第15話 地下水道は乙女の嗜み?(んな訳ない!)

「大変だ! レオンハルト坊ちゃん! 表通りに、騎士団の連中が大勢現れた! どうやら、この辺りを嗅ぎまわっているようだ!」


パン屋の主人の切羽詰まった声が、パンの香ばしい匂いが充満する倉庫に響き渡る! その瞬間、さっきまでの「パン美味しい…おかわり…」モードだった私の脳みそは、急速に現実へと引き戻された!


「き、騎士団が!? もうこんな近くまで!? うそでしょ!?」


咥えかけていた、ふわふわで甘いパンが、ぽとり、と床に落ちる。ああ……私の……私の至福のひとときが……!


「くっ……! やはり追いつかれたか! 早すぎる!」

レオンハルト様が悔しそうに顔を歪める。隣のカイエン隊長は、既に音もなく窓際(そんなものがあればの話だが)へ移動し、外の気配を探っている。その動き、完全にプロのそれ。やっぱりこの人、ただの治安隊長じゃないわよね!?


「表から出るのは無理だ! 裏口も、もう塞がれているかもしれん!」

レオンハルト様が焦りを滲ませる。

「どうすれば……!?」


絶体絶命! 万事休す! 私の人生、ここで終わり!? せめて、最後にあのパンをもう一口……!


「……もうダメですわ……。こうなったら、潔く捕まって、せめてパンだけでもお腹いっぱい食べさせてもらおうかしら……。断頭台へ上る前には、フルコースが出るというし……」

「ミレイユ司書! 諦めるのは早いです!」


私のあまりにも後ろ向き(というか食い意地が張っている)発言に、レオンハルト様が叱咤する。しかし、そんな気休めは、今の私には響かない。


そんな絶望的な空気の中、カイエン隊長が、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで、パン屋の主人に尋ねた。


「主人。この店の地下に、古い水路跡へと通じる隠し通路はなかったか? 確か、禁酒法時代に密輸で使われていたはずだが」


その言葉に、パン屋の主人は目を丸くした。

「え? ああ、確かに……先代がそんなことを言っていたような……。でも、もう何十年も使われていないし、今はただの物置になっているはずじゃが……。それに、ひどく汚れておるぞ?」

「構わん。場所はどこだ?」


カイエン隊長、迷いゼロ! 即決! しかも、なんでそんな昔の密輸ルートまで知ってるの!? あなた一体何者!?


そして、私の頭の中には、最悪の予感が稲妻のように駆け巡る!


(す、水路跡ですって!? ち、地下の!? 汚い!? ぜっっっったいに嫌ですわぁぁぁぁ!)


「お、お待ちになってくださいまし! 水路なんて、そんな、汚くて臭くて、わたくしのようなか弱い乙女には……!」

「黙れ。贅沢を言うな」

「ミレイユ司書、今は我慢してください! 命には代えられません!」


ああ、やっぱり! 私の必死の抵抗は、冷酷な隊長と正論騎士によって、あっさりと握り潰された! 私の人権はどこ!? 乙女の尊厳は!?


パン屋の主人の(若干、気の毒そうな)案内に従い、私たちは倉庫の隅へ。床の一部が、巧妙に隠された蓋になっているらしい。主人がそれを持ち上げると、暗く、カビ臭い、奈落へと続くかのような階段が現れた。


「ひぃ……!」


思わず短い悲鳴が漏れる。暗い、狭い、汚い! 無理! 生理的に絶対無理!


私が階段の前で後ずさりしていると、背後からカイエン隊長に、どんっ、と軽く(しかし容赦なく)背中を押された!


「きゃーーーーっ! 押さないでくださいましぃぃぃ!」


バランスを崩し、私は悲鳴を上げながら、暗くカビ臭い階段を転がり落ちるように下りていく! 受け身なんて取れるわけない! もうどうにでもなれ!


私が地下に叩きつけられる(幸い、それほど高くはなかった)直前、店の表の方から、けたたましい物音が響いてきた!


「このパン屋が怪しい!」「間違いなくここに入ったはずだ!」「中へ入れ! 全員、調べろ!」


バンッ! バリバリッ! ドガンッ!


ドアが破壊されるような音! 騎士団が突入してきたのだ! 間一髪にもほどがある!


「坊ちゃんたち、早く! 幸運を祈る!」

パン屋の主人の声に見送られ、カイエン隊長とレオンハルト様も素早く地下へ飛び降りてくる。そして、カイエン隊長が内側から蓋を閉め、閂のようなものをかけると、私たちの頭上からは、怒鳴り声や物が倒れる音、そしてパン屋の主人の困惑した声が聞こえてくる。


……私たちは、完全に地下の暗闇に取り残された。


しん、と静まり返った(いや、よく聞くと、どこかで水が滴る音や、カサコソと何かが動く音がする!)地下空間。ジメジメとした湿気と、カビと、何かが腐ったような、形容しがたい悪臭が鼻をつく。


「う……うぇ……」


思わず口元を押さえる。これは……ひどすぎる……。悪役令嬢として転生したことより、こっちの方がよっぽど罰ゲームだわ!


「もう本当に最悪……! お腹は満たされたけど、心が全く満たされない……! 本が読みたい……綺麗な図書館の、ふかふかの椅子で、本が読みたい……!」


暗く、臭く、汚い地下通路(?)で、私は心の底から、本気で泣きそうになりながら、平穏への渇望を募らせるのだった。


果たして、この不潔すぎる(断言!)逃走劇の先に、一筋の光明は差すのか? それとも、ネズミか何かと遭遇して卒倒するのが先か!? ミレイユの受難は、いよいよ地下編へと突入! もう勘弁してぇぇぇぇ!

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