第16話 食材で贖罪

 マイケルは近頃の裕次郎の動きに違和感を覚えていた。用事もなく外を出歩くことが増えたのだ。マイケルが付いていこうとしても


「ちょっとコンビニ行くだけだから」


 と断られる。ただ、帰りに何も買ってないこともしばしばあった。買いたいものが無かったと裕次郎は言うが、マイケルは疑いの目を向けていた。


「マイケル、そろそろ畑の方行ってみるか」


 ある日、裕次郎は急に畑わさびの世話にマイケルを誘った。いつもはマイケルと沢のわさび田で作業をした後、畑の方は裕次郎が1人で作業をしていたので、これはマイケルにとって大きな収穫である。


 山瀬ブランドは沢わさびのブランドだ。元々沢わさびしかやっていなかった山瀬家だったが、裕次郎の代で畑わさびにも手を出したらしい。


 遺伝子組み換えの可能性があるとしたらここが一番可能性が高いと、マイケルは前もって結城に聞いていた。


「はい!」


 マイケルと裕次郎はいつも通り沢のわさび田で作業をした後、畑へ向かった。そこは沢とは比べ物にならないくらい広い土地でわさびが育てられていた。マイケルは全体を見渡すが、特に問題点は無さそうだ。


「お前にもこの人を紹介しておこうと思ってな」


 もうすぐ来るんはずだけどな、裕次郎がそう呟いた直後、黒い車が畑の近くに止まった。マイケルは気を引き締める。


「この方は?」


 車から出てきた男は自己紹介もなしに、マイケルに疑いの目を向ける。


「弟子としてとっているマイケルだ。いつか後継を任せようと思っている」

「初めまして」

「そうか」


 男はマイケルをまじまじと見た後、一言だけ尋ねた。


「お前、口は堅いか?」

「その辺の石よりは硬いです」


 こういうところでもボケてしまうのがマイケルの悪い癖だ。マイケルは言った後に後悔する。男は一瞬怪訝な顔をしたが、逆に馬鹿だと感じたのか安心したようにも取れた。


 男はマイケルをまじまじと見つめた。続けて男は、低く確かな声で言った。


「もし今から俺が言うことをお前が公言したら、大事な師匠の命はないと思え」


 急に命という大きなワードが出てきたのでマイケルはたじろぐが、チャンスはここしかない。無言で頷いた。


「お前もそれで良いんだな?」


 男は裕次郎に改めて確認する。裕次郎は問題ない、と一言だけ答えた。マイケルから裕次郎の顔は見えなかったが、その発言には覚悟の重みがあった。


「ここのわさびは全て実験用だ。ボスが闇のマーケットで売るために作っている」


 男の発言にマイケルは驚くが、気になる点は1つだった。


「ボ、ボスって?」

「そんなもん言えるかよ。俺だって命が惜しいんだ」


 男の顔が曇る。マイケルは深掘りを避け、話を聞くのに徹することにした。男は咳ばらいをして話を続ける。


「国に許可を取れば確かに遺伝子組み換え作物は売ることができる。ただ、それだと遅いんだ」

「遅い?」

「流通を広げるまでの時間が長くなる。ボスは気が短いんだ」


 男は流れるように付け加える。


「まぁお前は、こっちの言うとおりにしてくれれば悪いようにはしない。もちろん金も出すし、お前らが捕まることもねぇよ」

「なるほど……」

「それで、今日の分は?」

「今から収穫だ。もう少し待っていてくれ」


 裕次郎とマイケルはわさびをいくつか収穫し、男に渡した。


「よし、受け取ったぜ。じゃあ金は後で振り込んでおく」


 男は受け取ってすぐ、風のように車を走らせていなくなった。男の車が見えなくなったことを確認して、裕次郎が話しかける。


「急にごめんなぁ、お前には話しておこうと思ってたんだ」

「大丈夫です。誰にも言いませんから。それにしても、なんで師匠がそんなことを?」


 金が足りないのなら山瀬ブランドを復活させて売ればいいだけの話だ。マイケルにはそれが謎だった。


「償いだよ」


 裕次郎から返ってきたのは想定外の言葉だった。裕次郎の顔から、冗談を言っていないことは分かった。


「俺は昔、家の事なんかほっぽりだしてヤンチャしててな。借金もして、親父が倒れた後は無理やり後継ぎにさせられたんだ」


 一呼吸おいて、裕次郎は続ける。


「借金を返すために家とわさび田を売る選択肢もあった。ただ、それは出来なかったんだ。親父の日記がたまたま目に入って読んでみたら、俺がいつでも戻って来られるように体を壊してもわさび農家をやめなかったことが書かれていたんだよ」


 裕次郎は遠い目をして回想する。父の努力を知ったら、今までの自分の行動を後悔したのだそうだ。


「ただ、気持ちが変わっても現状が変わるわけじゃない」


 当時裕次郎には妻がいて、娘を身ごもっていた。葵である。今家族を危険にさらすわけにはいかない。裕次郎が困り果てている所を、助けてもらったそうだ。


「それがさっきの人だよ。厳密には彼のボスだね」

「じゃあ、ボスに会ったことがあるんですね」

「一度だけね。深海魚みたいな眼光の鋭さがある男だったよ。ある条件と引き換えに借金を肩代わりしてくれたんだ」

「その条件が……」

「そう、畑を始めて研究することだった。反抗していただけで、元々興味はあったからね。苦痛でもなかったよ」

「そのボスって人は当時からお金持ちだったんですね」

「もしかしたらマイケル君も知ってるかもしれないね。あっちじゃ有名な人だから」


 マイケルは食いつき過ぎないようにさりげなく聞いた。


「へぇー、誰なんですか?」


 裕次郎は周囲を見渡して誰もいないことを確認した後、こっそりとマイケルに耳打ちをした。


「内緒ね」


 マイケルは頷く。


「じゃあ今やっているのは、借金を働いて返しているってことですか?」

「いや、借金分は働き終わったよ。それもあって、実はもうすぐで関係が切れるんだ」

「そしたらまた山瀬ブランドを復活させることができる。親父への恩返しじゃないけどね。意志は継ごうと思って」


 マイケルが感心していると裕次郎は思い立ったようにわさびを拾い上げ、言い放った。


「食材で贖罪ってね!」


 どうやらいつもの調子に戻ったようだ。あまり面白くなかったのでマイケルは全力で愛想笑いをした。


 後で分かったことだが、最近裕次郎が出かけていたのもあの男に会っていたかららしい。


 夜、マイケルはコンビニに行くと言って家を出て、人目がほぼない森の中へ入って行った。周囲に誰もいないことを二重に確認した後、電話を掛ける。


 彼はポケットから結城の番号を選びながら、ふと指先が汗ばんでいるのに気づいた。


(これが僕の役目……忘れるな)


 静かな森の中、木々の騒めく音に彼の声は溶けていった。

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