったに帰らず、たまに帰ってきたかと思えば、陽を抱き上げ、笑いかける。
結城の存在など、最初から無かったかのように。
(僕は、これからどうなるんだろう……)
心の中に、黒く粘ついた不安が広がっていった。
自分は、もうこの家に必要とされていない。そんな確信が、日に日に強まっていった。
行き場のない焦燥を、結城は勉強にぶつけた。
努力すれば、圧倒的な実力をつければ、誰も無視できない存在になれるかもしれない。ただ、その一縷の望みを支えにして。
中学に入学するころ、結城の学力は全国でも五本の指に入るレベルに達していた。
だが英子は、何ひとつ褒めてはくれなかった。それに呼応するように、結城の中には英子への冷たい嫌悪感が芽生え始めていた。
ある日。
京極と古くから付き合いのある企業の社長が、ふいに家を訪れた。その子どもも連れて。
京極は不在だったので、英子が応対に出た。
「パーティーで会った以来ですね。改めまして、ご出産おめでとうございます」
「ありがとうございます。主人は仕事で不在ですが、どうぞおくつろぎください」
「いえいえ、少し寄っただけですから」
結城はメイドたちと一緒に支度を手伝っていた。飲み物を運び、お菓子を並べながら、ふと会話が耳に入る。
「いやぁ、私の息子がこの前の模試で100位以内に入りましてね。うちの会社の後継者として期待してるんですよ」
「あら、それは素晴らしいですわ。うちも、陽がそうなってくれるといいんですけど」
(……僕のことは、もう……)
自分は最初から含まれていないかのような言い方に、結城は内心腹を立てていた。
自分が全国5位以内に入ったときでさえ、英子は冷たかった。それなのに、陽には期待を向ける。
その夜。結城は、とうとう我慢できずに英子に問いかけた。
「あの……僕も、今日の社長さんの息子さんより、いい成績だったんですけど……」
英子は面倒くさそうに結城を見た。
「あら、そうだったかしら?」
結城は必死に模試の成績表を差し出す。
英子は、それを無表情で眺めた後、ふっと近づいた。そしてかつてのように、結城の頭に手を置いた。
(やっと、褒めてもらえる……)
過去の記憶と重なり、結城の胸が高鳴った瞬間。
「お前は本当に賢いですね……全く、嫌になります」
皮肉に濁った声とともに、英子の手が結城の頬を叩いた。張り裂けたような痛みが心に響く。
何が起きたのかわからず、結城は英子を見つめた。
「お前はしつこいです、耀。……もう、分かるでしょう? あなたの居場所はここにはない。私たちは、あなたの処分を考えていたところだったんですよ」
胸を裂かれるような言葉だった。目を背けていた現実を一番信頼していた人に突き付けられる。
結城の心臓がキュルキュルと不協和音を奏でた。
「それを顔にも出さず、のうのうと生きてきた。……善意で置いてあげていたのが、わからないんですか?」
英子の冷たく、無慈悲な声が突き刺さる。結城の小さな肩が、かすかに震えた。
顔に出さなかったのは英子を心配させたくなかったから。結城の思いやりが今では重い槍のように心を突き刺す。
「今日で、京極家の養子はおしまいです。養護施設は紹介してあげますから、明日までに荷物をまとめて出て行きなさい」
言葉は、絶対だった。こうして、結城耀は京極家から追い出されることになった。
かつて自分が「家族」と呼んだすべてを失って。
結城はたったひとりで、途方もない闇の中に放り出されたのだった。
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