9過去の乗り越え

このままでいいのか――ガーフは思った。

黙って見ているだけなんて、あの時と同じだ。

自分が何も言えず、大事な妻を手放してしまったあの時と。

今度こそ、自分の意思を伝えなくては。


「な、なあ……」

言葉が喉に引っかかる。けれど、絞り出すように声を出した。


“意思”とはなんだ?

心に浮かんだことを、そのまま言うことか?

そう疑問がよぎった瞬間、口が先に動いていた。



「……もし、弟が本当に犯人だったら……どうするんだ?」



ガーフの言葉が落ちた瞬間、空気が凍った。

誰も言葉を返さなかった。ただ、沈黙だけが、耳を痛くするほど響いた。


ナルディアがこちらを見ていた。いや、睨んでいたのかもしれない。

目が赤い。怒りか、悲しみか……それはもう、わからなかった。


「あ、すま――」

ガーフは思わず謝ろうとした。けれど、それはもう遅すぎた。


「はあ!? なに言って……っ!」

ナルディアの怒声が空気を裂いた。気づけば彼の胸ぐらを掴んでいた。


「ねえ、あんた……何なのよ!? 毎回毎回……!」

その声は怒りで震え、ところどころ言葉が上手く出てこない。

「な、なんでそんな……ッ! 弟が犯人とか……そんなこと言えるの!? あんた、あの時も……見てただけだったくせに!!」


感情が溢れて、言葉がぐちゃぐちゃになる。

「ずっと、ずっと自己中で……自分だけ……っ、正しいと思ってて……!」


瞳に涙が浮かび、怒りのまま、とうとう一線を越えてしまった。


「だから……だからあんたの奥さん……他の男に……っ、股、開いたんじゃないの!!」


一瞬、場の空気が凍りつく。


ガーフの表情が変わった。

怒りが、苦しみとともに、確かにその顔に刻まれていた。


「……言っていいことと、悪いことがあるぞ、ナルディア」


ガーフの拳が、震えていた。怒りと――そして、ほんのわずかな躊躇。

けれどその震えは、すぐに怒号に変わる。

「二度と言うなよ……!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る