第8話 天才とロボとカツ丼と【後編】

 食堂にも社員が数十名いた。やはり大規模だが、葵と桃は少し気になる点があった。


「そろそろお昼にしようか。2人とも好きなものを頼んでくれ」

「ありがとうございます。あれ、でも……ここ食券機が無くないですか?」

「あぁ、もし見たければ食品サンプルもあっちにあるよ。基本的にはスマホで注文してくれ。それにここは値段がないからね」


 2人は最後の1文を理解できず、数秒のタイムラグが生じた。


「えっと……値段が無い?」

「そうそう、食券機はかなり時代遅れだと思っていてね、撤廃したんだ。頑張ってくれている社員のご飯代くらいは会社が負担することで、より良い生産性が生まれるというデータがあるんだよ」


 葵たちは言葉を失いながらスマホでメニューを見て、思考まで失った。そこには世界各国様々な料理があるだけでなく、そのどれもが最高級だった。


「す、すごい……」

「いろんな世界の料理がある……!」


 日本のカツ丼を食べ慣れている葵と桃にとっては、まさに異世界の話だった。


「研究という共通の基盤がある以上、海外の人材も積極的に取り入れているんだ」


 確かに社員の3人に1人くらいは外国人だった。食堂にいる全員が満足そうにご飯を食べている。結城の話によれば自分の国だけでなく、他の国のご飯から新しい着想を得ることもあるそうだ。さすがに嘘だろと思ったが、結城の話ぶりからしてどうやらあながち間違ってもいないようだ。


 結局カツ丼を頼んだ葵と桃には一生かかわりのない話だろう。結城も2人に合わせてカツ丼を頼んだ。暫くすると配達ロボットが来た。ガイデン君に似ているが、違うロボットのようだ。


《オマタセシマシタ。カツ丼が2つとエッグベネディクトが1つデス》

「あれ?」


 葵は自分が頼んだスマホの注文画面を確認する。ボタンを間違えて押していたことに気づいた。


 マフィンの上に乗ったベーコンとトロトロの卵。カツ丼とは全く違うものだったが、その匂いで美味しいことが分かる。


「葵さん、卵アレルギーとかあるかな? もし嫌なら変えるから言ってね」

「あ、いえ、大丈夫です!」


 葵は結城に迷惑をかけないためにそう言ったものの、食べ方が分からなかった。半分に切れば卵の中身があふれ出してしまうのは明らかだ。葵は端の方になんとかナイフを入れようとする。


「わさびちゃん、それの食べ方わかる?」


 桃にあっさりバレたので葵が慌てる。


「一度半分に切ってあふれ出た黄身を楽しむって中々珍しい料理だよね」


 結城の助け舟に乗せてもらう。葵はなんとか建前上バレずに食べ進めることに成功した。まぁ、もう2人にはバレているが。


「うん、久々に食べたけど上手いな」


 結城もカツ丼を頬張る。葵は結城のことをもっと知りたく、質問した。


「結城さんはいつもここで何を食べているんですか?」

「うーん、色々食べてるけど最近はサルスエラにハマってるかな」

「へぇー! そうなんですね!」


 桃が元気よく頷く。葵は桃にこっそり耳打ちをする。


「(サルスエラって何?)」


 桃もタイミングを見計らって返答する。


「(知らない(^^))」


 そんなこんなでお昼を食べた3人は、またエントランスに戻った。食堂を出るとき、葵のスマホが微かに振動した気がしたが、通知は何も来ていなかった。


《オカエリナサイマセ》

「ただいまー、寂しかったー?」


 桃はガイデン君に夢中である。


(ガイデン君は絶対に寂しいと思ってないだろうな)

葵は心の中でこっそりとつぶやく。


《イヤー、サミシカッタデスヨー、ナンセ結構な時間アリマシタカラネー》

「「えっ」」


 葵と桃は同時に声を出す。おじさんくさい。結城が慌てて訂正する。


「技術力が詰まっているとはいえ、まだ試作品なんだ。特に日常会話で情報の偏りが激しくてね」

「絶対に直した方が良いっすよ」


 桃が真顔で伝える。


「善処します」

《アー、ナンカスイヤセンネェ》

「ちょっと一回黙ろうか」


 結城はガイデン君をいさめて、脱線した話のレールを無理やり戻す。



「じゃあ最後は社長室に行こうか。ここの最上階だから、エレベーターで行こう」


 結城の仕事場、確かに今まで見ていなかったところだ。葵と桃は今回の社会科見学の目的を再度思い出し、結城とともにエレベーターに乗り込んだ。


 エレベーターの開いた先は、全面ガラス張りのコンパクトな部屋だった。社長室だと一目でわかるが、無駄な装飾などは一切なかった。壁一面のガラスからは街全体が見下ろせる。だが、それだけだ。


 室内には机と椅子、パソコンがあるだけで、絵画も観葉植物もない。静寂さすら感じられる空間だった。


「思ったより派手じゃないでしょ」


 殺風景な部屋だな、という2人の考えを見透かしたように結城が話しかける。


「い、いえそんなことは」

「無理しなくていいよ。ここはわざとお金を掛けていないんだ」


 基本的にこの部屋には結城とシノの2人しか入らない。それであれば他のものに投資をした方が良いだろうというのが結城の考えだった。


「副社長も賛成だったからね。ミニマリストの部屋みたいになっちゃったけど」


 新しい単語が出た。副社長。そういえば誰なのだろうか。


「あの、副社長って?」


 葵が尋ねる。


「ああ、そういえばまだ紹介していなかったね。彼だよ」


 結城が指さした先には白衣を着たシノの姿があった。


「え、後ろに誰もいませんけど」

「僕だ」


 桃の勘違いを速攻でシノが訂正する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る