第21話 隠れ家(ただし文明レベルは低い)と野草のスープ

「古き血の乙女……封印されし力……真の契約……」


 不吉な言葉たちが、呪いのBGMのように私の頭の中でエンドレスリピート。もう、いっそのこと記憶喪失にでもなって、全部忘れてしまいたい! そして、何食わぬ顔で図書館の日常に戻り、新刊コーナーを漁りたい!


 しかし、現実は非情である。私は、カイエン隊長とレオンハルト様に挟まれ、鬱蒼とした森の奥へ奥へと、ただひたすら歩かされていた。木の根につまずき、泥に足を取られ、蜘蛛の巣に顔から突っ込み……もう、私の悪役令嬢としての(元々の)プライドはズタズタよ!


「も、もう……限界ですわ……。これ以上一歩でも歩いたら、わたくし、本当に……本当に、可憐な花のように、この森の土に還ってしまいます……!」

「花ではなく、ただの運動不足による衰弱だろうな。もう少しだ、我慢しろ」


 カイエン隊長の、どこまでも正確で、どこまでも思いやりの欠片もない分析! この人、もしかして私の天敵なのでは!?


「ミレイユ司書、もう少しです! 私の肩におつかまりください! このレオンハルト、必ずや貴女を安全な場所へ……!」


 レオンハルト様は、騎士道精神全開で私を励まし、その逞しい腕を差し伸べてくれる。その優しさは大変ありがたいのだけれど、正直、今の私にはその腕を掴む体力すら残っていない……。


 道なき道を進むこと、どれくらいだったろうか。カイエン隊長は、時折、まるでリスか何かのように、ひょいと木に登って周囲を見渡し、また何事もなかったかのように下りてきては、食べられそうな(私にはそうは見えない)木の実や、怪しげな色のキノコを採取している。


(ま、まさか……それを、今夜のディナーにするおつもりじゃありませんでしょうね……!? わたくし、グルメとは言いませんけれど、最低限の食文化は嗜んできたつもりですのよ!?)


 私の内心の悲鳴を知ってか知らずか、カイエン隊長は無言で進み続ける。


 やがて、鬱蒼と茂る木々の合間に、何やら人工的な影が見えてきた。それは、蔦が絡まり、壁の一部は崩れかけ、半分自然に還ってしまっているかのような、古びた石造りの小さな小屋だった。屋根には穴が空き、煙突は傾いている。お世辞にも、「安全で快適な隠れ家」とは言い難い、むしろ「熊か何かの巣穴」と言われた方が納得できる外観だ。


「……ここか?」

 カイエン隊長が、短く告げる。


「…………ここ……ですの……?」


 私の口から、か細い声が漏れる。わたくしの期待していた、暖炉の燃える音、ふかふかの絨毯、銀のティーセットで運ばれてくるアールグレイ、そして壁一面の本棚は……どこにも見当たらないのですけれど!?


「わ、わたくしの……わたくしの夢見ていた、秘密の隠れ家での優雅な読書タイムは……!」

「夢を見るのは寝ている時だけにしろ。ここは俺が時々使っている狩猟小屋だ。追手はまずここまで辿り着けないだろう」


 カイエン隊長は、慣れた手つきで傾いた扉(もはやただの板きれ)を押し開ける。中は、やはりというか、期待を裏切らない埃っぽさとカビ臭さ。床には枯葉や動物のフンらしきものが散乱し、壁には大きな蜘蛛の巣。中央には、かろうじて暖炉の形を保った石積みが残っているだけだ。


 ミレイユは、そのあまりにもワイルドな光景に、言葉を失い、そして次の瞬間、部屋の隅に転がっていた、白く風化した謎の骨(明らかに動物の頭蓋骨!)を発見し、ついに小さく悲鳴を上げた。


「ひっ……! あ、あれは……!?」

「……鹿の骨だ。気にするな」


 気にするなって言われても無理ですわ! ここ、本当に人間が住んでいい場所なんですの!?


