第15話 苦いベビーカステラ
約1時間後、最後の花火が終わった。花火のクオリティは素晴らしく、特にフィナーレは怒涛の連続花火が上がっていた。
最後の花火が散り、暗い静寂が訪れる。花火が始まる前はまだ夕陽の欠片が空に残っていたが、今は屋台の人工色だけが下から空を照らしている。
「いやー、迫力あって凄かったね!」
「あの、結城さん」
葵は勇気を出して口を開いた。
「花火の前に言いかけてたのって」
「ああ、あれね。大したことじゃないしまた今度言うよ」
「でも……」
「ごめんね。あ、言いづらいんだけどそろそろ予約の時間終わるから出ないと」
2人は帰り路を歩く。屋台に向かうにつれ、段々人が増えて行く中で心の距離がどんどん離れて行くように感じた葵は、なんとか口を回らせる。
「あの、最後にちょっと屋台行きませんか?」
「いいね! 行こうか」
2人は駅に向かう人の流れとぶつからないように、端の方を通って屋台を見て回った。
「葵さん今お腹空いてる?」
「ちょっと小腹が空いてますね」
「じゃああれ食べようか」
結城が指さした先はベビーカステラの屋台だった。離れた場所からでも意識すると甘い匂いを感じる。
「ベビーカステラ1つください」
「お、兄ちゃんかっこいいね! デートかい?」
「ええ、初めて夏祭りに来たんです」
「青春だねぇ、よし、俺も漢だ! 300円におまけしてやるよ!」
というわけで500円のベビーカステラが300円になった。
人混みが収まってきたので空いていた近くのベンチに座る。一息ついた後、結城がふと呟いた。
「漢だって言ってたのにそこまで割引されなかったね」
「私もまったく同じこと思ってました」
結城が買っているとき、葵はなんとか顔には出さなかったがそこまでだな、と思っていた。結城と思考回路が似ていて安心する。2人は笑ってベビーカステラをつまむ。
「まぁお得に買えたんだし、美味しいから食べよう」
「はい!」
結城と同じことで笑っただけで、さっきまで胸を締めつけていたもやもやが少しだけほどけていく。
(甘い)
結城と分け合いっこしながら食べたので、より甘く感じる。
(ずっとこの時間が続けばいいのに)
葵は夢だったらずっと覚めないで欲しいという言葉の本当の意味が理解できた。
しかし世界はそううまくは行かないように出来ている。結城の巾着に入っていた携帯電話が鳴った。
「ちょっとごめんね」
葵はもちろん頷く。結城は電話に出る。
「トラブルの概要を教えてくれ。なるほど……分かった、すぐ行こう」
どうやら社員からの電話らしかった。
「ごめん、行かないと」
結城は困ったように葵との間にあるベビーカステラを見つめる。袋に入っていないため持ち帰ることは出来なさそうだった。
「結構余っちゃったね」
「私お腹空いちゃったんで食べておきますよ」
「いいのかい? ごめんね、ありがとう」
結城は支度を整えて葵を見る。
「今日は楽しかったよ、ありがとう」
「こちらこそ、私も楽しかったです」
見事なまでにオウム返ししかできない自分に嫌悪感を覚えながらも、葵は笑顔で結城を見守る。
「じゃあね、葵さん」
結城はその場を後にした。結城の背中が遠ざかる。振り返ってくれないその歩みの早さが、葵の胸を少しだけざわつかせた。葵は、結城が花火よりもはかなく消えていったように感じた。
結城の姿が見えなくなって、葵はまたベンチに腰を落とす。スマホを見て、今日の写真を撮っていないことに気づき後悔する。
「はぁ……」
ため息をつきながらも、今日のことは仕方ないと自分に言い聞かせてベビーカステラを頬張る。
(苦い……)
1人、口に入れたカステラは苦く感じた。
(さっきまであんなに甘かったはずなのに)
舌じゃなくて、心が味を変えてしまったみたいだった。
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