第17話 立ち昇る不安の煙

「そうか、分かった」


 結城はマイケルからの電話で、事の真相に近づいた。ただ、1つ引っかかる点があった。これが公となった時、裕次郎が捕まらないわけはないという点だ。裕次郎のことだ、疑いもなくあの男の言うことを信じているのだろう。


(もし京極を俺が潰したら、裕次郎は捕まる。父親が捕まったら、葵さんは……)


ちょうちんの明かりの下、少し照れたように笑った葵の顔が浮かぶ。


(「なんでも話していいんですよ。力不足かもしれませんけど、私……彼女ですから」)


 夏祭りでの葵の発言が頭をよぎる。そのとき、エレベーターが社長室に向かってくる音がした。おそらくシノだ。


「疑われないように暫くそこには居てくれ。くれぐれもボロは出すなよ」

「大丈夫です! もしかしたらわさび作りハマっちゃったかもしれません」

「じゃあお前が就職できそうなわさび農園見繕っておくよ」

 

 結城は笑って電話を切る。ちょうどそのタイミングでエレベーターのドアが開いた。


「今日の研究結果だ」


 シノが印刷した資料を渡す。本来3日かかるはずなのに1日で終わらせてしまうのはさすがの手腕だ。


「ところで耀、話がある」

「改まってなんだ?」

「最近、山瀬の行動把握がおそろかになっていないか?」

 

 シノは結城から情報が来ないことを気にしていた。それもそのはず、今までなら弱みを握るために結城はすぐに情報を手に入れていた。そのための手段すら選ばない人間だったからだ。しかし今回はかなりの期間がかかっている。


「今回の問題は急ぐべきじゃない。外堀から固めて行くべきだと思ってね」

「鳥籠作りに拘ってばかりじゃ鳥が逃げる可能性もあることを忘れるなよ」


 シノはまだ懐疑心が拭えないようだった。近くの椅子に座って貧乏ゆすりをしている。


「いくら京極に目を付けられていると言っても、まだ引く段階じゃない。慎重と何もしないは違う」


 シノは続けて忠告する。分かってるよ、と結城は言い捨てて資料の確認をしようとする。その様子にシノは違和感を覚えていた。


「山瀬の娘に情が生まれていないか?」


 シノの言葉に一瞬結城は動揺する。


「そんなことはないよ」


 行動には出さなかったが、その空気の乱れをシノは見逃さなかった。


「残念だが、僕にはそう見える。僕の信頼は、感情ではなく確率と実績で決まる。それ以外は誤差範囲だ」


 シノの言い方に結城の眉がぴくっと動く。


「俺が今まで仕事をミスしたことがあったか? ないだろ?」

「悪いが、過去の歴史は完全なデータにはあてがえない」


 シノはそう言い残して社長室を出て行った。一人残った結城は自問自答する。


(俺は本当に情に流されているのか……?)


 波のように往来を繰り返す自分の考えに、結城は答えを絞れずにいた。その葛藤は後に茨となって結城に絡みつくことになる。



 そこから暫く経ち、結城には気にかかっていることがあった。この2日間、葵からの返信がない。《大丈夫? 具合悪いかな?》というメッセージにも返答がないままだった。


 ちょうど会社の夏休みが終わったころなので、仕事が忙しいだけの可能性もあると結城は考えていたが、やはり心配は拭えなかった。その心配は人の神経を敏感にする。

 

 携帯のバイブレーションにすぐ気づいた結城は、葵からの連絡を期待して画面を確認する。


《柏木さん》


 葵でないことは残念だったが、わざわざ桃から電話がかかってきたことに何かが引っ掛かった結城はすぐに電話に出る。


「結城さん! わさびから連絡あった?!」


 結城は電話越しでも桃が焦っていることが分かった。ただ事ではないことを悟って、桃を落ち着かせる。


 呼吸を整えた桃は、事情を話す。葵が数日間連絡に返事しないこと、会社にも来ないことだった。結城が直面している現状と同じことから、葵の身が心配される。


 2人は今起こっていることを整理した後、葵の身に何が起こったのかを分析する。


「葵は私と違って真面目なので、無断で会社を休むなんてことは絶対にないんです!  風邪ひいてもちゃんと連絡してくるし!」


 こういうときは付き合いの長い桃の情報が頼りになる。少なくとも葵に思いがけない何かが起こったことは明らかだった。


「状況は分かりました。柏木さん、この後待ち合せましょう。葵さんの家に向かいたいです」


 結城が1人で行くこともできたが、様々な事態に備えて2人で向かうことにした。


「葵さん、いますか?」「わさびちゃんー、いるのー?!」


 返事はない。結城と桃は葵の住むアパートの管理人に事情を話し、鍵を開けてもらうことにした。そこはまさにもぬけの殻だった。


 特に荒らされた形跡があるわけでもなく、葵が帰っていないことが明らかになった。会社のかばんなどがない事を見るに、家の外で何かがあった可能性が高い。


「わさびちゃん、大丈夫かな」

「大丈夫、分かることを1つずつ潰していこう」


(落ち着け。冷静になれ)


 頭ではそう言い聞かせていたが、結城の指先の震えは止まらなかった。シノには頼れないので、自分が頑張るしかない。結城は覚悟を決めて状況証拠を集めることに徹する。


「あ、そういえば」


 管理人が思い出したように話す。2人は目を向ける。


「関係ないかもしれないんだけどねぇ、おとといくらいの夜、このアパートの前でうるさいタイヤの音がしたんだよ」


 管理人は2人をアパート前にある駐車場に案内する。そこには黒いタイヤの擦れた後があった。


「寝られないからすぐに文句を言おうとしたんだけどねぇ、もう車はいなくなってたよ」


 管理人は愚痴を溢す。


(葵さん(わさびちゃん)が連れ去られた可能性がある)


 2人が思っていることは同じだった。そうではないことを祈りながらも、その可能性があることは明らかだった。


 桃は警察に連絡し、タイヤの跡も含めて調べてもらうことになった。2人は警察が来る前に葵の家をもう一度探したが、大きな手掛かりとなるものは無かった。

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