 レオンハルト様は、さすがにこの状況には言葉少なだったが、「……ヴァレンティア隊長、貴方は普段、このような場所で……?」と、若干引き気味に尋ねている。その気持ち、痛いほど分かるわ!


 しかし、カイエン隊長は、そんな私たちの動揺など全く意に介さず、手際よく暖炉に火を熾し始めた。そして、先ほど採取してきた怪しげな木の実やキノコ、そして懐から取り出した干し肉(何の肉かは聞かない方がよさそうだ)を鍋に入れ、水を加えて煮込み始めたではないか!


(うそ……本当にアレを食べる気……? わたくし、もうダメかもしれない……。栄養失調で倒れるのが先か、この得体の知れないスープでお腹を壊すのが先か……)


 だがしかし。ぐぅぅぅぅ……。

 無情にも、私の腹の虫が、高らかにその存在を主張した。……もう、何日まともな食事をしていないかしら……。パン屋さんのパンは美味しかったけれど、あれだけでは……。


 やがて、ぐつぐつと煮込まれた「カイエン隊長特製・森の恵みスープ(仮)」が完成した。見た目は……うん、まあ、お世辞にも美味しそうとは言えない。泥水のような色合いに、謎の物体が浮いている。


 私は、恐る恐る、震える手で木製の匙を受け取り、そのスープを一口、口に運んだ。

「…………!!」

 意外なことに……というか、信じられないことに、それは、驚くほど滋味深い味がしたのだ! 塩気は干し肉からだろうか? 木の実はほんのり甘く、キノコは独特の歯ごたえがある。見た目に反して、ちゃんとした「料理」の味がする!


「……おい……しい……?」

「そうか」


 私の呟きに、カイエン隊長は、ほんの少しだけ、口の端を上げた……ように見えた。気のせいかもしれないけれど。


 空腹には勝てず、私は夢中でスープを平らげる。レオンハルト様も、最初は戸惑っていたものの、一口食べると「む! これは……なかなか……!」と、騎士の矜持をかなぐり捨てて食べ始めた。


 食事が終わると、さすがに疲労困憊だったのか、レオンハルト様は壁に寄りかかってすぐに寝息を立て始めた。私は、暖炉のパチパチと爆ぜる音を聞きながら、ぼんやりと炎を見つめていた。


「さて」


 静寂を破ったのは、カイエン隊長の声だった。彼は、机の上に、再びあの忌まわしき呪いの巻物(仮)を広げた。


「少しは回復しただろう。続きをやるぞ」

「ま、まだですの!? わたくし、もう、指一本動かす気力もございませんのに! 今はそれより、ふかふかのお布団で……」

「時間は限られている。お前が『古き血の乙女』として何かを『果たす』前に、我々がその内容を把握し、対処する必要がある」


 その言葉に、私はハッとする。そうだわ……あの不気味な囁き……。


「わたくし……一体、何をさせられようとしているのでしょう……?」

 不安げに呟く私に、カイエン隊長は、巻物の一点を指さした。そこには、あの奇妙な紋章が描かれている。


「この紋章……そして、お前の血。それが全ての鍵だ。……だが、警戒しろ。この巻物は、ただの記録ではない。それは、お前自身を『変える』力を持っているかもしれん」


 カイエン隊長の低い声が、暖炉の炎に揺らめく薄暗い小屋の中に、重く響いた。

 私は、ゴクリと唾を飲み込み、目の前の巻物を見つめる。


 その時、私の視線が、部屋の隅に無造作に置かれていた、古びた木箱に引き寄せられた。それは、第二書庫で見た、あの曰く付きの木箱とは違う。もっと小さく、しかし、なぜか妙に気になる存在感を放っている。


 まさか……ここにも、何かが……?


 私の受難と、この世界の秘密は、まだまだ始まったばかりなのかもしれない……。


 (第二十一話 了)

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