第41話 覚悟の先に待つものと、動き出す運命

「……ええ。見えましたわ。そして……そして、分かってしまいましたの。この『物語』は、わたくしが思っていた以上に、ずっと……ずっと、厄介で、そして……放っておけないものだということが」


 私の口からこぼれ落ちたのは、諦めでも、恐怖でもなく、どこか腹を括ったような、そんな響きを帯びた言葉だった。水晶に映し出された「記憶」の奔流は、あまりにも衝撃的で、私のちっぽけな日常への渇望など、いともたやすく吹き飛ばしてしまうほどの力を持っていたのだ。


 レオンハルト様が、私の言葉に息を呑むのが分かった。彼の大きな手が、私の肩を支える力に、知らず知らずのうちに込められている。

「ミレイユ司書……貴女は……」


 フードの「主」は、私の変化を静かに見つめている。そのフードの奥の表情は依然として窺い知れないが、どこか満足げな、あるいは試すような気配が、その佇まいから感じられた。

「……ほう。随分と顔つきが変わったではないか、古き血の乙女よ。お前の魂は、どうやら自らの『道』を見出し始めたらしいな」


「道、ですって……?」

 私は、自嘲気味にふっと息を漏らした。

「道というには、あまりにも険しく、そして霧が深すぎますわ。正直、どこへ進めばよいのか、皆目見当もつきません。ですが……」


 私は、一度言葉を切り、そして、先ほどまでの自分とは違う、確かな意志を込めて言葉を続けた。

「ですが、このまま何も知らずに、誰かの都合の良いように利用されるのも、あるいはただ怯えて日々を過ごすのも、もうまっぴらごめんですの! わたくしは……わたくし自身の目で、この『物語』の結末を、そして、わたくし自身の運命がどうなるのかを、確かめたいのです!」


 それは、これまでの私からは考えられないような、力強い宣言だった。自分でも驚いている。あの、ただ本を読んで静かに暮らしたいと願っていた私が、こんな大それたことを口にするなんて。


(……ああ、でも、これもまた、わたくしらしいのかもしれませんわね。一度読み始めた物語は、どんなに長くても、どんなに難解でも、結末まで読破しなければ気が済まない、この性分は、どうやらこんな状況になっても変わらないようですわ)


 私の決意表明に、レオンハルト様は、感極まったような表情で、しかし力強く頷いた。

「ミレイユ司書……! そのお覚悟、しかと承りました! このレオンハルト=アーヴィング、我が身命を賭して、貴女のその道行きをお支えいたしますぞ!」

 その言葉には、一点の曇りもない、騎士としての誠実さが込められている。……まあ、その熱意が、時として空回りするのは、いつものことだけれど。


 フードの「主」は、私の言葉を静かに聞いていたが、やがて、ゆっくりと頷いた。

「……よかろう。その覚悟、見届けさせてもらう。ならば、お前に次なる『道標』を示さねばなるまい」


 彼女は、懐から小さな、しかし複雑な紋様が刻まれた石版のようなものを取り出した。それは、私が持つ銀の指輪や、あの黒い本とどこか似た雰囲気を漂わせている。

「お前が見た『記憶』は、始まりに過ぎぬ。真の『契約』の力、そしてローデルの血に秘められた使命を知るためには、各地に点在する『聖域』を巡り、失われた『知識』を集めねばならぬ」


 石版が淡い光を放ち、その表面に、この国の広大な地図と、いくつかの光る点が浮かび上がった。

「これが、お前が進むべき道だ。それぞれの『聖域』には、異なる試練と、そして異なる『記憶』が眠っているだろう。それらを辿り、繋ぎ合わせることで、お前は自らの『力』を覚醒させ、そして『契約』の真実に近づくことができる」


(各地に点在する……聖域ですって……? それって、つまり、これからも延々と、この危険な冒険旅行を続けなければならないということですの……!?)

 一瞬、眩暈がしそうになったが、私は必死でそれを堪えた。もう、後戻りはできないのだから。


「ただし、忘れるな。お前を追う者たちは、王宮の騎士団だけではない。お前のその力を、そして『契約』を悪用しようとする、様々な勢力が存在する。道中は、これまで以上に困難なものとなるだろう」

「主」の言葉は、決して甘くはない。しかし、その声には、どこか私を試すような響きと共に、ほんの僅かながら、期待のようなものも感じられた。


「……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 私は、意を決して「主」に問いかけた。

「貴女様は……そして、貴女様の『組織』は、一体何を目指しておられるのですか? そして、なぜ、わたくしにこれほどの助力をしてくださるのです?」


 それは、ずっと私の胸の中にあった疑問だった。カイエン隊長の行動も、この謎の「主」の存在も、全てが不可解で、そしてどこか胡散臭い(失礼ながら)。


 フードの「主」は、私の問いに、しばし沈黙した。そして、やがて、静かに答えた。

「……我々の目的は、世界の『調律』だ。歪んでしまった運命の糸を解きほぐし、あるべき姿へと戻すこと。そして、ミレイユ=フォン=ローデル……お前は、そのための最も重要な『駒』であり、同時に、我々の予想を遥かに超える『可能性』を秘めた存在でもある」


(駒……ですって……? やはり、わたくしは利用されているだけなのでは……?)

 一瞬、不信感が胸をよぎる。しかし、「主」は言葉を続けた。


「我々がお前に手を貸すのは、それが我々の目的に適うからだ。だが、それだけではない。……お前のその、いかなる状況下でも失われぬ『渇望』と、そして、物語を愛し、その結末を自らの手で紡ぎ出そうとするその『魂』の在り方に、我々は……いや、私は、賭けてみたいのかもしれぬな」


 フードの奥から、初めて、柔らかな、人間味のある微笑みの気配が感じられた気がした。


「さあ、行くがよい、古き血の乙女よ。お前の『物語』の、新たな章の始まりだ。……ああ、それと」

「主」は、何かを思い出したように、言葉を付け加えた。

「この隠れ家の図書室は、しばらくお前の自由に使ってよい。出発までの間、少しは羽を伸ばせるであろう」


 その言葉に、私の顔は、ぱあっと輝いた!

「ほ、本当ですの!? 図書室を……自由に……!?」

 もしかしたら、この「主」様、意外と話の分かる、そして素晴らしいお方なのかもしれない!


 私のあまりの喜びように、レオンハルト様は苦笑し、そしてフードの「主」は、再び楽しげに肩を震わせるのだった。

 こうして、私の新たな決意と、そして束の間の(しかし何よりも貴重な)読書への期待を胸に、運命の歯車は、また一つ、大きな音を立てて回り始めたのである。

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